啓明塾
昭和56年(1981年)に現在の場所で開塾して、今年の4月から33年目に入りました。
開塾以来、生徒達を責任を持って指導できるように、ずっと夫婦だけで教えています。
ふたりとも教壇に立った経験を持っています。
学校の目的は、子供たちが今の日本の社会で生きられる力をつけさすことだと思います。
今の日本の社会はお互いが助け合って生きる社会です。つまり、他者の役に立つ能力がないと生きていくことは大変難しいです。
子供は、小さい子ほど他者に甘えることはうまいです。当然ですそれが生きる術なのですから。その子供が世の中に出るまでに、自分に厳しく他者に役に立つ人間に変わらなければならないのです。
学校の成績も大切ですが、勉強を通じて、誠実で諦めずに努力できる人間になることのほうがもっともっと大切と考えています。
努力している・頑張っている=夢・希望をもち具体的な行動を積み重ねている
と当塾では考えています。
変わろうと思っただけでは変わりません。変わるためには、
日々の行動が変わらなければ結局変わらないのです。
何を思っただけではなく
その思いを実現するために何をしたかが最も大切です。
人生思うようにはなりませんが、やったようにはなります。
努力によって自分が変わる喜びをできるだけたくさん味わってほしいと考えています。
自分の感情にまかせていては、正しい行動(努力)の継続は困難です。自分の敵は、結局は自分自身です。
自分の感情だけでなく、正しいかどうかで自分の行動を決められる。そんな人間を生徒と一緒に目指したいと思っています。
学年 | 曜日 | 時間 | 科目 | 授業料 |
---|---|---|---|---|
小5 | 月・木 | 4:40〜6:40 | 算・国・理 | 12,000円 |
小6 | 火・金 | 4:40〜6:40 | 算・国・理 | 12,000円 |
中1 | 火・金 | 6:50〜8:50 | 英・数 | 14,000円 |
中2 | 水・土 | 6:50〜8:50 | 英・数 | 14,000円 |
中3 | 月・木 | 6:50〜8:50 | 英・数・(理) | 21,000円 |
高1 | 月・木 | 9:00〜10:30 | 数 学 | 12,000円 |
高2 | 火・金 | 9:00〜10:30 | 数 学 | 12,000円 |
高3 | 水・土 | 9:00〜10:30 | 数 学 | 12,000円 |
*入塾金 15,000円 只今半額 です。
*年間諸費 4,000円
*テキスト代 実費
注)中学3年の費用には、夏期講習(36h)・冬期講習(24h)の費用が
含まれています。
また、夏期講習より理科が加わります。
高校生は、曜日を変更することも可能です。
授業では、考えるための最低限のものは与えますが、まずは生徒自身にやらせて、それを修正していくことで考える力を養うようにしています。
問題集・プリントを一回やるだけでなく、何回も繰り返し基本を徹底的に身につけます。普通で3回、場合によっては7〜8回やります。
当塾では、重要事項に対しては、合格(90点以上)するまで何度でもテストを実施し基本の徹底を図っています。
定期テスト前はもちろんのこと、本人の状況に合わせて随時補習を行っています。もちろん、すべて無料です。
少人数ですから宿題は必ず目を通し、現在の生徒の状態を把握した上で指導をしています。
自宅での塾であり、外部の講師はいません。自分の時間外のときでもちょっと質問にという時は便利です。
床暖房・・・頭寒足熱。できるだけいい環境で勉強をと導入しています。
パソコン・・・ブラインドタッチを目指して少しの時間ですが取り組んでいます。
<高校>
京都教育大付属、嵯峨野コスモス科、堀川探求科
公立U類理系
公立U類文系
公立T類
立命館、同志社国際、成章、光華特進、明徳特進
<大学>
新潟大、筑波大、京都教育大、大阪大、奈良女子大、和歌山大、神戸大、 広島大、滋賀県立大、大阪府立大、大阪市立大、神戸市立外大、立命館大、京都女子大、 京都薬科大、関西学院大
