柏原九条の会へようこそ

柏原九条の会の紹介

 

柏原九条の会シンボルマーク 

 

2006年5月13日、柏原市立フローラルセンターで「柏原九条の会」の発足集会が開かれました。当日は朝から激しい雨が降り、来場者の出足が心配されました。でも、その雨の中、会場一杯の人が集い熱い思いの中「会」の出発を確認し合いました。
 音福亭マカさんの一人語り「からっぽの動物園」の公演には、集まったちびっ子たちも真剣に見聞きしていました。大人も改めて戦争の悲惨さを胸に刻む時を過ごしました。
 大阪法律事務所の寺沢達夫弁護士から「憲法の話」と題して講演をしていただきました。
 始めに 『憲法に専門家はいない。「9条の会」の呼びかけ人の中でも憲法学者は奥平さん一人だけ。憲法を守る闘いは法律の闘いではなく文化の闘い。みんなで考え、みんなで発言することだ』と訴えられました。その後「憲法とは何か」「日本の憲法の世界的、歴史的特徴」
等々話をされ、最後にどうすれば改憲を阻止できるかと話が進み、全国津々浦々に9条の会をつくり、広げることの大事さが語られました。 

「みんなで知ろう、語ろう、憲法九条柏原のつどい」が2006年5月13日柏原市立フローラルセンターで開かれました。当日の激しい雨の中、会場溢れんばかりの多くの人が参加されました。音福亭MAKAさんの一人語り「からっぽの動物園」に心打たれたあと、寺沢弁護士による「憲法の話」で現憲法の素晴らしさ、とりわけ9条の大事さを実感しました。その後の意見交流ではご自身の戦争体験、9条守れの206声を広げる創意ある取り組み、地域での戦争体験を語る会の経験などが次々と語られました。


平和憲法守る輪さらに大きく

2005年11月から準備してきた「柏原九条の

会」を三人の代表世話人と八人の世話人のもと、正式に発足させました。これからも戦争体験を聞く会、柏原の戦跡調べ、憲法の勉強などを行い、九条の会賛同署名をもっと多くの人から集めていこう。平和憲法を守る署名集めの力を大きくしていこうと考えています。


三人寄れば「九条の会」

柏原にも数多くの「九条の会」を作って行きたいものです。色んな地域、いろんな職場、いろんな団体に「九条の会」を作っていこうと話し合われ、三人寄れば「九条の会」の合言葉が誕生しました。皆さんの知恵や力をお貸してください。

近鉄堅下駅前の大看板

柏原「九条の会」のメールアドレス

art9-kashiwara@kawachi.zaq.ne.jp

柏原「九条の会」アピール


今から60年前の1946年(昭和21年)11月3日、戦争によるアジアの人々2000万人、わが国310万の犠牲の上に「もう二度と戦争はしない」と誓って、日本国憲法は公布され、翌47年5月3日、施行されました。前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのない」ように決意し、憲法九条で「戦争を放棄」したのです。60年の間、朝鮮戦争やベトナム戦争など幾度となく参戦の危機があったものの誰一人の戦死者を出すことなく、また他国の人々を戦争という国家の命令で殺すこともありませんでした。私たちはこの平和憲法を守り、守られてきました。日本が世界に誇れること、それは日本国憲法であり憲法九条の「平和」です。20世紀の「戦争の世紀」から21世紀の「平和の世紀」へと世界の流れが変わっていく時代に「憲法九条」はますます輝きを増すでしょう。


しかし、今この九条を変え、再び「戦争をする国」に逆戻りさせようとする動きが強まっています。

私たちの柏原にも軍隊での戦争体験や戦災体験、学童疎開など戦中戦後苦労された方、並びに戦争で家族を亡くされた方もおおぜいおられます。私たちは戦地で、空襲で、原爆でと太平洋戦争で亡くなった人たちの死を無駄にすることは出来ません。若者に銃を持たせ再び「人殺しをさせる」戦争は決して許しません。子供や孫を戦場に送り出すことは絶対にさせません。わたしたちは思想、信条、宗教の違いをこえて「戦争を二度としない、させない」「憲法九条をしっかり輝かせよう」の一点で平和のために力をあわせましょう。緑豊かな柏原の地から「輝け、憲法九条」の大きな流れに合流していきましょう。


2006年5月13日                                            

  柏原「九条の会」