タワーレコードで試聴して、その場で購入した。とにかく傑作である。何と言うか、とにかく若々しくて、音楽が活き活きしている。1970年、アンカラ生まれのこの若いピアニストのバッハを一度は聞いて欲しい。彼の手によってバッハが生まれ変わった。というか、固定観念に縛られていたバッハが、一気に人間らしく開放されたのである。
世の中にはバッハの音楽というとやたらと辛気臭いことを言う人達がいて、強弱はつけてはならない、とか、一定の速度で演奏しなければならないとか、いろいろと非音楽的なことをおっしゃる。彼らはそんなことをまともに信じているのだろうか?バッハの音楽はコンピュータか?いや、コンピュータの方がもっと人間的な音楽を奏でているではないか。確かにバッハの楽譜には一切の強弱記号も無ければ速度記号もない。しかし、それは単にそのような習慣がなかっただけのことであり、演奏するときにはバッハ自身も強弱や速度の変化をつけていたのではないだろうか、と私は考えている。もちろん、チェンバロでは強弱は出ないが、バイオリンでは出せたはずだ。また、ポリフォニックな音楽を一人で演奏する場合には、旋律ごとの強弱は確かに難しいが、和声が確立されてくるようになると、もはや、その限りではなかったはず・・・。まさかバッハ自身が強弱をつけてはならぬとか、テンポは一定にとか、そんなバカなことを言っていたとは到底信じられないのだ。
なんだかんだとバッハの演奏法について書いているが、つまり、ファジル・サイの演奏は私が考えていたような、実に主観的な演奏なのだ。きっとバッハが聞いたら喜んだに違いない。この演奏はそんな理屈を超えているのだ。開放されたバッハここにあり!
最初の曲は「フランス組曲第6番 BWV817 ホ長調」である。
美しくも瑞々しい演奏である。変な気負いもなくさわやかに音が流れてくる。実に健康なストレートさが気に入った。
次は「イタリア協奏曲 BWV971 へ長調」で、これもいい。私が学生のころ、研究室にこの曲が好きでいつも演奏していた先輩がいたが、この演奏を聞くとそのころを想い出す。もちろん、先輩は「強弱のない」演奏だったが、ファジルの演奏はすばらしい強弱がついた演奏である。アンダンテはもうちょっと早い方が好きだが、これも実にさわやかな演奏である。
3曲目はリストの編曲による「前奏曲とフーガ BWV543 イ短調」で、これも申し分ない。これは実にピアニスティックなピースに仕上がっている。
そして、これは絶対に聞いてもらいたい4曲目。ブゾーニ編曲による「シャコンヌ BWV1004 ニ短調」だ。これはこのアルバムでも最高の演奏だと思う。とにかく過激な演奏である。グレン・グールドもかつてこんな演奏で一躍有名になったが、これとそれとは次元が違う。このシャコンヌには曇りがない。素直で美しい。本当に率直な演奏なのだ。こんなに新鮮なバッハは正直言って初めてである。
最後は平均律クラビーア曲集から「プレリュードとフーガ第一番 BWV846 ハ長調」これは私も疲れた時などに演奏しているが、こんなにやさしい演奏も珍しい。なんて深いのだろう。なんて綺麗なんだと、思わず感動している自分に気がつくのだった。
BACH Fazil Say
Fazil Say (1970〜) Piano
(Total 58:51)
Fazil Say plays a Steinway piano
March 1998 at Gradignan
Warner Music WE 874
http://www.fazilsay.com
fazil_say@wmg.com
By Kenichi Asano Oct.2000