開塾以来、入塾テストは、一切していません。ので入塾してくる生徒の学力は、様々です。
よって学力不足でついていけない授業はしていません。できるだけ個人の現在の学力に合わせるようにしています。
今までの勉強が十分でなく遅れている人は、その分頑張ってもらいます。
補習は、一切費用がかかりません。
友達と遊びに行く等のまったくの個人的理由での休みに対しては、振り替えはいたしておりません。 学校の行事・病気等やむをえない事情の場合は、可能な限り本人と日程調整をして振り替えを行っています。
どんどんしてもらって結構です。疑問点をそのままにしておくのは、勉強では一番良くないことです。
もちろん可能です。費用は回数分頂きます。こられる意思があるのならできるだけ早いほうがいいと 思います。
残念ですが、たとえば英語だけとか数学だけの受講はできません。
夏休みは、約2週間ですが、抜ける分の授業は前後に振り替えて回数として、抜けません。 冬休み・春休みは1週間で、その間の授業の補充はしていません。受験生に関しては、この限りではありません。
開塾以来ずっと続いている夏休み恒例の一日勉強会。
朝の9時から夕方の5時まで、頑張っています。
昼食は、お決まりのカレーライス。
同志社大学工学部電気工学科大学院卒業。高校・中学の非常勤講師を経て開塾。
大学時代は、クラシックギター部に所属。
現在の趣味は、マラソン
・テニス・パソコンです。フルマラソンを遅いですが今までに30回完走。途中棄権1回。
走っているのを見かけたら声をかけてください。
2009年には、東京の日本橋から甲州街道を下諏訪まで行き
下諏訪から中仙道を京都三条大橋まで歩きました。本当に貴重な体験でした。
2011年は、信州の松本を出発して糸魚川まで、塩の道を歩きました。前半は、北アルプスを見ながら景色を堪能、後半は道なき道アップダウンの激しいコースに苦戦しました。2012年、2009年に歩いたコースを今度は自転車で走破当然ですが、上りはきつい、しかし下りの快適さはさすが自転車でした。
今年は、どこに?
久しぶりのホームページの更新です。皆様のブラウザでは、桜はうまく散ってくれているでしょうか?
散っていない。ああ散ったのは私のプログラムか… がっくり。
今回のテーマは、画面の切り替えを今までとは変えることそして、桜を散らす。
画面の切り替えは、切り替え方法を以前と変えただけで見えるものは変わりません。
つまり、私の苦労は全然わかりません。ソースコードを見て欲しい。わかる人に分かってもらえればいい
そんな単なる独りよがりの世界のことですが…こだわりました。
我師匠のN氏は、家庭の事情で超多忙で、私のホームページ作りに引っ張り込むわけにはいかない状況で、今回は、ほぼ全部を自分で作りました。途中、迷惑とは思いましたがたまらず泣き言メールを師匠にしてしまいましたが。
今までのホームページは、雛形をベースににわかHTML言語の知識で作ったのでおかしいところだらけ
理解していないとコントロールはできず、応用がききません。あれ、どっかで聞いたような。
生徒に私自身がいつも言っていることです。
「覚えようとするな理解しろ」と、全く自分自身が出来ていませんでした。反省あるのみ。
画面の「桜」でお分かりのように4月中には遅くとも完成を目指していましたが、一ヶ月遅れてしまいました。
途中何度も挫折しました。
未完成のホームページを何枚も作りました。
一度でもホームページを作られた方は、わかってもらえると思いますが、
些細なミスでも、レイアウトは、壊滅状態になってしまいます。本当にパソコンは融通のきかない人間のミスを許さない奴です。パソコン大嫌い。思わず蹴っ飛ばしたくなることもしばしばです。でも、本当はパソコン大好きですが。
自分で考えて、こうすればうまくいくはずと思いやってみると失敗。本を読んだりネットで調べて次の解決策を考えてやってみると失敗これを何度も繰り返す。絶望感に打ちのめされる。でも頑張ってうまくいくと達成感があります。思わず万歳!
