【第17番 補陀洛山(ふだらくさん) 山城国 六波羅蜜寺】

【場所】〒605-0813 京都市東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤(ろくろ)町
【交通】京阪五条駅から徒歩約10分。阪急河原町駅から徒歩約15分。
    JR京都駅から、市バス約10分、清水道バス停下車すぐ。
【車】名神高速京都南ICから、国道1号線から五条大橋を渡り、200m程で左折し、更に200m程で右折
   駐車場は、寺周辺には無いので、五条通りから五条坂へ入った所に市営清水坂駐車場がある。
【拝観料金】無料、宝物館500
【拝観時間】8:0016:30
【電話】075-561-6980
【宿泊】旅館多数
【主な行事】 11日〜3日:皇服茶授与、88日〜10日:万灯会、911日:開山忌、1213日〜除夜:空也踊躍念仏、毎月1日、16日:聖天縁日、毎月7日:巳成金弁財天縁日(都七福神の一つ)、毎月17日:観音縁日、写経納経会
【宗 派】真言宗智山派
【本 尊】十一面観世音菩薩
【開 基】空也上人
【創 建】天暦5年(951年)
【御詠歌】 重くとも五つの罪はよもあらじ 六波羅蜜堂へ参る身なれば
【解 説】 六波羅蜜寺は、京都の市街地の中にあり、山門はない。朱塗りの美しい本堂は、室町初期、南北朝時代の貞治2年(1363年)に建てられたもので、七間に六間、一重、寄棟造り、本瓦葺きで重要文化財に指定されている。向拝は、豊臣秀吉が付設したものと伝えられている。この寺の本尊は、十一面観世音菩薩で、空也の作と言われている。宝物館には、古仏が多く納められており、口から6体の弥陀を吹き出す空也上人像、藤原期の薬師如来像、地蔵菩薩、鎌倉期の閻魔大王、弘法大師、平清盛像、仏師の像、運慶・湛慶父子の像など、15体の木像の重要文化財がある。8月の万灯会は、空也上人が、金字大般若経の書写を完成して、鴨川べりで開いた供養会にちなんで、本堂の中で灯明を大の字型に灯して催される。
 このお寺は、空也上人の開基で、20余歳のときに尾張の国分寺で剃髪し、諸国行脚のかたわら、道路、水路をひらき、捨てられている死体を火葬にしてとむらい、庶民に念仏をすすめてまわり、「市の聖(いちのひじり)」 、「阿弥陀聖」と呼ばれ、親しまれてきた。また、「踊り念仏」を残したことでも知られている。このころは、空也上人はまだ寺を持っていまかった。一説に空也上人は、醍醐天皇の皇子という説もある。空也上人が、都にいるときの天暦5年(951年)に疫病が大流行し、病原もはっきりしなく、特効薬もない時代であった。これに困った朝廷は、空也上人に疫病の退散を懇願した。上人は、十一面観音像を刻み、この像を車に乗せて念仏を唱えながら、町中をくまなくまわり、お茶の中に梅ぼしと結び昆布を入れ、観音に供えたあと、病人にこれを与えた。病人は次から次へと全快していき、悪病の流行はおさまった。これが、新年を祝う「大福茶(おおふくちゃ)」の元祖で、村上天皇の病気回復にも効力があったと伝えられており、ここでは「皇服茶(おうふくちゃ)」と呼ばれている。朝廷は、疫病がおさまったのを感謝して、鴨川東海岸にりっぱな伽藍を建立し、ここに空也上人の作った十一面観世音像を本尊として安置し、西光寺と呼んだ。後に平家一族の六波羅邸ができ、鎌倉時代に六波羅探題が置かれて、にぎやかになって、お寺の名前も六波羅密寺と呼ばれるようになった。

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