5月の恋はせつなくて

5月の恋はせつなくて
ぼくは緑の晩餐へ
出かけようと思った
哀しみの楽園を ひとめ見ようと思った
一気に否定してしまえば、ただ、それだけのことではないか、
とも思った
だが、どうやって?

 *

ゆっくりと
シガーをくゆらせながらベンチにもたれて
問うてみる
彼女はどこ?
たちこめる若葉が
胸までいっぱいにつまって息苦しい
愛している?
彼女の腕がだらりとして
ぼくの中で休んでいる
もう いい
放しておくれ
骨が軋んで
鼓膜が聴診器のように
ぼくの鼓動を点検する
強大なるフォルテ!
否、だらしなく続く
長い議論
愛している?
もう いい
放しておくれ
ぼくはこうしていたいのだ

 *

わたしを蔽ふ
小枝や
葉脈から
露が落ちてきて
自然に頬が濡れてくる
それは涙に似ていたのかもしれない
あなたは泉のまへに膝まづく
ゆるい流れが髪をほぐす
水の底にはいつも
鏡のような階段があって
愛も
憩ひも
みんなそこに憑かれたかたちで映っている

 *

「あなた、どこにいるの?
彼女の声が聞こえる
わかっているのだろうか?
あるいは
知らずにいるのか
とにかく
ぼくは小走りに逃げる
だが、最初の曲がり角で
ぼくは心弱くも振り返ってしまう
「ぼくは、ここです
美しい羊歯の中に倒れて
甘い腋の下や
着物の香水のように
たちのぼる女の匂いを思う
ああ、未完のアダージョは
あなたの中で完成される
この音のないソナタが
ベートーベンのホ短調ソナタであることを知るには
どうしても あの哀しく燃える残照の意味を
知る必要があるのだ
「あなた、どこにいるの?
「ぼくは、ここです

 *

5月の恋はせつなくて
ぼくは街を見下ろす森の
小さな公園へ出かける
冷たい鉄のブランコに腰をおろすと
力がぼくに全身を与える
ゆれる
重い時計の振り子のように
ゆれる
ぼくがゆれる
小さくなった
街の明かりがゆれている
ぼくが歩いてきた道も
明るい恋人たちの笑顔も
みんなまぼろしの中で
ゆれている
小さくなった夕ぐれの中で

 *

あなたの思考は
断固として
ぼくを困惑する
ぼくの神経を麻酔するエーテル
美しい嘆きも
やるせない夢も
ぼんやりさせてしまう
ぼくにはどんな
収穫の「時」があるのだろう
あなたの時計が正確な時を刻めば
ぼくは古風なアダージョを聴き取りもしよう
けれどあなたの思考の中では
どんな問いも
どんな答えも
ああ そうだ
あなたを訪うことはない

 *

さあ、行こう
ぼくとあなたと
あのむせ返る緑の中へ
せつない5月の晩餐をしに
さあ、行こう
愛も
憩いも
アダージョもない
せつない5月の
かなしい楽園
そこには
どんな問いも
どんな答えも
どんな穫り入れもない
だから
おお、今こそ
ぼくとあなたと
さあ、行こう
雨上がりのせつない5月の恋へ

by Kenichi Asano


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