62番  天羪山(てんようざん)  宝寿寺(ほうじゅじ)  観音院(かんのんいん)

【場所】〒799-1100 愛媛県周桑郡小松町新屋敷甲428
【交通】JR予讃線の「伊予小松駅」から徒歩で約1〜2
【車】61番札所を出て直ぐのT字路を左折し、約370m先のT字路を右折して約1Km走ると62番札所(宝寿寺)に着く。
【タクシー】舞城タクシー:0898-9-2311
【電話】0898-72-2210
【宿泊】宿坊なし、ビジネスホテル・小松:0898-72-5881、ホテル・玉の家:0897-55-3149、京屋旅館本店:0897-59-0335、京屋旅館支店:0897-59-0738、久門旅館:0898-72-2829、くきだ旅館:0898-72-2804、りんりんパーク・遍路の宿・しこくや:0898-72-6688
【宗 派】真言宗高野派
【本 尊】十一面観世音菩薩
【開 基】弘法大師
【御詠歌】さみだれの、あとにいでたる、玉の井は、しらつぼなるや、一の宮かわ
【拝観日】2012227日(月)
【解 説】仁王門をくぐると日本庭園が広がり、旅の疲れを癒してくれる。仁王門の奥正面に本堂(写真1)、その右側に大師堂(写真2)がある。納経所は、左側の方丈の中にある。大師堂の手前には、安産観音、水子地蔵がある。
 天平年間(729年〜149年)に大己貴尊のご信託によって聖武天皇が諸国に一の宮を造られたときに、この地に一の宮が建立された。大和の僧・道慈律師が勅命を受けて、法楽所として別当寺を創建されたのがこの寺のはじめとされている。このときに聖武天皇が「金光明最勝王経」を奉納された。寺名は「金剛宝寺」と称していた。当時このお寺は、現在のところではなくて中山川の下流にある白坪という所にあったと云われている。
 大同年間(806年〜810年)に弘法大師がこの地に来られ、光明皇后(聖武天皇の妃)の姿をかたどった十一面観世音菩薩像を刻んで本尊とされ、寺名を「宝寿寺」と改め、四国62番札所と定められた。
 このころに、国司の越智公夫人が難産で苦しんでいることを聞いて、弘法大師が本尊に祈願した霊水(玉の井)で加持されたところ、無事出産されたところから、安産の観音様として信仰されている。
 その後、中山川の洪水の被害を受けて荒れ果てていたが、天養2年(1145年)に再建され、山号を「天養山」と改めている。
天正13年(1589年)に豊臣秀吉の四国征伐の兵火にあって、堂宇は焼失したが、寛永13年(1642年)になって、宥伝上人が再建された。また、明治の廃仏棄釈令で廃寺となったが、明治10年に独立し、大正10年に予讃線が開通したため、現在のところに移転した。

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(1)本堂

(2)大師堂