永遠に生く

 昇華 後編 小田善子

 
1月20日ご容態極度に悪化され、
 「これで、医者の範囲を出たな」
 と言はれてから、次第にお声も細く、注意深くせねば聞きとれない程でしたのに、
 24日午前10時頃、静かにお寝みの時、突然、大きな、はっきりしたお声で
 「○○さんがお見えになった」
 と、ドアーの方を向いて言はれたので、居合はせた三人は、
 本当にびっくりしました。
 御親戚にもお知合の中にも、そのお名前のお方はいらっしゃらないとか・・・・・。

 まだ一度もお目にかかってもをられず、勿論、その様なお名前のことを
 ご存じの筈もないその『○○さん』は、鳥取へご案内して下さったお方の
 ご神名であり、 24日の同時刻、旅先きで、一睡も出来ず夜を明かして、
 乾様のご祈願をしてをられたことを知り、明らかな霊的交流の証明を
 残して下さった事の一つでした。

 その時「○○さんが来て下さったから、大丈夫ですよ」
 と申し上げると、
 「安心しました」
 と、言って再びお寝みになりました。

 その夜、微かな微かなお声で、
 「あした  あした  万事、たのみます」
 と言はれ、
 「何も、ご心配はありません」
 と申し上げると、再び
 「安心しました」
 と、肉体的には、とてもお苦しい筈なのに本当にお安らかな、
 美しいお顔でゐらっしゃいました。

 午前0時過ぎ、おいとまを告げますと、
 「明日はもう、駄目ですから・・・・・いろいろありがたう」
 と、はっきりしたお声でおっしゃいました。

 心をのこしながら帰宅。
 暫時まどろんだ時、乾様がお一人でお見えになって、
 「小田さん、ありがたう、ほんとにありがたう」
 と、満面笑み一杯で言ってをられるので、あっ!!と驚いて飛び起き、
 時計を見ると、午前6時20分。
 胸さはぎして、身支度をしてゐるところへ、病院から御電話。

 馳せ参じて伺ったところでは、6時頃から意識の混濁があったとか。
 その時、わざわざ私如き者のところへ、はっきり最後のご挨拶に
 来て下さったと言ふことが判り、今更ながら、御人格の尊厳さをうかがふと共に、
 短い期間に、確実な神我一体のお悟りを得られ、衣に過ぎぬ肉体をぬがれて、
 真の生命のままに生き続けていかれる確信を得て、更に、その表現そのままに、
 25日午前8時20分感動的な終りを結ばれたことは、まことふさはしく、
 みわざそのものであったと信じてをります。

 なんとしても、お元気になって頂きたいとのみ、ひたすら祈り続けながら、
 ご立派な御最期で、天界へお見送りさせて頂いて、早くも三回忌を
 おむかへするに当たりまして、どういふわけか、月日の流れを覚えることなく、
 只、鮮やかに生き生きと天界でご活躍のご様子しか浮かばず、
 学問も、宗教も超越して、大覚された素晴らしさに率かれつつ、
 改めて倣はせ頂けますのなら・・・・・と、
 あの温顔でのお励ましを頂戴する心地で、只、只、ありのままを記させて頂きました。

 沖の干潟 遥かなれども
 磯よりの潮の 満つるが如し
 
「徒然草」一五五段より

 くり返し終りのあることをしかとみつめ、数々頂戴しっ放しのご恩に
 心よりの感謝を捧げ、己にのこされた地上の暮らしを大切に、
 精一杯の日暮しを生命のままにと希ってをります。

 乾様、ほんたうに有難うございました。

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