過去世の因縁
水面
 
 
からちょうど30年前、私が26歳の時です。
 知り合いからある男性を紹介されました。
 私は、その人と会った瞬間に懐かしい気持ちになり『あぁ、私はこの人と結婚する』
 と直感しました。
 それは、彼も同じで話せば話すほどお互いに魅かれていきました。

 それから1ヶ月後、彼にアメリカ赴任の辞令が出たため、
 急に結婚話が持ち上がりました。突然のことでしたが双方の両親も、
 このご縁に心から喜び、不思議な程トントン拍子に話は進みました。
 そして、出会ってわずか半年で結婚したのです。

 結婚後、すぐに渡米する予定が折悪しく湾岸戦争が勃発し、なかなかビザがおりず、
 いつ渡米できるかわからない状況になってしまいました。
 そのため、しばらくは義父母と一つ屋根の下で同居生活することになりました。
 元々楽天的な性格だった私は、義父母とも上手くやっていく自信がありましたが、
 同居生活は思った以上に大変なものでした。

 結婚するまで、娘のように優しく接してくれていた義母との関係が、
 日ごとに崩れていき、もちろん私の至らぬ点もあったと思いますが、
 異常な程の息子に対する想いが、私にとって受け入れられないものに
 なっていきました。
 義母は、私と主人の間に割って入ってきたり、日ごとに私に対してきつくあたるように
 なってきたのです。

 針のむしろのような辛い日々が続きました。
 『いつまでこの生活が続くのだろう』と不安になりながらも、
 『もうすぐ渡米するのだから、もう少しの辛抱だ!』と心に言い聞かせていました。

 ようやく1年後、アメリカシアトルへの赴任が決まり、ひと足先に主人が
 渡米することになりました。
 すでにお腹に子供がいた私は、2か月遅れて行くことになりました。
 『やっとこの家を離れて、主人と産まれてくる子供と平和で幸せな生活が送れる』
 と喜びでいっぱいでした。

 シアトルに移り住んで4ヶ月後には娘を出産し、開放的で自由な国アメリカで
 本当に夢のような幸せな日々を過ごしていました。
 『もう、このまま一生この国で暮らせたらどんなに幸せだろう』と思っていたのです。

 しかし、物事はそんなに都合良く思い通りにはなりませんでした。
 徐々に景気が悪くなったことで、主人の赴任先の事業所が閉鎖されることになり、
 突然帰国を余儀なくされました。
 大きな不安を抱きながら家族3人、帰国の途につきました。

 帰国後、信じられない地獄のような出来事が待ち受けていました。
 私達が知らないところで、離婚の話が勝手に進んでいたのです。
 私と娘は実家に戻され、主人とは別居状態になりました。

 この理不尽な状況に何が何だかわからなくなり、
 引き裂かれた苦しみと悲しみに暮れていた時、いつも悩みを相談していた
 大学時代の親友に打ち明けたところ「私が信仰している観音様の道場に行きましょう。
 そこには、私が最も信頼する光照先生という方がいらっしゃるのよ。
 その先生にご相談しましょう!」と、すぐに連れて行ってくれたのです。

 初めての訪問に緊張しながらも光照先生の元へ伺いました。
 お会いした瞬間、優しい眼差しで仏様に包み込まれるような不思議な感覚になり、
 お話する前から胸がいっぱいになり涙が溢れ出てきました。
 そして、光照先生に事の全てをお話しました。

 すると、「本当に大変でしたね。こんなにかわいいお子さんがいるというのに、
 それはそれは、お辛かったでしょう…でも、必ず苦しみから逃れることはできますからね。
 どんなに暗く長いトンネルにも出口はあります。」と、
 温かくて力強いお言葉をかけて下さいました。

 帰国して以来、食事も喉を通らず、体重は激減し、心身共に疲れきっていた私にとって、
 心に光が点ったような気がしました。
 それから、毎日すがる思いで娘を連れて道場に足を運んでいました。

 数日経ったある日、光照先生から
 「少し気持ちは落ち着きましたか?一度、観音様に祈願してごらんなさい。」と、
 ご指導くださったのが般若心経という御経を1万巻21日間であげることだったのです。
 1日に500巻近くあげるということは、通しであげても5時間以上かかる行でした。
 それでも何とか主人と元通りの幸せな生活を取り戻したいと、藁にもすがる思いで、
 一心に祈願しました。

 実家の両親は私の気が狂ったのか、と心配するほど、とにかく必死で取り組みました。
 そして、21日間かけてその行をやり遂げたのです。
 その祈願が通り、また主人と娘と3人で一緒に住むことができるようになったのです。
 観音様のおかげだと喜んだのですが、何故だか私の心は晴れませんでした。
 いつまた、義母に引き裂かれるか、そういう不安が心に住み着いていたからです。

 しばらくして、その不安は現実のものとなりました。
 ある日突然、私がいない間に主人の荷物が全て持ち出され、
 主人も実家に連れ戻されてしまいました。
 失意のどん底に落ち、生きる力を失った私は、死のうと思って娘を抱え、
 踏切に向かっていました。

 その時でした。「死んだらダメよ!」と、
 光照先生の声がはっきりと耳元に聞こえてきたのです。
 その声を聞いて、ふと我に返りました。
 『ああ、光照先生に会いたい』と、すがるように道場に向かいました。
 子供を抱いて憔悴しきった私を見て、光照先生は「どうしてこんなことが起こるのでしょうね。
 一度、観音様にお伺いしてみましょう。」と、ご霊示を頂いて下さいました。

 そのご霊示は、とても驚く内容でした。
 それは、前世で主人と義母が夫婦で、私は主人の母親だったのです。
 姑である私は、この二人の仲を引き裂き、嫁を家から追い出したのでした。
 嫁はその仕打ちに苦しみ、私のことを恨んでいました。
 つまり、今と立場が全く逆の関係だったというわけです。
 今世で私が義母から受ける仕打ちは、すべて過去世で私が嫁にしたことの報いだったのです。

 その話を聞いて私は愕然とし、すぐには信じられませんでした。
 結婚する時に手放しで喜び、私を嫁として迎えてくれた義母の態度が、
 このわずか数年の間に、手のひらを反すように変わったことが、
 どうしても理解できませんでした。

 しかし、このご霊示を頂き、因果応報というものを初めて教えて頂きました。
 今、目の前で起こっていることは、過去の悪業の結果であり、
 それを清浄にしない限り幸せにはなれない、という観音様の御教えに触れ、
 もっと深くこの教えを知りたい、と思いました。

 それから、私の本当の信仰が始まりました。
 毎日、先祖供養に参加し、光照先生のご法話をお聞きして、真剣に行じていきました。
 そして、祈るということは、自分の願いを叶えて頂くものではなく、
 自分の心を正して頂くことである!と、わからせて頂きました。
 その後もいろんなことがありましたが、
 『どんなことがあってもこの信仰だけは絶対に離さない』と、固く決心して行じてきました。

 そして時は流れ、ふと気が付いた時、
 あれほどよりを戻したいと思い続けていた主人に対する執着と、
 義母に対する憎しみが無くなっていたのです。
 同時に、昔感じた不安な気持ちも無くなり、知らぬ間に私も娘も幸せな環境に
 身を置いていました。

 主人と元に戻ることはありませんでしたが、私の心から長年の苦しみは無くなり、
 今では孫も生まれて、全てに感謝する毎日です。
 これからは、少しでも人のお役に立ち、喜んで頂ける人生を送りたいと思っています。



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