55番  別宮山(べっくざん)  南光坊(なんこうぼう)  金剛院(こんごういん)

【場所】〒794-0026 愛媛県今治市別宮町3-1
【交通】JR予讃線今治駅から徒歩約5
【車】54番札所(延命寺)を出て、約400mT字路を左折し、県道38号線を約2.5Km走ったところのT字路交差点を左折し、約900m先の交差点を右折して、約130m55番札所(南光坊)に到着する。
【タクシー】日の出タクシー:0898-22-1425、瀬戸内タクシー:0898-24-2000
【電話】0898-22-2916
【宿泊】宿坊なし、国観連・別館・美賀登:0898-55-2360、日観連・カドヤ別荘:0898-55-2310
【宗 派】真言宗醍醐派
【本 尊】大通智勝如来
【開 基】行基菩薩
【御詠歌】このところ、三島に夢の、さめぬれば、べっくとても、おなじすいじゃく
【拝観日】2012227日(月)
【解 説】山門(写真1)をくぐると、右手に大師堂、左側に白衣観音、水子地蔵、13仏がある。広い砂利を敷き詰めた境内の奥に金比羅号、薬師堂、および本堂(写真2)があり、本堂の左側に庫裡(くり)、納経所はこの場所である。
 大宝3年(703年)、伊予水軍の祖といわれた国主・越智玉澄が、文武天皇の勅願を受け、今治沖の大三島(おおみしま)に大山祗(おおやまづみ)明神を勧請し、大山祗神社(「海の総鎮守」として武将が信仰した)を建てた際に、法楽所として24坊の別当寺を建てたのが、南光坊の創始と云われている。
 しかし、海が荒れた時などは参拝が難しく、大変不便であったことから、和銅5年(712年)に、行基菩薩が24坊のうち8坊を「日本総鎮守三島の御前」と称して奉祭された。天正年間、長曽我部の兵火に遭い、社殿・伽藍などことごとく焼失した。さらに城主・河野家の滅亡と続いて、寺領を没収されたが、南光坊だけが別宮明神の別当寺として再建された。慶長5年(1600年)、藤堂高虎公は、今治城修築中に薬師堂を再建し、江戸時代には、久松城主も祈祷所にして、別当職を持続していたが、明治初年の廃仏棄釈令で、本地仏(ほんじぶつ)として社殿に奉安してあった大通智勝如来と脇侍の弥勒菩薩像、観音菩薩像を南光坊薬師堂に遷し、別宮大山祗神社と分離した。
 昭和20年(1945年)8月、太平洋戦争の空襲によって、大師堂と金比羅堂を残して焼失した。現在の本堂は、昭和56年に再建され、薬師堂は、平成3年春に再建され、同年10月に山門も再建された。
 ご本尊の大通智勝仏は、法華経第七化城諭品(けじょうゆほん)に説かれている。また釈迦如来は、大通智勝如来の第十六番目の弟子であると法華経に説かれている。

写真をクリックすると大きくなります

(1)山門

(2)本堂