日本サッカー・歴史に残る試合

(写真)
 豊岡市日高町の
 但馬ドーム通路

 2006年のワールドカップ・ドイツ大会に世界で最初に名乗りを上げた日本ですが、
過去には数々の名勝負があります。その中でも名前付きで呼ばれる4つの歴史的な
試合を以下に紹介します。

   (1)は生まれる前の出来事で、インターネットの記事などを参考にしました。
   (2)(3)(4)は実際に見たテレビ中継の印象をもとに、新聞記事などを参考にしました。


(1)ベルリンの奇跡
昭和11年8月4日   日本 3−2 スエーデン
ベルリンオリンピック
ベルリン
(前半)25    37   
(後半) 4 川本 14 右近 40 松永
 
 日本からベルリンへの移動は、シベリア鉄道を経由し、2週間にも及ぶ長旅だった。ベルリンに入った日本チームは、本番前の練習試合で地元の弱小クラブチームに3戦全敗し、散々の評判だった。この東洋から来た素人集団とでも言うべきチームを待ち構えていたのは優勝候補のスウェーデンだった。体格、技術、経験のいずれをとっても日本のかなう相手ではないとの前評判もやむを得なかった。はたして本番当日キックオフ直後から猛攻を浴びた日本は前半25分と37分に失点し、2-0で前半を折り返す。川本泰三はこのときの気持ちを「気後れも僥倖を頼む甘さももう捨てないわけにはゆかなかった。そして気にかかっていた忘れ物のありかをふっと思い出した。…軽い気持ち、ちょっとウキウキしたような調子が、重い空気の底から沸いてきた」と回想している。後半に入って日本は、予想外の反撃を見せる。4分に川本泰三、14分に右近徳次郎が得点し追い付いた。前半で日本の実力を見くびり、慢心していたスウェーデン選手は大慌てで日本に猛攻を仕掛けるが、日本イレブンも体を張って防戦する。小さな日本人が大きなスウェーデン人に食い下がるこのときの様子を地元のラジオは「日本人が飛びつく、日本人が突っ込む」と驚嘆して伝えた。終了間際の後半40分、相手から球を奪った松永行がドリブルでゴール前まで持ち込みシュート、ボールは相手キーパーの股間を抜けてゴールネットに突き刺さった。観客の大多数も日本応援に回る。残り5分を必死に守りきった日本が、世界を驚愕させる大金星をものにした。試合終了と同時に興奮した観客がグランドなだれ込んだ。いわゆる「ベルリンの奇跡」である。体力を使い果たし多くの負傷者を出した日本は次のイタリア戦では0-8の大敗だった



(2)ドーハの悲劇
平成5年8月4日   日本 2−2 イラク
アメリカワールドカップ
アジア地区最終予選
カタール / ドーハ
(前半) 5 三浦
(後半) 9 ラディ  25 中山  44 オムラム
 
 宿敵韓国を破り、ワ−ルドカップ出場の悲願達成にあと1勝と迫った日本は、イラクとの最終戦に臨んだ。試合前の状況は、日本が勝ち点5でトップ、サウジが2位、以下韓国、イラク、イランと僅差で続いており、日本が本戦に出場できる条件は、イラクとの最終戦に勝利するか、引き分けても、サウジと韓国の両方が勝利しなければ良いという比較的楽なものであった。さて最終戦当日、日本は終始優位に試合を進めた。前半5分にカズ(三浦)が決め、後半開始直後に追いつかれたものの、25分にゴン(中山)が追加点を奪い突き放す。1点リードのままロスタイムに入り、そのロスタイムも残り1分をきる。「あと15秒…、いやあと10秒…」日本国民の誰もが勝利の瞬間を待ちわびて心の中で秒を刻む。もう間違いないと勝利を確信した次の瞬間、守備陣の一瞬の気のゆるみから右サイドを突破されコーナーキックを与えてしまう。ここでキッカーのライト・フセインは意表を突くショートコーナーをフセイン・カディムにつなぎ、フセイン・カディムは、慌てて対応に走った日本の三浦知をドリブルで振り切って高いセンタリングを上げ、これをオムラム・サルランが頭をかすめるようにしてヘディングシュート。ボールは放物線を描いてGK松永の頭上を越え、無情にもゴール左上に吸い込まれた。一瞬の出来事だった。時間が止まったようだった。
 事態を知ったラモスや柱谷らがピッチに倒れ込んだままなかなか起きあがれなかった。ゲ−ムは引き分けに終り、韓国に勝ち点では並ぶものの、得失点差で2点及ばず3位に転落、ワールドカップ本戦初出場の夢は破れた。日本中茫然自失、
神も仏もあるものか、いわゆる「ド−ハの悲劇」である。試合後ハンス・オフト監督は、「これがサッカ-だ」と語った。アジアのベストイレブンにカズ、ラモス、柱谷、松永が選ばれ、カズは得点王にもなったが、表彰式に姿を現す日本選手はいなかった。日本に戻っての記者会見に臨んだオフト監督は、「簡単に言えば大会が5秒長かったということだ」と述べた。また柱谷主将は「終了10秒前から試合をやり直せたら…」と悔しさをあらわにした。ちなみに世界の強豪フランスも、地区予選最終戦でブルガリアのコスタディノフに試合終了35秒前に同点とされ、W杯出場の望みを絶たれた。こちらは「パリの悲劇」と言われる。アジア地区最終予選の結果は1位 サウジ、2位 韓国と決まった。
 この試合は韓国では逆に「ドーハの奇跡」と呼ばれた。韓国の新聞は、「傷だらけの幸運」、「
神に助けられた切符」との見出しを掲げ、「日本が引き分けたために転がり込んだだけに過ぎない出場権」、「こんなことではW杯での勝利はおぼつかないだろう」などと報道した。

