永遠に生く

 神 我が内に在り

 神仏を外に求むる事勿れ。
 神仏は我が内にあればなり。

 神仏の、いと高き処にありと求むる我は、いと低き処に在れば、
 無限の高きに神を置きて、永遠に近づき得ざるなり。

 悠久の太古より、無限の未来に至るまで、常に、神は我なり。
 何故なれば、広大無辺の大宇宙、即ち神なれば、
 その中に存在なすもの、すべてこれ神なり。

 人、申すに及ばず。
 我、神の中に在りて、神のみ心を生かしあるものなれば、
 我が内にあるもの、すべてこれ、神なり。

 神にあらず、と囁く悪魔の声を、真実なりと思ひ違ひ致して幾星霜。
 こびりつきたるこの欲念の間違ひに気付きたるは、
 即ち神たるの我に目覚めし証拠なり。

 目覚めて見れば、四次元、五次元、六次元、七次元、皆これ異境にあらず、
 我が身を置くこの場こそ、即ちその次元なり。

 内在の我に徹して、内に、内にと追求いたしゆく時、
 我、即、神なり、との自覚に到達なすものにあり。

 されば、その追求をこそ、信仰と申すなり。

 只魂の 浄めのために現し身の
 在りとこそ知り この身尊し


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