■RIOプロフィール(別に興味は無いでしょうが………)
(つるさきりつお)
●名前/鶴崎律大
●職業/DTPデザイナー
小さい頃からお絵描き好きではあったが、とりあえず仕事にはなるものだ。 インターネットの世界で「デザイナーでござい!」などと発信できるような立派な仕事はした覚えはまったく無いケド、なんとか食ってるし、家も買ったし(ボロいけど)世の中渡ったモンの勝ち?「小さい仕事をコツコツと……」のスタイルで生きています♪
●生まれ/大阪
19**年3月7日生まれ
大阪市立中かがや幼稚園 卒
大阪市立中かがや小学校
大阪市立刈田小学校
大阪市立高松小学校 卒
その後奈良県へと移る
★夢
幼稚園の頃は「靴屋さん」になりたいと言っていたそうだが、今現在の本人の靴ときたら、いったい何年履いているんだ?という代物。ファッションに関してはおよそ「デザイナー」などという肩書きからは程遠いのが現状です(笑)
この学生証って学校に返さないといけないモノなんですよねぇ〜〜〜〜。そのせいでも無いと思うのですが、学校から小さい楯を二つもらったのにプレートが付いていません(笑)。『優秀賞』と何だっけかな?実家に置いてあるので忘れてしまった(*^_^*)
美術系の学校のセオリー(?)通り、変な人でした。あ!今でもか…………汚いロンゲに黒のハイネックセーター、パールのペンダントなんぞして学校に行ってました♪
●育ち/奈良県
橿原市立大成中学校 卒
奈良県立橿原高等学校 卒マンガ家になってやろうと思っていたので 京都精華大学マンガ科を推薦で受験するも
あっさり不合格
1次受験もあったけど頭は理科系だったので文科系の受験科目(国語・社会・英語)を 勉強するのもイヤだったので直ちに進路変更。学校法人「芦屋芸術学院」に進み、デザイン学科を卒業しました。 この母校も阪神淡路大震災で被害を受け、現在は六甲アイランドに移転され。新しく「アートカレッジ神戸」と名前が変わっています。
学校保存になった私のデッサンやパネルもあったのにどうなったのかなぁ………
●社会人/1
芦屋芸術学院への求人で「イラストレーター」というのは殆ど皆無の状態。まぁ今だから解るけれど、専門でイラストレーターなんてどこの事務所も求めていないんですよね。数少なかったイラストレーターの募集に大阪で「ユーカリ」というファンシー文具の会社がありました。募集は「1名」! 入社試験には、うちの芦屋芸術学院や大阪デザイナー学院などから総勢90人程が来ていたように記憶しています。もちろん不採用!……です(笑)
学校に残って「助手」なんてのも聞いてみたのですが、これが欠員が無いと駄目で(当然ですね)しかも「成績優秀!」でないと採用にならないとの事。まぁもっともなオハナシです。
●社会人/2
そろそろ卒業目前の2月に卒業生が関係している「田中イラスト」とう事務所から求人があり、学校から3名で面接しました。条件は良くなかったですが、イラスト描いて仕事になるなら………と一生懸命アピールして拾ってもらいました(笑)。しかし、当時はまだマンガ家になってやろうと考えていたのでジレンマに悩まされました。「イラスト」と「マンガ」って相反するものだったんですね。今なら解りますがその頃はまったく理解できませんでした。
●社会人からの逸脱
「田中イラスト」を見習い期間の3ヶ月でさっさと辞めると、微々たる貯金を取り崩してお小遣いにしてマンガばっかり描いてました(笑)。古本屋にマンガの資料を探しに行くぐらいで、別にコレといって出かける所も無いので家にいたのだけど、まさしく「ひきこもり」状態!本人はちっとも逸脱している気は無かったんだけど、今なら周囲からも相当ツッコまれたかも知れない
●社会人/3
貯金も底を尽きかけたので、バイトでもするか…………と始めたのが当時流行りはじめていたレンタルレコード店の店員。今で言うところの「フリーター」は私だけだったので集中してシフトインしていた為に、程なく店長職につきました。(オールバイトスタッフだったので店長も時給職のバイトでした)。思い起すとこの経験が一番社会勉強になったかも知れない。今の自営業としての姿勢のルーツでも有るかも知れない。
●定職人への復帰
「フリーター」とは当時は呼ばれなかったけれど、社会保険等の雇用上の「保証」は何も無いだけの社員のような勤務状況……1ヵ月の内、22〜23日働いて「寸志」と呼ばれるボーナスまで貰って、かなりぬるま湯のような暮らしをしていて、いつしかマンガに対する情熱も下降気味になりました。同人誌活動もその世界は純粋な作品創りからプロ予備軍のような存在が増え、アマチュアでありながら読者に迎合したようなパロディーや「やおい本」と呼ばれるくだらない本が売れる風潮にもイヤ気がさしていました。フリーターも足掛け3年を過ぎ、「定職人」への道を取ることにしました。 ●社会人/4
レンタルレコード店の実質的経営者の口利きにより、地元のデザイン会社「アドマン社」に入社しました。小さな有限会社でしたが、写植屋さんとデザイン屋さんが一つ屋根の下で揃うという、当時としては人気の会社でした。
●社会人/5
