【第33番 谷汲山(たにくみさん) 美濃国 華厳寺(けごんじ) 】

【場所】〒501-1311 岐阜県揖斐(いび)郡谷汲村徳積23
【交通】JR東海道本線大垣駅から近鉄養老線で約25分で終点の揖斐駅に到着、そこから名阪近鉄バスで、谷汲山、または横蔵行きで約25分の谷汲山停留所下車。バスに乗らないで行くには、JR岐阜駅から、名鉄揖斐線の岐阜駅前駅から黒野駅まで行き、そこで名鉄谷汲線に乗換えて、総計約1時間ほどで谷汲駅に到着する。但しこの線は、廃線になるという張り紙がしてあったので事前に確認が必要。
【車】名神高速道路の大垣ICから国道258号線を約7.3Km北上し、国道21号線との交差点を左折し、約2Kmで、河間交差点を斜め右の国道417号線に入り、揖斐川を渡って、T字路交差点を右折し、国道303号線に入り、すぐの交差点を左折して、県道251号線に入る。ここを約6Km北上すると谷汲山に到着する。
【拝観料金】無料
【拝観時間】8:0016:00
【電話】0585-55-2033
【宿泊】門前町に松本屋TEL:0585-55-2326、立花屋旅館TEL:0585-55-2121
【主な行事】 2月節分の日:星祭、218日:豊年祈願祭、谷汲踊奉納(晴天時に門前で行われる)、4月上旬:桜祭り、817日夜:十七夜会式(108の灯篭が灯される)、毎月18日:観音縁日
【宗 派】天台宗
【本 尊】十一面観世音菩薩
【開 基】豊然上人・大口大領
【創 建】延暦17(798)
【御詠歌】 世を照らす仏のしるしありければ まだともしびも消えぬなりけり
【解 説】 谷汲山華厳寺は、西国33ヶ所巡礼の最後となる満願のお寺で、通常「谷汲さん」と呼ばれている。名鉄谷汲線で赤塗りのワンマン電車(一両)(写真1)に乗り、谷汲駅をおりると張り紙があって、この線が廃線になる予定とあったので、記念に写真をとった。駅から100m程県道40号線沿いに歩くと門前町があり、すごい田舎のお寺なので、たいしたことは無いと思って来たが、予想に反して、桜とカエデの並木道が約800mに渡ってあり、満願のお寺の雰囲気が漂っている。門前町の突き当たりに大きな山門(写真2)があり、ここに運慶の作と伝えられている仁王像が我々を迎えてくれる。この山門の左右に大きな奉納ワラジがぶら下がっている。山門前に「西国三十三番満願霊場」の石標があり、ここで記念写真を撮る。
 山門を入ると、石畳の参道に沿って108ヶの石灯篭が立ち並んでおり、817日の夜には「十七夜会式」が催され、この灯篭に火が灯される。石畳を過ぎ急な石段を登ると、本堂に着く。本堂は、明治12(1879)に再建されたもので、間口20mで、内陣の床下は戒壇巡りになっており、真っ暗な中を手探りで一巡すると、不思議にも何か心が洗われたような気になる。
 本尊は、十一面観世音菩薩で、秘仏になっている。向拝の左右の柱に青銅製の「精進落としの鯉」があり、参拝を満願した人が、これを手で撫でて、また俗世間に帰っていく。このお寺には、過去、現在、未来にちなむ3首のご詠歌がある。過去は笈摺(おいずる)堂、現在は満願堂、未来は本堂である。笈摺堂(写真3)は、西国33ヶ所巡りを満願成就した人が笈摺を納めたところで、ここも一種独特の雰囲気が漂う。
 このお寺の縁起は次のように伝えられている。会津に住んでいた大口大領が、観音堂の建立を思いたち、文殊菩薩にお祈りしたら、榎(えのき)の霊木を授かった。大口大領は、この霊木を京都まで運んで、京都の仏師に十一面観音像を刻んでもらった。それが完成して、持って帰っていると美濃赤坂付近まで来ると、その観音像が急に重くなって、動けなくなってしまった。観音像にお祈りすると、「会津まで帰りたくない。北へ五里の山中に、ころあいの場所がある。そこで衆生を済度したい。」とのおつげがあった。大口大領は、山中へ入り、そこで修行中の豊然上人の協力を得て堂を建立し、そこに十一面観音像を安置したのがこのお寺のはじまりとされており、この本尊の胎内に華厳経が写されていたので、華厳寺と呼ばれるようになったと伝えられている。また、ここにお堂を建てるときに、湧き出た油を汲んで御灯明にしたということが、京都の醍醐天皇に伝わり、天皇から谷汲山の山号を賜ったと言われている。

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(1)ワンマン電車

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(2)山門

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(3) 笈摺堂