永遠に生く

 菩薩行

 一、先づ自分が人にして欲しいと思ふ事は
 全部人にしてあげる事。

 二、どんな事をされても、憎んではならない。
 それは自分の心を、相手が見せてくれた訳であるから。

 三、上求菩提、下救衆生の心を片時も離さず、
 常に求めて止まざる心を一心にして、
 教はりし事はただちに又、求め来る者に手渡してゆく心がけを
 忘るる事無きが、水の低きに流るる如く自然の法則なり。
 天地は、自然の法則にのっとりて、一大調和の世界なり。
 
 我はその、一大調和の一駒なり。
 この一駒崩れなば、すべては狂ふものなる事肝に銘じて忘るべからず。

 四、すべての事、己が為すと思ふべからず。
 己が人に教うるにあらず。
 己れが神より授かりしものは、又次々に手渡しゆく歯車の一駒と思ふべし。
 上より来りしもの、次々に下に送りゆくコンベアーであるのみなり。

 己れが教へる、己れがしてやる、と思ふ心故に、増上慢となるなり。
 増上慢は修行第一の敵と思ふべし。
 すべては己れが為すにあらず、為さしめらるるのみにして、
 己れは神の操り給ふ機械に過ぎず。
 手入れして、常に油を注し、何時にても
 神の御用に立つべき準備の怠りなきことこそ第一なり。

 五、すべて、我がものと申すもの何一つとして無し。
  
 物質であれ、智慧であれ、
 これ等に附属なす権力、財力、名誉、地位等、
 何一つとして我が物にはあらず。
 一切はその時、その場に於て役立てんが為、
 神の備へ給へる必需品にして、
 その時、その場に役立たすべき付属品なり。

 肉体然り。
 この肉体と申す機械を、その時、その場に働かしめんが為に、
 必要なる附属物を用ひらるるに過ぎず。

 すべて、人の誤(あやま)ちとは、
 これ等のものを自分のものと思ひ違ひ致す処より始まるものなり。

 人と人とのめぐり逢ひ然り。
 この縁も、物質の縁も、すべて皆これ一大調和あらしめ給ふ
 神の経綸にして、己れと申す勝手なる個は無し。
  
 己れとは、大宇宙の微々たる一核にして、
 すべてこれ神の中に在りて、神のみ心により
 如何様にも役立たしめらるるものにありとの信念を根本となすべし。

 六、肉体と心とは一体なれば、肉体に痛みあらば、
 己れの心、神の経綸に逆きしものと悟るべし。
 心逆きしが故に、肉離れせし痛みなり。

 心、常に神と共なれば、肉体に病、痛みあるべき筈無し。

 病み、痛みは神の警鐘なりと悟るべし。
 心を静めて、如何にあるべきかを、
 己が真(まこと)の魂に問ふべし。

 そは、神なるが故なり。

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