永遠に生く

 死生一如とは

 神、神・・・・・
 仏、仏・・・・・
 等と、一心になる事は申し分なけれども、
 只、それのみにては我執となりゆくものなり。

 天地一切、即、神なりの、万有の真理体得なさんが為には、
 一時期、神とも、仏とも、心から離して見るもよかろう。

 一歩、離れて見て、
 「我、かかるが故に神なり」と確信致し得てこそ、
 神たるの実相顕現致しゆくものにあり。

 「我、かかるが故に・・・」とは、即ち
 「天地一切の中に在るが故に」と申す事なり。
 即ち、
 「万有の真理の中に生き生かさるる我」と申す事なり。

 善も、悪も亦、万有の真理に通じゆくものなれば、
 善悪一切をのみ込みて尚、
 すべてこれ等に、善なり、悪なり、と拘らず、
 愛を以て受け入れゆく、広大の心こそ
 神なり、我なり、と、自覚なし得て、生ける神なり。仏なり。

 この心境に到達なさんが為には、一切を我が内に受け入れ、
 融和なさねば相成らぬなり。

 神、仏とは、円満具足の姿なり。

 されば、汝の実相と比べ見て、
 「我、神なり」と申さるるかや?

 此処に、己が、信仰、々々と、一途に思ひし拘りの
 如何に小さき我執なりやを悟るべきなり。

 汝を、広大無辺、円満なる者と致さばやと
 思し召さるる守護神の、大慈大悲、しかと悟りて謝し奉らば、
 伏し拝む心の真実(まこと)に写るべし。

 「我、如何に小さき拘りの塊なりしや!」と。

 とくとく恥じ入りて、今日からは、
 雄大にして、無辺とも申すべき、神の心、身得なさんが為には、
 すべての者と手を結び、すべての中に解け込み得て、
 天地一切は、即ち、神、なり、仏なり、と感じ得る迄精進なすべし。

 観じ得て、これ即ち、神の実相なり。
 生ける身の神なり。

 生も無く、死も無き、無限の生命に生くる事なり。

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