31番 台雲山(たいうんざん) 花岳寺(かがくじ)

【参拝日】2006625
【場 所】〒678-0239 兵庫県赤穂市加里屋(かりや)1992
【交 通】JR赤穂線「播州赤穂」駅で下車し、駅前通りを南へ歩き、花岳寺通りへ右折し、直進すると山門(約10分)に到着する。
【 車 】国道2号線の相生より、国道250号線に入り、赤穂駅前を南側へ、標識に従って、約500m程で山門。山門から入って境内
     に駐車場あり(無料)。山門に到る道路が狭いので大型車(バス)は、近くにある赤穂城跡前に駐車するしか無い様である。
【拝観料金】大人300円、小中学生100
【拝観時間】8:301700
【電 話】0791-42-2068
【宿 泊】なし
【主な行事】24日:義士命日法要、314日:浅野長矩公命日法要、48日:花まつり、810日:四万六千日観音まつり、1214日:義士追慕法要
【宗 派】曹洞宗
【本 尊】釈迦如来、千手観世音菩薩
【開 基】浅野長直公
【創 建】正保2年(1645年)
【御詠歌】 よろずよの 人のかがみと 匂(にお)ふなる 花岳寺(はなおかでら)の 庭のいしぶみ
【解 説】 この寺は、東京の芝高輪の泉岳寺とともに、赤穂義士で有名な寺である。山門(写真1)は、元禄時代の貴重な建物で、赤穂市文化財に指定されており、赤穂城の塩屋総門を明治の初めにここに移したものと云われている。境内には、正面に「本堂」(写真2)が見える。
 「本堂」は、二重屋根の建物で、浅野長直公が奉納したと伝えられる釈迦如来が本尊として祀られている。「本堂」を入って直ぐ上の天井に「天井絵」があり、もとは5月の節句の幟(のぼり)として描かれた虎の絵で、安政元年(1854年)に赤穂の画家の法橋義信によるものである。「本堂」の前に、「大石名残の松(2代目)」(写真3)がある。1代目の大石名残の松(写真4)は、元禄4年(1691年)に大石良雄が母の冥福を祈って植えたもので、元禄14年(1701年)に大石良雄がこの地を離れるときに、この松の木の下で名残を惜しんだところから、「大石名残の松」と呼ばれるようになったと云われている。この1代目の松は、昭和2年(1927年)に松食虫により枯れてしまい、現在の松は2代目の松である。1代目の松の切り株(写真4)は、境内の休憩所に展示されている。
 境内の東側に、鐘楼があり、これは「鳴らずの鐘」(写真5)と呼ばれるものである。この鐘は、赤穂2代目藩主浅野長友公が、父の浅野長直公の冥福を祈るために奉納したといわれている。3代目藩主浅野長矩公の刃傷事件の後、元禄15年(1702年)の四十七士の討ち入り、元禄16年(1703年)2月に、赤穂浪士が全員江戸で切腹を言い渡され、この悲報を聞いた町の人々が冥福を祈り、この鐘をつきまくったため、鳴らなくなってしまったところから、「鳴らずの鐘」と云われている。その後、改鋳され、現在はこの鐘は鳴るようになっている。
 本堂の左の納経所で拝観料(300円)を支払うと、赤穂浪士にちなんだ「義士木堂像」、「義士墓」、「大石家先祖の墓所」、「義士家族の墓」、「浅野長直公の墓」、「中国より渡来の石仏」(写真6)、「義士宝物館」等を見ることが出来る。「義士木像堂」の内壁面には、義士三十三回忌から百回忌にかけ刻まれた赤穂四十七士の木像が配置され、正面には大石家の守り本尊「千手観音像」、および「浅野長矩公の位牌」が安置されている。この本尊は、一尺八分(約6cm)の小さな像で、唐の玄宗皇帝の作と云われ、海外出兵のときとか、大阪夏の陣のときに、大石良雄の祖先がこの像を持って行って、奇蹟的に勝利したと云われており、元禄15年(1702年)大石良雄が、吉良邸に討ち入った際に、この観音像を持っていたと云われており、目的を達成出来たのはこの観音像の霊験によるものと云われている。これにあやかろうと、現在では受験生がこの御影を「勝運御守」として受けるようになっている。

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(1)山門

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(2)本堂

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(3)大石名残の松(2代目)

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(4)大石名残の松(1代目)

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(5)鳴らずの鐘

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(6)中国より渡来の石仏