クルマこぼれ話 / MAZDA CAPELLA−WAGON




今でこそCAPELLAのワゴン版はCAPELLA WAGONだけど、先代の途中からこの名前になったんでしたよね、確か・・・。

それまでどんな名前だったかというと、覚えておられるとは思いますが、CAPELLA CARGO!!

何で途中から名前が変わったかというと、「JAL」だったか何処かの航空会社からのクレームだとのこと。

「こちらの貨物関係の仕事を『CARGO』と称してやっているのに、同系列かと思われて困るロゴも似ている!!」と言う内容だったと思う。

で、MAZDAはあっさりと改名。。。


この他にも、バブルがはじけてからのMAZDAは散々でしたね。

@  今のCIマーク(←これね)から数えて先々代のCIマークは「ルノー」から

ウチのCIマークに瓜二つじゃないか!!生産したマーク数 x 一個当たり100円をこちらに支払え!!」

って賠償問題になっちゃうし・・・。


A  ブランドの統一感を前面に押し出したアンフィニ店での数字による名前戦略(「MX−6」「MS−8」「MS−9」等)なんかも、

結局は日本人になじめず、日本国内からはそっぽ向かれちゃうし。。。(この話は「MILLENIA」にも記載)


B  せっかく優勝を勝ち取った「ル・マン」ではロータリーエンジンの締め出し※1食らっちゃうし・・・。(正確にはこれはバブル後の話じゃないけどね)


C  バブル期に広げた4ch体制も、バブル後は崩壊しちゃうし。(そもそも、こいつがバブル後のMAZDAの低迷の原因
(「MAZDA店」・「アンフィニ店」・「ユーノス店」・「オートザム店」の4ch)


MAZDAについての悲しい話は沢山ありますが・・・、前を向いて行きましょう!!



※ ソースは全て雑誌による受け売りです。(笑)



※1 今年2002年、ル・マンに復帰しましたね!



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