24番 上野山(じょうやさん) 須磨寺(すまでら)

【参拝日】2006122日 【場 所】〒654-0071 神戸市須磨区須磨寺町4-6-8
【交 通】山陽電鉄本線「須磨寺」駅で下車し、出口を左へ「須磨寺駅前商店街」を抜けると交差点に出る。
     正面左に交番があり、交番の横に「大本山須磨寺」の石標の立っている道を進むと現地。須磨寺駅から約10分。
【車】国道2号線の須磨駅の約200m東の「千守」交差点を北上し、2つ目の信号のある交差点(左に交番)を通り過ぎ、
   次のY字路を左折して道なりに進むと須磨寺。境内に駐車場可。大型車(バス)は、先ほどの交番のある交差点を
   左折すると交番の隣に駐車場がある。、先ほどの道は狭いので、普通車もここに駐車して参道を歩いて行った方よい。
   【拝観料金】無料
【電 話】078-731-0416
【宿泊】なし。休憩は、300人程度までなら可能。湯茶接待は、一人200円。
【主な行事】11日〜3日:開運修正会、120日〜21日:初大師、春分の日:衣替大師(正御影供)、47日〜8日:花まつり、615日:青葉まつり、毎月7日:敦盛忌、毎月18日:18日観音法要、毎月20日〜21日:弘法大師御影供
【宗 派】真言宗須磨寺派大本山
【本 尊】聖観世音菩薩
【開 基】聞鏡上人
【創 建】仁和2年(886年)
【御詠歌】 世にひびく 青葉の笛の 名にぞきく すまのみ寺の 松風の声
【解 説】 JR「須磨」駅を下車し、駅を北へ進み、国道2号線に沿って東へ100m程進むと、左手に「村上帝社」のある交差点を左折し、北へ約400m程度進むと、左側に交番のある交差点に出る。交番の右側に「大本山須磨寺」の石標があり、細い交番の右側の道を北上すると、赤い欄干のある「龍華橋(りうげばし)(写真1)」の手前右側に「神戸震災地蔵尊」がある。
 「龍華橋」の手前左側に「正覚院」があり、ここの本尊は須磨寺の塔頭の一つの愛染明王である。「龍華橋」を渡ると、「仁王門(写真2)」があり、この仁王門は源頼政が再建したといわれており、ここの金剛力士像は、運慶と湛慶の作といわれている。仁王門を入って右手に「五鈷水」と呼ばれる手水場があり、その中央に「弘法岩」が置かれている。平成12年初の手水場の建設計画時、弘法大師の宝前での祈りの際、きれいな水が湧くことがわかり、弘法大師にちなんで「五鈷水」と名づけられた。また祈りの際、僧の形がぼんやり浮かんで来て、これを弘法大師の姿と考えて、四国の石鎚山で高さ2.7m、重量13トンの大岩をここに運んだといわれているのが「弘法岩」である。
 「五鈷水」の右側に、「千手観音」がある。参道の左側に「若木の桜」があり、これは弁慶の制札で有名である。 その奥に「源平の庭」がある。ここは、一ノ谷の平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した場所である。平家物語の中でも語られているが、平敦盛は、一ノ谷で殺されてしまう。「源平の庭」の奥に、「わらべじぞう」がある。左から、『願いを聞いてくれ、一緒に考えてくれ、一緒に祈り、教えを大切に守り、一緒に喜んでくれ、ああつかれたと大あくびをする癒し地蔵』である。「わらべじぞう」の左側に、「七福神マニコロ」があり、亀の上の丸いボールに描かれているのは、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋和尚の神仙七人で、「七難即滅、七服即生」人々に福・徳・壽の幸運を授けるといわれている。左側に立て札があり、そこには『・七福神を回しながら拝んでください。・亀の背中に乗ってもかまいません。・七福神の上には乗らないでください。バチが当ります。』と書かれている。
 「七福神マニコロ」の反対側に、「ぶじかえる:写真3」があり、ここの立て札には、『ボクは、目玉と首がまわる蛙です。ビックリしたい人は目玉を、借金で困っている人は首をまわして下さい。』と書かれている。 「ぶじかえる」の奥に、「宝物館」があり、ここは無料で自由に見ることが出来る。展示品の中に、平敦盛が一ノ谷の合戦で討たれる時まで身につけていた「青葉の笛」や、「平敦盛の木像」、「一絃の須磨琴」、「弁慶ノ鐘(写真8)」等ある。 「宝物館」の右側を進むと、「唐門(写真4)」があり、ここをくぐり境内に入ると、正面に荘厳な姿の「本堂(写真6)」がある。過去何度か火災に会って焼失しているが、現存している「本堂」は慶長7年(1602年)に豊臣秀頼の再建によるものであり、また2001年に改修工事がされており、比較的新しい感じがする。
