43番  源光山(げんこうざん)  明石寺(めいせきじ)  円手院(えんしゅいん)

【場所】〒797-0007 愛媛県東宇和郡宇和町明石201
【交通】JR予讃線卯之町駅から徒歩約30
【車】42番札所(仏木寺)を出発して、仏木寺前のバス停のある交差点を右折し、県道31号線を道なりに約8.5Km進むと、歯長峠口のバス停のあ
る交差点に出る。ここを左折して、県道29号線を道なりに約4.8Km進んだところの交差点を右折して約1kmT字路を左折し、約600m43
明石寺の駐車場。
【タクシー】卯之町タクシー:0894-62-0510
【電話】0894-62-0032
【宿泊】宿坊あり(80人)、富士廼家旅館:0894-62-0050、中村屋旅館:0894-62-0122、旅館まつちや:0894-62-0126、松屋旅館:0894-62-0013、旅館松乃屋:0893-44-5000、民宿みやこ:0894-62-5872
【宗 派】天台宗寺門派
【本 尊】千住観世音菩薩
【開 基】正澄(せいちょう)上人
【御詠歌】きくならく、千手ふしぎの、ちかいには、だいばんじゃくも、かろくあげいし
【拝観日】2012227日(月)
【解 説】駐車場から石段を上がると直ぐ右手に本坊があり、ここで納経を済ませて、仁王門(写真1)をくぐると、石段の上に唐破風(かつらは)付きの本堂(写真2)があり、本堂の右手に大師堂がある。その昔、千手観音が化身した乙女(龍女)が大石をいだいて籠ったと云われており、明石寺は「あげいしじ」と読まれていた。今でも、通称「あげいしさん」と呼ばれている。6世紀半ばに欽明天皇の勅願によって、円手院正澄(せいちょう)という行者がこの寺を建立し、千手観音像を安置したと云われている。天平6年(734年)、寿元行者が、紀州から熊野十二社権現(ごんげん)を勧請して、十二坊を建て修験道場の中心となった。弘仁13年(822年)、弘法大師が金紙金泥の法華経を納められ、堂宇を建立され、諸堂の再建に尽くされ、43番札所と定められた。建久5年(1194年)、源頼朝が命を助けてもらった池禅尼(いけのぜんに)の菩提をとむらうために一宇を建てた。それまでは現光山と呼ばれていた山号を現在の源光山に改めた。源頼朝の経塚は、権現堂の後ろにある。
 

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(1)仁王門

(2)本堂