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◯聖霊降臨祭
おはようございます。
今日は、聖霊降臨祭(ペンテコステ)です。聖霊降臨祭と聞いても、クリスマスやイースターのように、何か大々的にお祝いする日というイメージは、あまりないかもしれません。けれども、この日は、私たちにとってとても大切なことが始まった日です。それは、教会の誕生日であり、また、イエス様の十字架と復活によって与えられた罪の赦しと命の恵みが、聖霊によって、教会を通して世界へ広がり始めた日だからです。さて、来月の6月17日は何の日かご存じでしょうか?6月17日は、私たち橿原教会の献堂記念日です。そして、今年の献堂記念日では、60年目を迎えます。人でいえば還暦にあたります。今から、60年前、この橿原の地にこの教会がたったのですが、それは、教会という建物が建った日ですよね。でも、ペンテコステの日は、教会の誕生日と言われていますが、それは、エルサレムに一つの建物が建った日ではないんですね。では、どのようなことが起こったのでしょうか。共に見て行きたいと思います。
◯聖霊なる神さまの御業
先週に引き続き、今日も、ご一緒に聖書を開いて欲しいと思います。使徒言行録の2章をお開きください(新214頁)。聖霊が降った日は、ユダヤ教で言う五旬祭の時です。弟子たちは、イエス様がおっしゃったように、約束された助け主が来るのをずっと待っていました。彼らは神殿では神を褒め称え、そして、集まっては祈っていたのですが、五旬祭の日、『突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。』のでした。ここを見ますと聖霊なる神さまが動き始められたのがわかりますよね。そして、3節にこう書いてあります。『そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。』、そして4節では、『一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。』とあります。彼らは「ほかの国々の言葉で話しだした」のですが、彼らが何を話だしたのかと言いますと、「神の偉大な業」すなわち、イエス様の救いのことを賛美し、語り始めたのでした。ここでのポイントを三つお話ししたいと思います。一つは、聖霊なる神さまが降ることで始まったということ。もう一つは、聖霊なる神さまが彼らに賜物を与え、彼らが話したことない言語で話すようにされたこと。そして、もう一つ、彼らは自分の理性や力でイエス様のことを理解していたのではなくて、聖霊なる神さまが彼らの目を開いたということです。
◯恵みの王国がこの世界を覆う
ペンテコステの日、彼らを通して、沢山の人が信仰に入り、イエス様を信じる群れができました。ですので、教会の誕生日と言われているわけです。でも、先ほども言いましたように、教会の誕生日といっても、それは、建物のことではなくて、聖霊なる神さまの働きによって、本格的にイエス様の恵みによる支配が始まったということになります。このイエス様の恵みによる支配のことを「恵みの王国」と言うのですが、この「恵みの王国」とはどういう国でしょうか?それは、イエス様が宣教し始められた時の言葉を見ると良く分かります。イエス様が宣教し始められた時、こうおっしゃいました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」イエス様は、「神の国が近づいた」とおっしゃいました。「神の国は近づいた」と聞くと、「あれ、神さまの支配は天地創造の時からあったのでは?」と思うかも知れません。まさにそこが大事で、これは、イエス様による恵みの国のことをおっしゃっています。神さまは、天地万物を造られました。地球も、生き物も、もちろんこの宇宙も全て神さまがお造りなりました。そして、私たち一人一人に命を与えてくださり、太陽を昇らせ、雨を降らせ、動植物を養っておられます。私たちに必要な全てのものは神さまが与えてくださっています。神さまが治めておられるこの世界は、永遠に続きます。このように、神さまが創造主として世界を造り、保ち、治められていることを、私たちは「力の国」あるいは「神さまの力による支配」という風に呼んでいます。それに対して、「恵みの国」というのは、イエス様によってもたらされる支配のことです。罪人をも招く、慈しみと憐れみに満ちたイエス様の愛による支配のことです。この「恵みの国」については、イエス様の周りで何が起こっていたのかを見ると良く分かるかと思います。イエス様は、人に羨まれるような人、立派な人の傍に行かれたのではありませんでした。
イエス様は病に苦しむ人たちを癒されました。死人さえも蘇らせました。また、悪霊に苦しむ人から悪霊を追い出されました。そして、人々から「罪人」と呼ばれ蔑さげすまれていた人達にも近づいて共に食事をなさいました。失敗して苦しむ人、虐しいたげられている人、自分の罪に苦しむ人、自分なんて・・・と思う人を召し集めて、その人たちの心を解放して行かれるのがイエス様です。そのようなイエス様の愛に満ちた国のことを「恵みの国(王国)」と言います。
イエス様が十字架で私たちの罪を全部背負い、死んでくださったことによって、この世界は、神さまとの関係が回復しました。そして、イエス様が復活し、そして、天に昇天され神の右に座された時に、完全なる恵みの支配が始まりました。この世界は、今、イエス様による罪の赦しと、イエス様の愛とが覆っている状態になっています。その中で、聖霊なる神さまが働いておられ、イエス様に繋がる人がどんどん広がっていき、そして、そのイエス様の恵みを頂くために、教会が建てられ、そこで、御言葉が語られ、罪の赦しを与える洗礼と、命の恵みともう一つの罪の赦しである聖餐が与え続けられるようになったのです。教会とは、信徒の家ではありません。神さまが恵みを与えようとしておられる処なのです。ですから、今、この世界は、イエス様の恵みの中で存在しています。
