真実は神なり 誠を尽くして、尽くして、尽くし切る時、真実(まこと)の極みに神があり。 真実(まこと)の極みは仏の愛なり。 真実(まこと)を知らずして、神は知り得ず。 誠を尽くさずして、仏の慈悲のあるべき筈なし。 されど、人は皆誠を尽くさずして、只求むる事のみ多きなり。 さればこそ、与ふるをいみ嫌ひ、 求むる事をのみ欲するが故の実相を地獄と申すなり。 神の世は、常に身近かにあり。そは、誠のみなればなり。 誠を知らずして、真実(しんじつ)は無し。 真実(まこと)を知りて、為し得ざるは偽善なり。 神仏喜びて万物を授け給ふは、己が心に誠を悟りて、 真実(まこと)を尽くして、始めて授かり得るものにあり。 如何なる財宝も、誠を知らず、真実(まこと)を尽くさずして 得たるものは、皆偽善のものなるが故に、一片の土くれに過ぎず。 真実は、光を放ちて身を輝かすものにあれば、 如何なるものも光と成りて、人の心に照り映ゆるなり。 大閣高楼も、真実(まこと)によりて成りしにあらざれば、幻の夢なり。 砂上の楼閣にして、一瞬の間に潰え去るものにあり。 貧しきあばら家も、真実(まこと)の満たされてあれば、 如何なる楼閣も及ばざる大塔と成るものにあり。 心とは、只真実のみあるものにして、 不実は即ち迷夢なり。 されば、人間とは万物の長にして、 神となるべき、否、神たるべきが本姿なり。 己れ神たりと恥づる事無く申さるるまで、磨きゆく事こそ、 人生なり。 人は遂に、神と成りて元に還へりゆくべきものなり。 永遠に生く目次 |