☆☆☆☆ 清麿・正雄の作品鑑賞 ☆☆☆☆

 久しぶりに「清麿大鑑」と関係写真等を開けて鑑賞しました。
文化10年(1813年)、信濃国小諸藩赤岩村(現東御市)の名主山浦昌友の次男として生まれ、本名:山浦 環(たまき)は、刀工を目指した兄真雄と 共に上田藩工であった河村寿隆に刀工の技術を学び、兄弟で作刀に没頭する。武士を志していた兄弟は、真田幸貫の斡旋で江戸に上り幕臣の軍学者で あり剣術家でもある窪田清音(きよね)と源昌麿(国学者・尊皇攘夷派)の二人に仕えた。しかし武術家になるよりも刀工としての評価をした窪田清音 の後押しで、清音の屋敷内に鍛冶場を設け修行し、作刀に専念する。また清麿は、刀剣に見識のある清音に色んな名刀を見せてもらい古刀の有名刀にも 劣らない素晴らしい刀を作刀したのである。また復古刀を唱えた水心子正秀の影響も有ったであろう清麿も復古を志し(美濃・相州伝の創始者である志津兼氏) の作風を研究し、その難しい技術に挑戦しました。彼の技量は高く評価され 四谷正宗と讃えられました。
追記 河村寿隆の門で初銘は「正行」。後に師に秀でたるの秀と寿隆の寿を取り「秀寿」を受銘する。その後 窪田清音・源昌麿の各一字を譲り受け「清麿」 と称する。惜しいかな42歳で自刃する。自分の思っている作刀が出来ず悩んでの事とか酒におぼれたとか色々取沙汰されている。
   刀銘は、一貫斎秀寿  源正行  山浦環正行(やまうらたまき まさゆき)  源清麿  清麿
   作風は、匂い締まりたる互の目丁子から天保11年頃より大互目乱れ長い金筋と砂流しを交えた大出来が多くなる。

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画像①と③は清麿の刀で画像②は兄正雄の刀です。やはり師弟関係ですので作域は良く似ています。  本三枚鍛えによる断層の様な模様に見える刃文は、長い独特の金筋が入るものが多い。これは、上記画像においても物打ちあたりから下に互の目のたれに 長い金筋や砂流しのように見える刃文が清麿の特徴のひとつです。

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