◯聖霊の働き
さて、今日は、聖霊なる神さまのことを覚えて礼拝しているのですが、聖霊なる神さまは、聖霊降臨の日に初めて働かれたのではありません。聖霊なる神さまは、控えめな神さまと言われることもありますが、聖霊なる神さまは天地創造の時にも関わっておられます。そのことは、創世記1章2節を見てもわかります。でも、もう一つ、大きな業をなしておられるのです。それは、イエス様がお生まれになった時です。私たちは使徒信条で、「主は聖霊によって宿り」と告白しています。まさに、イエス様がお生まれになる時にも聖霊なる神さまがお働きになっているんです。天地創造の時から、ずっと、聖霊なる神さまも働いておられるのですが、次に、私たち一人一人に聖霊なる神さまがどのように働いてくださっているのかをお話したいと思います。
◯私たちの聖化
私たちは、使徒信条の後半で「我は聖霊を信ず、また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、体のよみがえり、とこしえの命を信ず」と告白していますよね。聖霊なる神さまによる新しい時代が、弟子たちに聖霊が降った時から始まりました。聖霊なる神さまの力によってイエス様の恵みの王国が本格的に始まったのです。この恵みの王国の支配者は十字架で死に、そして復活し、天で神の右に座されたイエス様です。イエス様は、この世界を恵みによって支配しておられます。聖霊なる神さまは、福音を通して私たちの目を開き、そして、私たちに罪の赦しをイエス様の命を与えておられます。ペンテコステの日に、この世界にイエス様を主とする民が生まれました。
イエス様を羊飼い、大牧者とする羊の群れ、それが、唯一のキリスト教会(目には見えない教会)のことです。それを公同の教会と私たちは言っています。聖霊なる神さまは、私たちの目を開き、そして、イエス様が分かるように目を開いてください、そして、イエス様の群れ、つまり、教会に召し集めてくださいました。私たちは、教会という交わりの中で、み言葉を聞き、そして、罪の赦しを頂きながら終わりの日まで過ごしています。私たちは、終わりの日、つまり、イエス様が再び来られた時、私たちは復活し、本当の永遠の命へと生き始めることになります。その時に、本当の神の国が実現するのですが、これを「栄光の国」という風に呼んでいます。力の国、恵みの国、イエス様の国です。
◯実を結ぶ
それまで、私たちは、み言葉を聞き、悔い改め、そして、罪の赦しを頂きながら成長させていただくのですが、そのサイクルの中で私たちは豊かな実を結ぶようになっていきます。そのことを記した聖書箇所を見たいと思います。ガラテヤの信徒への手紙の5章16節をお開きください(新349頁)。パウロは、聖霊によって神の民とされた私たちに16節で「霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」と言っています。そして、19~21節でこう言っています。
『肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。』このように聞くと、自分の中にある、嫌な自分が見えてくるのではないでしょうか?クリスチャンとなった今、さらに、そんな嫌な自分が見えてくるのではないでしょうか?これに対して、霊の結ぶ実についてパウロはこう言っています(22~23節)。『これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。』ここで、大事なのは、霊の結ぶ実であるということです。天地を造る時にも、イエス様がお生まれになる時にも、そして、イエス様の福音が世界に広がる時にも聖霊なる神さまはお働きになりました。そして、私たちの目を開き、そして、私たちにイエス様の命を私たちにくださった聖霊なる神さまは、今度は、イエス様に似るように、私たちを変えていってくださっているのです。そういう聖霊なる神さまの働きが私たちの内に起こっているということを覚えていただければと思います。もちろん、放っておいて勝手に実るモノではありません。私たちもまた、御霊の実を求めなければなりません。でも、私たちの力では無理なんです。聖霊なる神さまが、悔い改め、そして、イエス様に着いて行こうとする私たちに豊かに働きかけてくださり、イエス様の恵みの支配を通して、私たちから御霊の実が実るように働いてくださっていることを是非、今日、覚えて頂ければと思います。今は、確かに、病があり、死があります。また、悪魔が働き、罪もあります。しかし、再びイエス様が来られる時、罪と死と悪魔が完全に滅ぼされます。罪は存在しなくなります。その時、死も、病も、涙も全て消え失せます。神さまの栄光による支配が目に見える形で完成します。そのような状態を私たちは信じて待っているのです。もちろん、その時まで、私たちは独りで頑張っているのではありません。私たちは、父なる神さまも、イエス様も、聖霊なる神さまも、私たちとの交わりを持ってくださっています。その時まで、聖霊なる神さまは豊かに働き、私たちに信仰と希望を豊かに与え続けてくださるのです。
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