解決したあとで考えると結局は私の理解不足なのですが、僅かなことを気づくのに、何日も費やすということになるのです。ですが間違いなく理解は多少ですが進みました。
私なりのやり方というかトラブルが起こったらどうまず行動したらいいのかチェックすべきことはわかってきたような気がします。
まだ、理解できていないところもまだまだあります。
自分自身納得できていないところも正直あります。
これからも、勉強してより自分が思うホームページ作りをしたいと思います。
また、更新ももう少し短い期間でしたいと思います。
K君に、「ホームページ更新してへんな」と言われる前にね。がんばりま〜〜〜す。
3月の篠山マラソンは、今年は、走りませんでした。 走らなかったというより走れませんでした。1月の中旬から足を痛めて、少し休んで良くなって、走るとまた故 障これを繰り返し、結局今回は無理と判断してパスをしました。タイヤが傷んで走れない車という感じです。タ イヤは交換できますが、足は交換ができません。 マラソンの練習をする中で、心と体をより分離して考えるようになりました。体がなんとなく重い気がして今 日は、練習いやだなと思っても、我慢して走り出すと、体の調子のいいときは、心までだんだん変わっていって やる気になれることがある。きっと、心が悪さをして 走る前に体を重く感じさせているのでしょう。逆のこともあります。心はやる気満々でも、体は走れば走るほど 重くなる。疲労がたまっているのでしょう。心もだんだんいやになってきます。そんな経験から、心と体をより 分けて考えるようになりました。体(頭も含めて)は、どんな努力をしたかで ある程度決まってきます。心は、単純ですがわがままで、勝手気ままな印象です。なかなか体に協力してくれま せん。じゃまばかりしてきます。ですが、知らん顔をして、ほっておけばやがておとなしくなってくれます。時 間が解決してくれます。時間はすごいです。こんな心は私だけでしょうか? スポーツの練習も勉強も同じと思います。如何に正しい行動を日々積み重ねていくかです。季節が変わるように 、日々の天気が変わるように心は変わりますがそれに如何に行動が左右されないようにすることが大切思います 。しかし、難しい。巷で言われているような精神力を鍛えて、わがままな心とか悪い心をやっつけてしまう。ほ かの人は知りませんが、私には、無理・無理、現実的でない。そんなことをしたら一生精神修行で終わってしま います。自分の中にいろんな心がいて全然O.K.と思います。誰にも言いたくないようなことを考える自分も愛す べき自分です。自分の弱さを隠すのでなく認めましょう。 情けない自分がいるからこそ、弱い人にやさしくできる。間違った自分がいるからこそ、間違った人を許せる。 心と関係なく正しい行動をとる方法は、人それぞれでしょう。ひとつのヒントは、計画を心の中においておく のでなく外に書き出す。(目に見えるようにする)行動の記録をつける。(結果のチェック) お前は出来ているのかとつっこまれそうです。できていません。ここに書いたの機会に、 私も、頑張りたいと思います。
戻る小・中・高時代の友人が今の私を見るとビックリするでしょう。
運動は大の苦手・運動会の徒競走はいつもビリ、ボール投げもダメ、実技はまるでダメで何とかテストで点を採ってようやく3に滑り込んでいました。
大学院に入ってテニスをはじめて、飽きることもなく40年近くしています。そして、マラソンを25年やっているから自分でも不思議な気がします。
特にマラソンから得たものはとっても大きかったと思います。決して、新しいすばらしいことに出逢ったわけではないと思います。ほとんどの事が
言葉としては知っていたものを、実感として、強く体感できたということだと思います。努力を続けることの大切さ・効果、あきらめないことの辛さ、
それを我慢した者にのみ、味わえる歓喜等。言葉でなく強く体感できたことはすごく大きいです。
そして、現在の私の仕事にも大変役に立っています。もしも、運動(苦手)をやってなかったら、数学ができない子供の気持ち等わからなかったと思います。
どうしてこんなことができないのか。出来るか出来ないで評価していたと思います。
「結果よりも努力・過程が大切」 以前の私は、こう言ったほうが人間的に偉い・寛大さを持っていると思われる等
単に自分の評価を上げるために使っていたように思います。
ですが、マラソンを始めて良い結果を目指して、行動を積み重ねることがとっても大切で評価されるべきと強く信じられるようになりました。
今では自信を持って「結果よりも努力・過程が大切」と生徒に言うことができます。
例えばA君の受験は合格か不合格かで世間はいろいろ言います。
でも、彼の受験に向けての行動を真近で見ている者からすると受験の前日に、評価は下っているのです。
決して彼の合否で私の評価が変わるわけではありません。残念ですがいつも、神様が公平に合否を決めてくれるわけではありません。
世間は結果が全てと言われる方も間違ってないと思いますが、
小・中・高校生には、結果でなく結果を目指しての日々の行動で評価することは断じて間違っていないと思うし、そうあるべきだと思っています。
逆に、努力をせずに結果が悪いのを自分は苦手なんだと言っている子供には、厳しくなりました。
