26番 大谷山(おおたにさん)大谿寺(だいけいじ) 伽耶院(がやいん)

【参拝日】2006416
【場 所】〒673-0513 兵庫県三木市志染(しじみ)町大谷
【交 通】神戸電鉄の「新開地」駅から「粟生(あお)」行き、または「志染(しじみ)」行きに乗り、「緑が丘」駅下車。
     神姫バスで、「グリーンピア三木」行きに約15分乗って、「伽耶院口(がやいんぐち)」で下車、徒歩約800mで現地。
【 車 】山陽自動車道「三木東」インターで下車し、出た所の「御坂北」交差点を右折(北上)し、次の「伽耶院口」交差点を
     右折して約1Kmで山門前に無料駐車場あり。
【拝観料金】無料
【電 話】0794-87-3906
【宿 泊】休憩100人、費用志納
【主な行事】11日〜3日:修正会(重要文化財毘沙門天公開)、823日〜24日:万灯会、体育の日(10月第2月曜日):採灯大護摩
【宗 派】本山修験宗
【本 尊】毘沙門天
【開 基】法道仙人
【創 建】大化元年(645年)
【御詠歌】播磨寺(はりまじ)や 伽耶(がや)のみ寺の 花の庭 てらすは法(のり)の 光(ひかり)なりけり
【解 説】 納経所で頂いたパンフレットによると、伽耶(がや)院は、大化元年(645年)法道仙人を開基とし、孝徳天皇の勅願により建立された。平安中期には、堂宇数十、坊塔百三十余坊と記され、花山上皇の行幸を得るなど隆盛を極めたが、秀吉による三木城攻めの兵火、および慶長14年の失火により全山焼け落ち、現存している諸堂は、それ以降の建立である。古くは大谿寺(だいけいじ)、あるいは東一坊として記録にあらわれ、伽耶(がや)院の称号は、天和元年(1681年)にインドの仏陀伽耶(ブダガヤ)にちなんで、後西上皇から賜ったものである。中世以降、聖護院末の修験寺院として活動を続け、江戸時代には天台系山伏を統率する四院家の一つとして修験界に威をふるった。現在でも10月の体育の日には、各地から200余名の山伏が参集して、近畿地方では最大規模を誇る採燈大護摩が行われる。
 仁王門(写真1)をくぐり、桜の綺麗な通りを進むと、左手に庫裏入り口がある。庫裏を左に見て、さらに進むと二天堂(写真3)がある。二天堂は、慶安2年(1649年)再建されたもので、通常の中門に相当し、鎌倉期の作と云われている持国天、多聞天を安置している。ここをくぐると、本堂(写真4)が姿を現す。本堂は、慶長15年(1610年)3月に再建された五間五面単層造本瓦葺で、重要文化財に指定されており、本尊閻浮檀金毘沙門天が安置され、御前立毘沙門天、脇立は不動明王、三宝荒神で鎌倉時代の作と云われている。本堂の左側には、市指定文化財の行者堂(写真2)がある。その右側に仲よしポックリさんがあり、横の立て札に『下の世話にはなりとうないと言っておられたやぶなかのおばあちゃんは92才で亡くなられる直前まで草引きそうじと働き続けられ、まえだのおばあちゃんは3日間だけしもの世話になって95才で旅立たれました。これらのおばあちゃんをしのんでこの像が造られました。』と書かれている。
 本堂の右に三坂社があり、当山の鎮守三坂大明神を祀ってあり、慶長15年(1610年)の建立と伝えられ、重要文化財に指定されている。三坂社の右側に多宝塔(写真5)がある。多宝塔は、正保4年(1647年)の建立で、小倉城主源忠真の寄進によるもので、相輪は昭和60年(1985年)に復元されている。多宝塔の中には、弥勒菩薩が安置されており、10月の採燈大護摩の日に開扉される。 多宝塔の右側に臼稲荷があり、多くの臼が積み上げられ、その上に祠が置かれている。昔、田に水を溜めておくために、田の水の出口に古い臼を置き、自分の田から水が出るのを防いだ。ある干害の年に、狐が老人に化けて村中の田にあった臼を取り、水を均等に分配した。これを見て村人は、今までの自分たちの愚かさを恥じて、臼をここに奉納したと云われている。

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(1)仁王門

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(2)行者堂

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(3)二天堂

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(4)本堂

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(5)多宝塔