第10番 仏頭山上宮院(ぶっとうざんじょうぐうこういん) 橘寺(たちばなでら)
【参拝日】2005年9月24日
【場所】〒634-0142 奈良県高市郡明日香村橘
【交通】JR「大阪駅」から大阪環状線内回りで「天王寺駅」下車、近鉄南大阪線「あべの橋駅」から吉野行で「橿原神宮前駅」下車、
奈良交通バス「岡橋本」下車3分。
【車】国道24号線を橿原市内で、国道169号線に入り、岡寺駅前交差点を左折して5分。
【拝観料金】350円【電話】0744-54-2026
【宿泊】休憩100人、200円
【主な行事】1月1日〜3日:修正会式、 節分の日:節分会(星祭)、 4月22日:聖徳太子春会式、 10月22日:聖徳太子秋会式
【宗 派】天台宗
【本 尊】聖徳太子像、如意輪観世音菩薩
【開 基】聖徳太子
【創 建】推古天皇14年(606年)
【御詠歌】 仏(ほとけ)いで 花ふるにはの ありけるに 遠きくにとは 何おもうらん
【解 説】飛鳥寺から田園の中を歩いて、途中のあぜ道一面に咲いた彼岸花(写真1)を楽しみながら、約20分程度で「橘寺(写真2)」に着く。ここは、お寺が建立される前は、「橘宮」があったところで、聖徳太子が敏達天皇3年(574年)1月1日に橘豊日尊(後の用明天皇)の第1皇子として、ここの「橘宮」で誕生されたと伝えられている。母は、穴穂部間人皇女(欽明天皇の皇女)である。拝観料を払い、東門(写真3)を入ると右側が「本坊」、左側に「塔跡」、「鐘楼」、「往生院」、「聖倉殿」「芙蓉園」がある。
「本坊」を抜けて進むと、右に「阿宇池」がある。この池は、梵字の「あ」を形どって聖徳太子が作ったといわれているものである。「阿宇池」の横に、「三光石(写真7)」がある。この石は、聖徳太子が勝鬘経の講義を行われた時に、冠が日・月・星の光を放ったといわれており、あたかもこの石が光を放ったかのようになっている。 さらに進むと、右側に「観音堂(写真6)」がある。ここには、「如意輪観世音菩薩像(藤原時代、重要文化財)」、多くの仏像、工芸品、仏画等が祀られている。「観音堂」の前に「センダンの巨木(写真4)」が植えられており、荘厳さをかもし出している。
更に進むと奥に「本堂(写真5)」があり、この本堂は、「太子堂」とも呼ばれ、珍しく東向き(寺の本堂は南向きが普通)に建てられている。今の「本堂」は、元治元年(1864年)に再建されたもので、「聖徳太子像(室町時代、重要文化財)」、「田道間守(たじまもり)像、(藤原時代、重要文化財)」、「太子孝養像(鎌倉時代)」、「太子画像(鎌倉時代)」等が祀られている。
「本堂」の前に2基配置されている「橘形石燈籠」は、南北朝時代の珍しいもので、重要文化財に指定されている。「本堂」と「観音堂」の間にある庭園に白色と黄色の彼岸花が咲いていた。本堂の南側に、「二面石」があり、これは善と悪の顔が背中合わせになっており、「左悪面」が寺の外を向き、「右善面」は、「本堂」の方を向いている。
また、「本堂」の南前に10m×10m程の石垣に囲まれた場所があり、ここが「蓮華塚」である。ここで、35歳の聖徳太子が推古女帝のために勝鬘経を講義された時に、「大きな蓮の花が降って庭一面に積もった」と伝えられるほど立派な講義であったと伝えられ、「蓮華塚」と呼ばれるようになったと伝えられている。また、この10m×10m程の石垣に囲まれた場所が後の1畝(せ)の単位の基準にしたことから「畝割塚(うねわりづか)」とも呼ばれている。本堂の南側に「経堂」、「放生池」がある。
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