 テレビ中継はテレビ東京が行い、視聴率は深夜帯にも関わらず、同局史上最高の48.1% を記録した。この敗戦をバネに日本は世界ランク20位以内までに飛躍したとも言える。



(3)マイアミの奇跡
平成8年7月22日   日本 1−0 ブラジル
アトランタオリンピック
マイアミ
(後半) 27 伊東
 数々の栄光に輝きながら、オリンピックの金メダルだけは手にしてなかった世界最強国の一つブラジルはロベルト・カルロスやジョニーニョなどの若手スター選手に、オーバーエイジ枠を利用してベベト、アウダイールなどのワールドカップ優勝経験者を加え、必勝態勢で予選D組緒戦に臨んだ。一方日本は28年ぶりにアジア予選を勝ち抜き、前園を中心に中田など若手の好選手を揃えてこれに対する。キックオフ直後からブラジルは日本のゴールに向かって突進し、シュートを雨、霰と降らせた。何度も際どいシュートが放たれるが川口が神懸かり的な好捕を連発、前半を0-0で折り返す。後半もブラジルが圧倒的に攻め続けるがなかなか得点できない。ブラジルに疲れの見え始めた後半27分、日本は唯一のチャンスを生かす。路木龍次が左サイドから城に送った山なりのクロスに、GKジーダとDFアウダイールが交錯、目の前に転がったボールを走り込んできた伊東輝悦が難なくゴールに押し込んだ。まさかの失点に焦るブラジルはその後も一方的に攻めつづけるものの、シュートがゴールポストに阻まれるなど、運にも見放され、川口を中心とした日本のディフェンス陣が凌ぎきって試合終了となった。試合結果が伝わるとブラジル中では悲鳴が上がった。地元紙には蟻が巨象を倒す」の見出しが踊り、世界中が驚愕した。いわゆる「マイアミの奇跡」である。サッカーではままあることで、なにも奇跡と言うほどではないと思うが、当時の日本はそれだけ弱い国と思われていたことがわかる。この試合でブラジルが放ったシュートは28本、対する日本のシュートはたったの4本だった。なお、この後日本は第2戦でナイジェリアに敗れ、最終戦にハンガリーに勝利するものの、2勝1敗で1次リーグ敗退した。日本チームがブラジルを倒したのは後にも先にもこの1回のみ(平成17年6月現在)。



(4) ジョホールバルの歓喜
平成9年11月16日   日本 3−2 イラン
フランスワールドカップ
アジア地区第3代表決定戦
マレーシア / ジョホールバル
(前半) 39 中山
(後半) 1 アジジ  14 ダエイ  31 城
(延長後半) 13 岡野
 
 アジア地区ではサウジアラビア、韓国が既にW杯出場を決めており、この試合は第三代表を決めるために行われた。試合は両チームの気迫のぶつかり合いとなった。前半39分中田からの縦パスを中山が決め日本が先制する。後半開始直後、守備の乱れからアジジに蹴り込まれ同点、14分にもダエイに頭で決められ、日本の勝利に黄信号がともる。岡田監督はカズと中山を下げ、城と呂比須を投入。重要な試合ではじめて途中交代を命じられたカズは自分を指さし、「オレを変えるの?」と一瞬怪訝な表情をした。31分中田のクロスを城が頭で合わせて同点とする。ここで岡田監督は最後の切り札、俊足の野人岡野を投入。両チーム譲らず延長に突入する。疲労からか防戦一方のイランに対し、日本は攻め続けた。しかし岡野は3度のチャンスをことごとくはずす。特に3回目はキーパーと1対1になりながら何を恐れたのか、ゴール手前で日本選手の誰もいない左にパス、相手DFにクリアされ、中田英寿も思わず「何故?」と目を瞑って天を仰ぎ、日本ベンチも失望を露わにした。イランはPK戦に持ち込もうとして攻める姿勢を放棄、一層守りを固める。日本中の誰もがもはやPK戦を覚悟し始めた。延長後半もあと2分と迫った13分、中田が意を決したように自らドリブルで持ち込んでゴ−ル右にシュ−ト、GKアベドザデが左へ飛んで必死に防ぐも及ばず、指先に弾かれたボ−ルに岡野が飛び込んで、右足で払うようにシュート、これがVゴ−ルとなり2時間近い死闘を制した。この瞬間分厚い眼鏡をかけ、長靴を履いて魚の仲買人のような格好の岡田監督が、一目散に岡野に駆け寄り抱きつく。このときのことを岡野は、「何が何だか分からなかったが、眼鏡がこちらへ向かって突進してきたので、とりあえずその方へ走った」と興奮さめやらぬ面持ちで語った。感想の言葉まで野人である。岡田采配が見事に的中、日本は初挑戦以来43年ぶりに悲願のワ−ルドカップ初出場を決め、世界32カ国の強豪と相まみえることとなった。20歳の若き司令塔中田がすべての得点に絡んだ。ジョホ−ルバルの球技場は2万人の日本人で埋め尽くされ、国内では深夜にもかかわらず、瞬間視聴率57.7%を記録、日本中が沸き返り、勝利に酔いしれた。
 予選に精力を使い果たしたのか、ワールドカップ本戦ではアルゼンチンに1-0、クロアチアにも1-0で破れ、まさかと思われたジャマイカにまで2-1で破れ、1勝も出来ずに敗退、世界の壁の厚さを改めて実感させられた。