永遠に生く

 無我の愛

 真実の愛とは、相対的なるものにはあらず。
 これが愛なり、命を掛けた愛などと、
 相手を向ふに置いて思ふ処の愛は、我欲の愛なり。
 神の愛とは、相対的のものにはあらず。

 己れ自身は、何ものに比すべくも無く、いとほしく、可愛ゆく、
 限り無き愛に包んでをれども、それを感ずるものにはあらず。
 これ、即ち、愛、そのものなればなり。

 真実の愛とは、己れと一体にして、
 他にありと思はるるものにはあらず。

 相手を愛してゐると思へば、も早やそれは真の愛にはあらず。

 自他一体ならざれば、真の愛にはあらず。

 宇宙万物皆一体にして、愛そのものこそ、真実の実相なる故に、
 もしも、己れと、相手と、別々に感じての愛ならば、
 も早やそれは真実の愛とは申されぬなり。

 相手を愛するが故に、逆かれれば憎しみと変わり、
 心逆転いたすなり。
 これ、真の愛にあらざる証拠なり。

 己れ自身なれば、例ヘ己れの意に反し、肉体己れを痛めつけ、
 病みほうけても、尚、癒さんとして、必死にいたはり、治療し、
 養生なすべし。

 相手ありと思ふが故に、傷けられたりと感ずるものなり。

 如何に己が意に反し、逆かれ、傷めつけられたればとて、
 己れ自身と感ずるなれば、むしろ、一時も早くこの傷癒さんとして、
 相手の心を柔らげ、慰さめ、愛にかへさんと必死の努力を致すであろう。

 相手とは即ち、己れ自身の事なればなり。

 真の愛とは、自他一体を悟り得て、始めて自覚なし得るものなり。

 如何に命をかけたればとて、相対的なる愛は、
 只、煩悩の虜となりたる愛欲に過ぎず。

 さればこそ、覚むれば空しき骸のみなり。

 真の愛とは、一切の我欲無き愛にして、愛そのものが己れ自身なり。
 それ故に、愛を、愛なりと感ずる事なく、
 愛、其の儘の行動、実相となりて現はるるものなり。

 己れ自身が愛、其のものなれば、そむかるる事も無く、逆むく事もなく、
 従って、憎しみ、恨み、悲しみ、苦しみ、などと申す、
 不自然的現象は現はれざるなり。 

 只、己れを思ふ如く、相手を思ひ相手の幸のみを考へる時、
 一切の我欲は無と帰するが故なり。

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