年齢が低いほど、苦手と言っている子供の100%と言ってもいいくらいの子供が正しい行動がとれていません。
私の目標でもありますが、
直せるのは頭でも、心でもなくて、日々の行動です。なかなか難しいですが。
1995年阪神大震災で、篠山マラソンが中止になった年です。練習はしていたので、代わりに静岡県の小笠・掛川マラソンに出た時のことです。
調子が悪く前半は自重して非常にゆっくり走っていました。それがよかったのか20kmあたりからから調子も少しずつよくなってきました。
そのころから、私を含めて3人が一緒に走っていました。周りより少しペースが速く、抜きながら走っていました。
マラソンには、ところどころに水・スポーツドリンク
・バナナ・飴等が置いてある所(エイドステーション)があります。一言も会話を交わすことなく、
一人が「水、取りますか」と言う表情をする。他の2人がうなずく、もう一人が「じゃ、私はバナナを」と言う顔をする。うなずく。
お互い取ったものをまわす。こんなことが、エイドステーションごとに、一言も喋ることもなく繰り返されていきました。
何というか今こうやって思い出しても、とってもいい気分で素敵な時間でした。まるで、つくったような不思議な3人のマラソンです。
残り5kmぐらいだったと思いますが、中の1人(私だったかもしれませんが)が、「少しペースを上げましょうか」という顔をしました。
中の1人(これが私でないことは確か)「いや、私は無理なので2人でどうぞ」と言う顔をしました。
2人が「じゃ、お先に」と少しペースを上げてそのまま2人でゴールまで、並んで走りました。
そして、一言も言わずに握手、そして、「もう1人を待ちましょう」と言ったわけでもないのに2人でそのまま、もう1人を待ちました。
やがて、残りの1人もゴールしました。3人で握手そして、一言も言わず「じゃ」と言う顔をして別れました。
いま、思えば途中から喋らないのが3人の中の暗黙の申し合わせだったのでしょう。
喋ると、今それぞれが感じているいい気持ちがただの普通の出来事になってしまうのを恐れたのかもしれません。
もちろん、こんな経験は後にも先にもこのときだけです。私のとっても大切な宝物です。思いだすたびにとってもいい気持ちになります。
本当に貴重な経験でした。人生ってこんな事があるから素晴らしい!!!!
タイムは、4時間28分39秒当時としては決していいタイムではありませんが、
はじめて、前半より後半のほうが速く走ったマラソンで、ゴール後も少し余力を感じるマラソンでした。
はじめて、マラソンに勝ったという気持ちになりました。
これ以後も、後半のほうが早いマラソンを走るとすごく充実感があります。
前半を抑えて後半を前半より速く走るこれがわたしの目指すマラソンですが、
自分の体とはいえ生身の体が相手ですのでなかなかうまくいかないので現実です。
コントロールできない部分(いや大半かも?)があり、当日走りながら自分の体にお伺いをしながら自分の目指すマラソンをする。
これも、マラソンの楽しみです。
いやあ、本当に人間って面白い生き物です。
これは、マラソンの距離42.195kmの語呂合わせです。
私の初マラソンは、約1年の準備をした後1986年3月9日の篠山(兵庫県)マラソンです。
市民マラソンとしては、当時から有名で参加者は、1万人前後です。
篠山マラソンの制限時間は、市民ランナー向けの大会としては厳しく5時間(一般的には6時間から7時間))私のような遅いランナーは後ろからスタートなので、スタートラインまで5分以上かかるので実質5時間弱です。そして、途中5ヵ所の関門が立ちはだかっています。1km7分のペースで5時間弱でゴールですが、1km7分では、途中の関門を通過できません。
コースは、30kmから35kmの間に飛曽山峠があり、その後にもっとも厳しい関門制限がにあったので、まさしく如何に飛曽山峠を超えるかが完走できるかどうかのポイントでした。(現在はコースが変更され名物の飛曽山峠越えはなくなりました)。
よく言われるように、マラソンには、35kmの壁と言うのがあります。わたしも、その洗礼を受け
35キロ過ぎては、大変苦しく歩いたり、走ったりで、もう二度と走らないと何度も思いながら、何とか目標の4時間を切ってゴールをしたのを覚えています。
ゴールも走る前に自分が思っていたほどは、感動はしませんでしたがいい感じなんです。そしてなんともいえない達成感があります。なんと表現したらいいのか似た感覚の経験がないので、例える事はできません。マラソンを走ってゴールすれば、感動は人それぞれでしょうが、味わったことのない感覚・気持ちになれると思います。篠山が制限時間等が厳しいのも要因かもしれませんが。その静かな感動がまた来年走ろうという気持ちに、私をさせることは事実です。
ゴールして足をひこずりながらの帰宅中(体は悲鳴を上げていますが、電車で、おでんを肴に飲むビールのうまいこと最高!!)には、もう来年のマラソンのことを考えていました。
確かに完走するためには、走り込みが待っています、それを考えるといやになりますが、走りこみの時も、レース中のことそしてゴールのことをを思い出すと頑張る気持ちもわいてきます。そして、準備(走りこみ)さえすれば私のようなものでもO.K.なのがマラソンです。
走りこみのおかげで、私は、健康です。私にとってマラソンは、「死に行く5キロ」ではなく
「生きに行く5キロ」かな?
