永遠に生く

 昇華 前篇 小田善子

 人は生涯に様々のドラマを持って確実に、平等に終わりの日を迎へなければなりません。

 昭和53年1月25日午前8時20分、一切の執着から離れ、人生を謳歌して、
 呵呵大笑されるが如くドラマチックに終焉を結ばれた乾様
 永遠の時空の広がりの中で、脈々と生きつづけていらっしゃいますことを信じてをります。

 ご病状篤く刻々体力の衰へてゆかれる日々にも、平素から真理探究については、
 人知れずあらゆる角度からのご努力があったせいもございましょうが、
 いつも毅然として姿勢さへも崩されることなく、淡々としてゐらっしゃいました。

 忘れもしませぬ12月18日
 「不思議な夢を見たんですよ、遠くの方にけっこう高い二ツの山が並んでゐて、
 その山の一ツの方には『彦火火出見命
(ひこほほでみのみこと)もう一ツの方には、
 
『鵜葺草不合命(うがやふきあへずのみこと)』と、遠いのにもかかはらず、
 墨痕鮮やかに大書されてゐて、『これを忘るるなよ』 『これを忘るるなよ』と、
 二回しっかりした言葉が、実にはっきりと聞こえるんですよ、
 しかもこの夢は、二、三日前の同時刻(深夜3時20分)に見たのと全く同じで
 二回繰り返へし見たんで、今迄になく不思議なんです。
 そして、この山は西の方から少し東へ動きました」
 更に言葉を継がれて、
 「こんな神話に出て来る様な名前は、ついぞ思ったこともなし、
 記憶にもない様な事なんで・・・・・」と。

 仏教についてはお委しいけれど、理性的な乾様にしてみればお言葉通りだった
 ことと思ひます。
 この事を或るお方にお話ししたところ、「その山はありますよ。行って見ませうか」
 と云うことになって、早速19日早朝から鳥取へ向かったのでした。

 曇り空の中国縦断道路を走ったバスが鳥取市に着いた時は、
 霰まじりの冷たい雨が降り、乗り替へて目的地に向ふ車窓を横なぐりに
 雨風がたたいてゐました。

 鷲峰山と云うその山が見渡せるころ、雨も止み、視界も開け、その山の麓、
 鹿野にある神社、勝宿神社の前で車を止めた時は、
 先程の吹き降りは嘘の様でした。

 山は、鷲が両脚をかけて二ツの峰をふんまへた格好で聳え、
 勝宿神社のご神体だとか・・・・・
 その神社のご祭神が、『彦火火出見命』 『鵜葺草不合命』であったことに驚き、
 神社は、その昔この地より西方にあったものが、ここへ移されたもの・・・・・
 と聞かされて、乾様の夢のお話を一層注意深く辿る思ひでした。

 鳥取と言へば、乾様にとってはお懐しいところ由、また鷲峰山、鹿野と言ふのは、
 釈尊にゆかりの霊鷲山、その麓の鹿野苑と同じ型だと聞かされて感無量。

 意義深い参拝を終へ、牡丹雪で見えにくく前後の車のライトが、
 ぼーと夕暗の中を鈍く続く日本海添ひの国道を、一路市内へと戻りました。

 一夜の内に厚く雪化粧した、美しい山脈の中を通って終着地大阪から、
 真直ぐ病院へお尋ねしてご報告させて頂く感懐は格別でした。その時、
 「霊的なことについては、今までに数多く、さまざまな例を聞かされて来たけれど、
 自分自身で経験するのは、実は今度はじめてです・・・・・」
 と、霊夢についてのご経験を深い感動をもって、言葉短かに洩らされて以来、
 それ迄見えなかった新しい世界を其処に発見され、もう一つ次元の高い、
 広い世界を見渡された如く、日毎に澄み透っていくご心境の中で、
 全生涯を凝縮されたやうな日々に、霊界交流の、実に不思議なお言葉を沢山遺され、
 今尚記憶の中に甦って魂の世界の重大さを、一層認識させられてをります。

 そして壇の浦で平家が滅び知盛が入水する直前、
 「見るべきほどの ことは見つ」
 と、言い放った言葉そのままに、最後の時迄、遥か宇宙を見据ゑるような
 御眼でゐらっしゃいましたが、それは、肉眼を超えて、ある見えない力が、
 人の上に働いてゐることを鮮明に見きはめてお教へ下さったやうに感じてをります。

 やはり、自らの直接の感覚と結びつけて、ギリギリの真実をみつめるのは、
 非常に新鮮な驚きであり、この世の中の不条理の中に摂理を見る
 たしかな手応へでもあるやうに思はれます。

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