永遠に生く

 真の愛

 自己滅却の忘我の愛こそ真の愛、即ち、神の愛なり。

 真愛ある処、何事も成らざるは無く、成せざるは無き、
 全智全能の、真光なる神の姿と現はるるなり。

 己れを省みて、不成就なりし事柄の過去振りかへり見る時、例へ愛ありとも、
 常に其処には煩悩の愛のみでありたるを悟るべし。
 煩悩故に無為に消え去りしなり。

 何故ならば、一切の煩悩は、只妄想の幻に過ぎざるが故なり、
 例へ身を焦す恋なりとも、地獄の炎となりて焼き尽くさるるなり。
 残りしものは冷たき灰に過ぎず。

 我が子の為、我が子の為と思ひし故の子育てなれども、
 長じて省りみられざれば、如何に恨めしく、寂しき思ひやすべし。

 これ皆、自己愛の変型なればなり。

 己れを捨て切り、只ひたすらに相手の身になりて愛し切る真愛なれば、
 成長いたせし上は静かに立去りて満足なり。

 真に神を求めんとなす者は、この自己滅却の真愛に目覚むべし。
 只、己れを捨てて、捨てて、捨て切る修行こそ、真の信仰なり。
 神や仏と成るべき道なり。

 己れを捨て切る事は、己の業を捨切る事なればなり。
 過去一切の罪、汚れを捨て切り、流れ去れば、残るは只、「真我」のみなり。

 「真我」とは、即ち「神」なり。

 我、神なれども、おかせし罪咎巌の如くにどっかと座りて、
 断切らざるが故に、真の己れを見出し得ざるなり。

 人は先づ、真の己れを取り戻さんが為に、例へ真似事なりとも、
 真の愛をば行ふ事を忘るべからず。

 神、その為に、先づ家族を与へ給ふものなり。
 親に、子に、夫に、妻に、兄弟姉妹にと、身近かに及ぼす本能的なる愛、
 これより広げゆく隣人への愛、それより悟りゆく真の愛なり。

 此処に、神仏への道広けゆくなり。

 人は皆「神」なり。
 されど、神とは申しがたき、罪や汚れにうづもれて、真の姿を見失ひしものなり。

 時は今なり!

 目覚めよ、目覚めて見れば、この世は天国!
 人は皆、神なれば、神の世に外ならざるなり。

 人智にて なしあたはざる精巧の
 官居にあらば人は神なり


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