この「アドマン社」という会社には約9年勤めました。写植や版下を学び、印刷工程にかかるまでのデザインを学びました。現代のデザイナーに欠けている現場の知識を覚えることができたのはラッキーだったと思います。最近の新卒のデザイナーさんは「トンボ」を知らなかったりしますからね(笑)0.3ポイントの線に3色掛け合わせてきたり、RGBで色設定したり……おいおい(^_^;)
●定職人からの脱出
●Macintoshの波
「アドマン社」にも不景気の時期が来ました。世の中全般がバブルがはじけ始めた頃でした。デザイナーとして入社したハズの私は一番キャリアが浅かったので会社の成績不振の為「制作」から「営業」に廻されました。この前後あたりから会社に対する経営の不審や社員に対する疑念もあり、将来の事を強く考えるようになりました。また、外に出るようになって見えてきたものも沢山ありました。その一つがデザイン業務のコンピューター化、いわゆるDTPと言う革命の波でした。
●Macintoshの波/2
当時奈良県内では「Macで仕事をする」という事にそれ程の現実感は無かったように記憶しています。ただ、営業として「知識」を持っておく必要があり関係の本を読むうちに「それほど遠く無い将来」にあっという間にMacintoshの波に呑まれる……と感じました。その頃の一般ユーザーは個人では無く、事務所・会社であり、その機械はたいていは「クラシック」でした(*^_^*)
その年の暮、社長に「コンピューター化」について直訴しました。このままでは必ず会社が倒れると感じたからです。しかし、社長の見解は、
○コンピューターについて行ける若いスタッフが居ない(私はすでに営業でしたのでデザインに戻す訳には行かなかったようです)
○新しい人材を入れる力が会社に無い
○機械導入にリスクがある(仕事に直結できるパワーマシンはまだ高かったです)
私はその年末年始の休暇中毎日「退職後」のプランを考えていました。
●定職人からの脱出
仕事始めの日、専務と共に各得意先への年始の挨拶を終わらせると、帰り道の喫茶店で切り出しました。
「年始早々ですが退職させて下さい」
会社は結論として止めませんでした。それは予感していたのか、社員が一人抜けて人件費が助かると考えたのか定かではありませんでしたが、私は「定職人」から脱出し、またしても無職人間になりました。ただ前回と違ってもう大人でしたので「世の中が見えて」いました。
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●お金が……
前年の秋に私はバイクを買っていました、それもキャッシュで。バイクの名前はSUZUKI GSX-1100S KATANA 逆輸入車(当時はまだ国内は750ccまでという業界の自主規制がありました)でして、為替レートの加減で日本円で1,220,000円が私の口座から消えていました。
まさか会社を辞める事になるとは思ってもいなかったので、今後の資金的に厳しいものがありました(笑)
●Macintosh
ある友人曰く「Macぅ〜〜〜?」
「おまえに使いこなせるのか?」
もっともな話しです。ろくにワープロも触った事の無い人間がいきなりコンピューター………
パーソナルコンピューターとは言ってもちっとも「パーソナル」じゃなかった、軽四自動車くらいの値段がしたのです(;;)
こんなの買って、モノにならなかったらどうしよう……………
私が最初のMacintoshを買ったのは退職した次の日曜日でした。
●Macintosh Quadra 700
DESIGN WORK KATANA の卵がやってきました。今でも歴代所有したMacを手元に置いていますが、きっとこの Quadra 700 は手放す事が無いでしょう。現在HDDのトラブルで起動もままなりませんが、私の記念碑です。50万円を頭金に残りを2年ローンにして総額が1,025,566円でした。
DESIGN WORK KATANA の初代パートナー
●Macintosh Quadra 700
●OKI MICROLINE 801 PS+F
●EPSON GT-8000
●HP 500C
●Illstorator 3.0J
●Photoshop 2.0J自分の勉強部屋が最初の事務所でした。
■Quadra 700/スペック
メモリ:20MB
HDD:230MB
CPU:68040/25MHz当時のカタログより
「感性をのびやかに導きだす新性能。
デスクトップタイプのMacintoshで最も優れた性能を備えたモデルです。CPUは浮動小数点コプロセッサを内蔵した、先進の68040、25MHzを搭載。RAMは最大20MBまで増設でき、加えてビデオサブシステムや新設計のシステムインターフェースなどで処理能力の高速化を達成。Macintosh IIfx の約2倍を誇るその速さは、複雑な表計算の再実行、フォトレタッチ、フルカラーグラフィックスの再描画・スクロールなどで実力を発揮します。ネットワーク機能も充実し LokaiTalk、高速 Ethernet に対応。周辺機器用のポートも9基装備されています。また CPU ボード上にビデオインターフェースを内蔵しているため、ビデオカードを装着することなく Apple 社の全モニタを使用できるほか、32ビットカラー表示で写真に迫るクォリティのイメージ処理も可能です。漢字 Talk 7 の登場で日本語環境が整いました。(マウス、マイクは付属。モニタ、キーボードは別売です)」結構笑えます♪