28番 五峰山(ごぶさん) 光明寺(こうみょうじ)

【参拝日】2006528
【場所】〒679-0213 兵庫県加東郡滝野町光明寺
【交通】JR加古川線で「滝野」駅下車、線路沿いに加古川方向に250m程の交差点を右折し、約1.2Km北西方向に歩いて行くと、
    光明寺の表参道石門がある。ここから舗装道路を約300m登って行くと、光明寺の駐車場に出る。
【車】中国自動車道の「滝野・社」インターチェンジを降り、料金を払って真ん中の道路を進み、直ぐの「北野」交差点を右折し、
   加古川にかかる橋を通り過ぎ、2つ目の信号のある交差点を左折し、2つ目の交差点(信号が無い)を右折して、JR加古川線の
   高架を渡り、次の信号のある交差点を右折して、直ぐの次の信号のある交差点を左折して、約1Km走ると、光明寺の表参道石
   門がある。ここから舗装道路を約300m登って行くと、光明寺の駐車場(無料)に出る。
【拝観料金】無料
【電話】遍照院:0795-48-2679、大慈院:0795-48-2089、花蔵院:0795-48-2049
【宿泊】なし
【主な行事】11日〜7日:修正会、節分の日:節分会、215日:涅槃会、春分の日:彼岸会、421日:弘法大師御影供、
      53日:釈迦誕生花祭り(仏生会)、816日:施餓鬼法要、秋分の日:彼岸会、毎月18日:観音縁日
【宗 派】高野山真言宗
【本 尊】十一面千手眼観世音菩薩
【開 基】法道仙人
【創 建】推古天皇2年(594年)
【御詠歌】 あや雲(くも)の 空(そら)になびきて 光明寺(こうみょうじ) 仰(あお)ぐ五(いつ)つの 峰(みね)は晴れたり
【解 説】 表参道石門から緩やかな舗装された山道を約300m登っていくと、五峰山(ごぶさん)の七合目近くに駐車場がある。駐車場から境内石門(写真1)を通って、急な坂道を登って行くと、多聞院、遍照院、大慈院、二重塔(写真2)を経て、花蔵院に着く。花蔵院が納経所でここに納経帳を預けて、本堂目指して歩いていく。仁王門(写真3)をくぐると、文殊堂(写真4)、鎮守社、常行堂(写真5)がある。さらに進むと本堂(写真6)が荘厳な姿を現す。
 建て看板によると、『光明寺本堂(金堂): この建物は、大正14年(1925年)4月故武田五一博士の設計により、鎌倉時代の建築様式をもって再建されたものである。屋根は、銅板葺きの入母屋造りで九間四面(270平方メートル)の広さをもつ。内陣の宮殿には、法道仙人の作と伝えられる本尊千手十一面観世音菩薩と脇士として不動明王と毘沙門天の二尊像を奉安する。又脇壇には、当山開基法道仙人・聖徳太子・宗祖弘法大師の各尊像も合わせて安置してある。外陣は、畳敷で一山の主なる法要はここに於いて厳修される。新西国第二十八番、播磨西国第十八番の霊場である。』と書かれている。
 本堂の左手を奥へ進むと、光明寺合戦本陣跡があり、ここにの説明用看板には、『観応2年(1351年)2月、足利直義方の石塔頼房が五千余騎で当山にこもったとき、本堂及びこのあたりに本陣が置かれたと推定される。往時の光明寺は、本堂の西と南に僧坊が集まり、表参道や仁王堂も南の山腹にあったらしい。そのため、寄手の総大将・足利尊氏は引尾山に陣し、高倉山から仁王堂を攻めた。つまり、こちらが大手であった。寄手と城方愛曽伊勢守が激しく戦ったのも、この仁王堂付近である。表参道が東坂に移り、仁王門が現在地に建てられたのは、近世初期と思われる。 滝野町観光協会 』と書かれている。
 光明寺の寺伝では、第33代推古天皇の御代、法道仙人がこの地を訪れた時に、老翁が現れて、観音像を渡し、「非常に秀麗なこの山は、観音さまをおまつりするのに適した霊地であるので、ここを開いて永久に庶民を守る寺を建てなさい。私は武甍槌の神です。」とお告げになり、大衆信仰の霊場として開かれたと伝えられている。
 帰りに、花蔵院に立ち寄り、300円を払い納経帳を受け取って帰る途中に、役(えんの)行者像(写真12)が参道から少し脇に入った所にあるのに気がつき立ち寄った。

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(1)境内石門

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(2)二重塔

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(3)仁王門

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(4)文殊堂

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(5)常行堂

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(6)本堂