始まりの旅〜伊吹山

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V型2気筒の懐かしい低い音が響く。

 免許を取ったばかりの頃。腕もおぼつかなく、走るので精一杯。親の不安な眼差し。弟が免許を取り、父がツーリングに連れだしてコーナーを曲がりきれずに事故を起こした時の父の心境。私は様々な気持ちをこの旅で感じることになる。

 朝。母の「気を付けてね」という言葉に頷きながら家を出た。ツーリングに行くときはいつもこう言われる。何気なく聞いている言葉だが、いつも、いつまでも心配してくれているのだということなのだ。あらためてそれを感じる。肝に銘じなければいけない、今日はそんな心境だった。

 11月のこと、PBMの交流誌で知り合った友人Dが免許を取ったのでツーリングに出ることとなった。どんな人だろうか。会ったことも電話したこともないのでまったく知らないと言ってもいい。不安と期待が交錯する。時間はかなり取っていたのでゆっくりと三重県桑名市に向かいながらそんなことを考えていた。

 コンビニにはすでにDのゼルビスが停まっていた。中に入って探す。顔は知らないから風体で探すしかない。すぐには見つからなかった。奥に喫茶室があり、そこに色白で優しそうな好青年が居た。Dだった。軽く雑談をし、店を出る。V型2気筒の懐かしい低い音が響く。弟も、たまに一緒にツーリングに行く友人Aもゼルビスに乗っていたのだ。どういう性能のマシンかある程度知っている。その点で気分は楽だった。私が先頭に立ち、北にある伊吹山目指して走り出た。

ツーリング中らしきバイクにはピースサインを送る。

 多少道に迷ったり崖崩れで進路変更もあったが、ほどなく伊吹山スカイライン入り口にに着いた。しばらく4輪の途切れるのを待ってから駆け登る。後ろを気にして、ミラーを見ながらいつもより遅いペースで走る。友人が遅れればさらにペースを落とす。それでも4輪を何台か抜いた。道を空けてくれた4輪に手を挙げて行く。4輪が追いついてきたら、脇に止めて抜いて貰う。ツーリング中らしきバイクにはピースサインを送る。Dは走るのに必死でそこまで気が回らない様だったが、こういった教習所では教えてくれない礼儀を示すのも私がやらないといけないことだと思うのだ。しかし、気が気でない。ミラーを何度ものぞき込む。私も初めての峠道はかなり怖かったし、それに何かあったらと思うと楽しむ余裕もない。もっとも、今回は最初から自分の好きなペースで走れなくて楽しくないかもと思っていたから、逆に心配で楽しいとか楽しくないとかそういうことを感じる暇もなかったのはよかったと言えたが。

伊吹山からの展望 13kb

 伊吹山の駐車場に着くと、少し景色を眺めて写真を撮った。天気が良くないのが残念だ。そこから頂上目指して登った。Dは登ると思っていなかったらしいから、私の独断だ。伊吹山は、そう、乗鞍に似ているだろうか。高い樹が無くて、地を這うような低木が山肌に生えている。ぬかるんだ山道を30分ほど登っただろうか、少し晴れ間が見えてきた頃に頂上にたどり着いた。人が多いのが残念だが、そこから眺める景色は私の期待を裏切らなかった。周りに同じくらい高い山がなく、周囲を一望できるのだ。

 綺麗、というのではなく、どちらかというと感動、感動よりも少し低いくらいの感情が私を包む。前の年までならこの景色を見てもそう感じなかったと思う。97年になって、そういった山の景色、今までだったらなんとも思わなかった様なごくありふれた景色に感動する様になった。だからより旅が好きになったし、山に登るのだ。Dはそんな気持ちでこの景色を見ているだろうか? もし今はそういう風に見ていなくても、いつかそういう目で山の景色を見ることになるだろうか? そうであって欲しいと願うのは私の勝手な願望ではあるけれども。

よくネタが尽きないものだと思うが...

 ぬかるんだ道を降りて、予定より早くに目的を達してしまった私たちは駐車場で今後の事を協議する。と言っても私の独断に近い。誰かと一緒に旅に出て、一人の時と同じ様に自由に進路を決められると言うのは今までなかったことで、一人の時の自由さと誰かといるという楽しさの2つを味わう。こういうのもいいものだと思うがそんな楽しみがあることをDはどう思っているだろうか。ともかく下山することにし、下りの峠道を走る。下りの方が怖いので、彼のペースが来るときよりも落ちる。私もそうだったと思い出す。下りなんか怖くてガチガチだった気がする。誰もが通る道だろう。それを乗り越えたら楽しさが待ってるからな、と心の中で応援した。

 急に腹が減ってきたので、降りてすぐの食堂に入った。かつとじ定食だったか、ここの飯はうまかった。飯を食べながら走りの事やバイクの話をする。実は休憩毎にそんな話をしているわけで、よくネタが尽きないものだと思うが、これがなかなか尽きないものだ。 その後、一旦南下して西に進路を取った。特に何かがあるわけではない。今から帰っても早いので、楽しそうな峠道を地図で見当をつけて走りに行っているのだ。今回のツーリングの私の真の目的は友人に早く峠の走り方を憶えて貰おうというものだったから、あえてそういう道を選んだ。早く私や別の友人が楽しいと思えるくらいのペースで走れるようになって欲しいと思っているからだ。試しに鞍掛峠というところで、少しDに先頭を走ってもらう。意外にいいペースで走る。ずいぶん慣れてきたらしい。少し安心したが、下りになると先頭を交代して少し押さえて走った。実際には責任なんて無いのだけれども、やはり何かあったらと考えてしまう。

 道を間違えて遠回りしてしまった。ほぼ休憩無しだったので、道の駅「あいとう」で休憩する。時計を見ると5時10分ほど前だったろうか。もうひと峠越えねばならない。暗くなる前に越えようと先を急いだ。しかし11月の夜は早くてすぐに暗くなってきた。私はもう遠慮せずに自分のペースで走る。Dも慣れてきていたことだし大丈夫だろうという判断だ。しかしついに真っ暗になってしまった。暗くなければ私の好む様な森の中の細い道なのにと残念に思う。しかししばらくするとこれが国道かと思うような酷く荒れた道になった。路面状況が読めないのでどうしてもペースが落ちる。これではDは辛いだろう。自分の選択ミスを悔いるがもう遅い。いまさら引き返せない。進むしかないのだ。

私の、ちょっとした願掛けでもある。

 ようやく抜けて街に入った頃にもう一度道を間違えた。いきなり「…道間違ってる」なんて言われたら、Dは不安じゃなかろうかと思ったが、間違ったものはどうしようもない。ガソリンスタンドで道を聞いてあらためて出発。

 高速道路入り口、名残を惜しむつもりはないと言ったのだが、つい話し込んでしまった。いつでも会えるんだから名残を惜しむことはない、というのが私の考えだ。これには別れてから事故るんじゃないぞ、無事に会おう、の意味を込めた、私の、ちょっとした願掛けでもある。少し破ってしまったが、無事に会えることを祈りつつ、別れた。

 人間、ちょっとしたことでも護らねばならないものがあるのだと思う。そして、護りたくても護れないものも。バイクに乗る他人は、誰も、親でも護れない。それでも心配し、期待してしまう。そうするしかできないから。そのことを、肝に銘じておかなければ。もちろん、バイク以外のことでも。


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