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〇悩みを横に並べていないですか?
むかし、人生のことでいろいろ悩んでいた若者に、年配の人がこう助言しました。「あなたは問題を目の前に全部並べてみていませんか?問題を横に並べると不安になって仕方がありません。問題を横に並べるのでなく縦に並べなさい。」問題を横に並べるのではなくて縦に並べる。そうすると不安が小さくなる。なるほどな・・・と思いました。でも聖書はもう一つ、もっと素晴らしい在り方を教えています。それは、今日の聖書箇所の25節のみ言葉です。
「わたしはいつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない」この詩編は、ダビデが詠んだ詩編です。
しかも、彼が不安な時に詠んだのがこの詩編です。この詩編を見ますと、彼が動揺しない理由が二つ書かれています。ひとつは「主が共におられる」という信仰です。これは、主が私と共に歩んでくださっているという安心です。
これが、ダビデが動揺しない一つの理由でした。もう一つ言っています。
それは、「いつも目の前に主を見ていた」という信仰です。傍らのおられる主を目の前に見ていた。ここが今日覚えて頂きたい大事なところです。
どうでしょうか?主がいらっしゃるという信仰を持っていますが、主を目の前にいつも見ようとしている信仰はあるでしょうか。
〇復活を示すイエス様と弟子たち
先週、私たちは復活のイエス様に出逢った弟子たちを見ました。
マリアはずーっと暗い墓の中を見つめていました。一度目、イエス様が声をかけた時、マリアはお墓の管理者としか思えませんでした。イエス様の方を見たと書かれていますが、しっかりと振り向いていないのが分かります。
しかし、イエス様が再び「マリア」と声をかけた時に、マリアはイエス様の方を完全に振り向いているのが分かります。マリアは主を目の前に見たのです。他の弟子たちもそうでした。イエス様は弟子たちの前に立たれて彼らの目を開き、ご自身が復活したことをお示しになりました。トマスに対しては傷口に触らせながら「信じる者になりなさい。」そうおっしゃいました。弟子たちは復活したイエス様を見たことによって「主を目の前に見る」ことができるようになったのです。
〇ダビデは主を目の前に見ていた
「主をいつも目の前に見ている」これは大切な生き方です。
ダビデはゴリアトを目の前にしたときに、ゴリアトと戦うのは私ではなくて「主ご自身だ」そう信じていました。ダビデは目の前の大きな問題と共に神ご自身を見ていたのです。そして大きな剣に対して、小さな石で打ち勝つ信仰を得ていたのです。
〇イエス様は神さまをいつも目の前に見ていた
イエス様はご自身が十字架に架かる時、目の前に何を見ていたのでしょうか。もちろん、恐怖を感じていたことでしょう。しかし、イエス様も同じように、神さまと、神さまの約束を見ていました。ペテロはダビデの詩編を引用してこう言っています。「あなたは、わたしの魂を陰府に捨て置かず、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれない」イエス様はこの詩編をどう読まれたのでしょうか?イエス様は、悪魔という敵、人間の恐ろしいまでの罪、死の恐怖を前にして、この詩編をこう読まれました。「わたしは、あなたの魂を陰府に捨て置かず、わたしの聖なる者の朽ち果てるままにしておかない」
このような神の約束の言葉として読まれたのです。この詩編はダビデにとって、イエス様にとって、ペテロにとっても神の約束をしるしたみ言葉となったのです。
〇私たちにもこのみ言葉は真実です
「あなたは、わたしの魂を陰府に捨て置かず、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれなおい」そして、大きな敵に向かって行かれたのです。聖書にはこれだけに限らず、多くのみ言葉が、神の約束の言葉として、私たちに与えられているのです。
「わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない」復活のイエス様がなさったのは、弟子たちの前に立たれることでした。それは、前に立たれただけでなく、復活したイエス様が今も生きておられる。死に打ち勝ったイエス様がいつも私たちと共にいてくださるということを弟子たちにわからせるためでした。「神はこのイエス様を復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です。」ペテロは32節でこう言っています。
〇ペテロを変えたキリスト
恐らく、ペテロにとって、始め、聖書というのは、尊い教えのような存在でしかなかったかも知れません。見えない神を信じる。神の戒めを実行する。
そのような理念のような、ある意味、抽象的な教えの中に生きていたと思います。ダビデの詠んだ詩編も「私もダビデと同じように雄々しく歩まなければならないな」そのような感じで読んでいたのだと思います。しかし、このみ言葉が、イエス様ご自身の復活を予言して詠まれたみ言葉だったということを知りました。また、このみ言葉通りに、蘇られたイエス様を見て、彼の聖書に対する考え方は、ガラッと180度変わったのです。そして、イエス様に対する信仰もすべて変わったのです。ペテロは、勿論、人を恐れるという姿は、消え去りはしませんでしたが、でも、いつも、目の前に主を見て歩む者に変えられたのです。
〇最後に(目の前に、聖書の約束を、そして、イエス様を見る)
これからどうなるんだろうという不安。皆様持っているのではないでしょうか。人生の不安、死に対する不安・・・色々あるかと思います。
目の前に不安がある。でも、その横に、聖書を置いてください。
そして、さらに、今日、私たちがペテロから、ダビデから教わったこと、「共にいてくださる主を、いつも主を目の前に見る」このことを実行して欲しいと思います。「神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です」ペテロは世界中の人々に、復活したイエス様を知ってほしい。
そう願っています。復活したイエス様こそ、私たちの生きる力となるのです。
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