追伸 7月は、本日(28日)までで、210km走りました。
「愛は知の極致」というは、私が中学時代のとき、英語の竹田先生が言っておられた言葉です。
先生の説明は覚えておらず、私の中では竹田先生(当時新婚)と言えば授業中に突然自宅の方向に向いて
今、妻がこちらのほうを見ています。私たちは、心が通じ合っているからわかりますといったことを
ひととおり述べられる。それが、いつもでした。
話を本題に戻して、私は、この仕事をするようになってから
よくこの言葉を思い出すようになりました。例えば、数学が嫌いな子供は、数学を知らないだけ数学を知れば好きになると考えています。
もっと言えば数学を理解すれば好きになって、できるようになると思っています。できるようになって好きになるのもあると思いますが、
この場合、ある程度の計算力と解法を記憶すればできるようになって好きになる子はいますが、理解が欠けていると高校の数学になると
できなくなるパターンが多く、できなくなると嫌いになっていきます。数学が好きではなく、できたから好きだっただけですから当然です。
極端に言えば、下手の横好きでいいと思っています。もちろん、うまくなって欲しいのは教える立場から当然ですが。じゃ、理解するにはどうすれば
よいか、一つは調べて、知る努力をすること、
わかろうとすることだと思います。
子供たちは「わからない」と言う言葉を「覚えられない・できない」場合にも使います。
覚えようとしている子供は覚えたか覚えないかしかないはずです。
「わからない」と言えるのはわかろうとしている人だけのはずです。
数学でなく人に関しても言えると思います。
例えばある発言でその人を嫌いになったとします。何故そんな発言をしたかより深く知り理解すれば
愛が生まれ許せるのではないでしょうか。許せないと言うのは、無知のなせる業ではないでしょうか?(私も、反省あるのみ)。
少し前では、見合いで1回あっただけ結婚それから、お互いを知ることで愛が生まれすばらしい夫婦になられるというのはよく聞くのではないでしょうか?
たとえ犯罪者であっても弁護士はその人についていろいろ調べていく過程で、理解し愛が生まれ、できるだけ助けようとするのではないでしょうか?
嫌いな人がいても、その人をよく知らないだけだと思うだけで、こちらの気持ちは軽くなりませんか。
今回このホームページが無事完成?したのも、一重に大学時代の友人の永井君のお陰です。
まずは彼に感謝の意を表したいと思います。
彼にホームページの相談をしてスタートしました。
程なくして、彼が雛形を作ってくれましたが、
私がHTML言語(ホームページを書くための言語)を勉強したいといい彼も賛同してくれました。
私がつい彼にわからないことを聞くと
彼は私に「生徒には「わからなかったら調べろ」と言っているお前がすぐ聞くのはおかしい」
と言う意味のことを言われました。これには完全に参りました。本当に反省あるのみです。
人間(私)は、人に厳しく、自分に甘い。(これも、いつも生徒に言っていることですが)
本当に、私の弱さ・甘さを実感させられました。生徒にたいして、恥ずかしいです。
でも、彼が、突き放してくれたお陰で自分ではかなりわかってきたし達成感を味わうことができまし
た。
努力をして何かを得る喜びを実感できました。本当に頑張った後の爽快感・達成感はいいものです。
いくつになっても日々勉強です。
硬くなった頭をほぐしてみませんか?
これから、角度の問題を何問(難問?)か紹介したいと思います。
頭のストレッチには、図形問題は最適です。
気長にあきらめずに頑張って!
答えは、メールでお願いします。
正答者は、このホームページに掲載したいと思います。
掲載をご了解いただける方は、氏名もご連絡ください。
もちろん、本名でなくてもいいです。
お待たせしました。第7問です。
第6問正解者
風間洋平・不思議数、完全数
第5問正解者
智秋君
第4問正解者
塾生・・・中野弟君
第3問正解者
塾生・・・中野弟君、大下さん
テニス仲間のアベさん,ミヤザキさん,大学院研究室の後輩のH君
第2問正解者
テニス仲間のアベさん,大学院研究室の後輩のH君
第1問正解者
テニス仲間のアベさん,大学院研究室の後輩のH君