 「本堂」の奥に、重要文化財の「宮殿」があり、その中に本尊の重要文化財「聖観世音菩薩」が祀られている。 「本堂」の左側には「大師堂」、右側には「護摩堂(写真5)」がある。「大師堂」には、「須磨のお大師さん」で親しまれている弘法大師が祀られている。 「大師堂」の左に、「義経腰掛の松」がある。枯れた大きな松の木の一部が置いてあり、一ノ谷の合戦の時に討ち取った平敦盛の首をこの松に座って実地検分したといわれている。その前に小さな池があり、ここで、平敦盛の首を洗ったといわれている「敦盛首洗池」がある。その左に、「経木供養所」があり、その左側に「神攻皇后釣竿竹」がある。この竹のいわれは、神攻皇后が三韓遠征からの帰りに佐賀県の松浦川で鮎釣りをした釣竿をこの地に埋めたが、そこから芽生えた竹がこれだそうである。「釣竿竹」の左横が「弁天社」で、この左側に「石五仏」が立っている。「石五仏」の左に「出生稲荷」があり、定年退職してもう出世とは縁がないが、なんとなくひかれてお参りをした。「出生稲荷」の左手に「三重塔(写真7)」がある。「三重塔」は、文禄大地震(約400年前)で倒壊したが、昭和59年(1984年)に、弘法大師1150年忌、平敦盛800年忌、寺開創1100年を記念して再建されたといわれている。 「三重塔」の左側に、「親子地蔵尊」、その前に「きんぽとん童子」があり、立て札には、『きん(金太郎のように健康で)ぽ(浦島太郎のように夢をもって)とん(敦盛のように心やさしく音楽を愛してほしい)との願いをこめて子供を守ってくださる金浦敦(きんぽとん)童子です。』と書かれている。 「親子地蔵尊」の奥に、「敦盛公首塚:写真20」がある。「三重塔」を右に見て奥へ進むと、「五猿」があり、左から、『見ざる、言わざる、見てござる、聞かざる、怒らざる』と並んでおり、猿の頭にセンサーがあって、頭をなでると手を動かす。 この奥が、お墓郡で、ここには「六地蔵」、「シベリア慰霊塔」、「魚鳥塚」等の珍しいお墓がある。「経木供養所」の正面に「書院」、「庫裏」があり、そこの庭に「青葉の笛碑」、「朱印蔵」、「源平の梅」、「流水庭」等があり、ここには、この寺にちなんで読まれた句碑が立っている。その1つが「芭蕉の句碑」で、「須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇」と刻まれている。納経所に行くと、須磨寺の境内の案内図をもらえるが、その裏面に須磨寺の句碑、歌碑、文学碑の一覧が記されている。須磨寺は、非常に古いお寺で、いろんなものがあり、じっくり見ると結構時間がかかる。今回は「奥の院」まで行けなかったが、もう一度春頃に来て、「奥の院」にも行きたい。また、近くに「須磨離宮公園」もあり、春頃の散策が楽しみだ。

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(1)龍華橋、仁王門

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(2)仁王門

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(3)ぶじかえる

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(4)唐門

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(5)護摩堂

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(6)本堂

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(7)三重塔

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(8)弁慶の鐘