感謝報恩の日々
鶴
 
 平成7年1月17日、午前5時46分、私は神戸市東灘区の自宅で
 阪神淡路大震災に遭いました。

 サラリーマン生活に一旦終止符を打ち、契約社員として別会社で働き始めた
 64歳の冬でした。
 ドーンという大きな音の後、下から突き上げるような振動を感じて、
 目が覚めました。
 数秒間、激しい揺れを感じながら、何が起きているのかわからないまま
 布団の中で思わず身をすくめていました。

 次の瞬間、ガラガラガラと大きな音とともに家のなかのいろいろなものが
 落ちてくるのを感じました。
 少し揺れがおさまって、布団から這い出して暗闇の中で目を凝らすと、
 枕元に在った大きなテレビが転げ落ち、足元に在ったサイドボードが
 倒れて中の食器が散乱していました。
 隣の部屋のタンスも、全部倒れていました。この中にあって、
 夫婦二人ケガすることなく生きているというのが、奇跡のようでした。
 天井が落ちてきて押しつぶされても不思議ではなかったのです。

 まだ、夜は明けていませんでしたが、外に出てみると、
 いつも見覚えのある道が倒れた家で塞がれていたり、
 助けを求める人の声がしたりしました。
 テレビも見れず、電話も通じないので、この町がどうなっているのかも
 全くわからない、知っている人たちが無事なのかもわからない、
 度重なる余震もあり、恐ろしくて不安な時間だけが過ぎていきました。

 電気やガス、水道が一切使えないので避難所である小学校に行き、
 しかし、大きなガスタンクの爆発の可能性があるとの情報があり、
 その小学校から2キロほど山手にある中学校の方へ移りました。

 その日の晩は、避難してきた多くの人たちと、教室の床にダンボールを敷いて
 寒さに耐えて寝ようとしましたが、一睡もできませんでした。
 計り知れない不安な心で一晩過ごしたところに、神戸市でも比較的被害の少なかった、
 西区に住む娘夫婦が車で迎えに来てくれました。
 娘たちも市内のいたるところの道路が閉鎖されていたり、
 車が渋滞していたりするところを道を探しながら、半日がかりで来てくれたのです。

 やっと娘たちと会えた時は、本当にうれしくて心から有難いと思いました。
 そのまま西区の娘夫婦の家に連れて行ってもらい、しばらく世話になることになりました。
 この年になって、一生懸命働いて手に入れた持ち家が全壊したことは、
 やはり精神的にかなりのショックで、食べ物も喉を通らず、
 めったに風邪などひかない私が高熱のため何日も寝込んでしまったのです。

 娘は、この震災の10年ほど前から照真正道会で観音様を信仰していました。
 そして、平成4年の春に同じ信者の人と結婚したのですが、
 その時仲人をしていただいたのが、照真正道会の会長である乾光照先生でした。
 そのご縁で、私も月に一度の法会(信者の集い)に通い、ご先祖法要に参加し、
 法話をお聞きしていました。

 しかし、その当時は、観音様を深く信仰していたわけではありませんでした。
 娘たちに、「この大震災の中、家は全壊したけれども、ケガひとつ無く
 命が無事であったのは、観音様に護って頂けたおかげでは」と言われて、
 そうかもしれないと思い、観音様と光照先生にお礼に行くようにしました。

 照真正道会の道場に行き、光照先生にお会いして、事の経緯をすべてお話しすると
 「本当に大変でしたね。でもお体がご無事で何よりでした。」と私たちの体のこと、
 家のこと、そして不安でたまらない心を察して、家族のように心配し、
 温かく迎えてくださいました。

 そして、「しばらくの間、娘さんと一緒に道場にいらっしゃいませ。」と勧められました。
 「観音様にしっかりおすがりなさいませ。必ず心が開け、
 進むべき道を教えてもらえますよ。」
 先が見えなくなり、失意のどん底にあった私の心を、励ましてもらえたことが、
 どんなに有難たかったことか、その言葉は素直に心に沁み通り、
 毎日道場に通ってみようと思いました。

 それから2か月程娘と一緒に道場に毎日通い、ご先祖法要に参加し、
 ご法話をお聞きするうちに、この命は、自分の力で保てるものではない、
 仏様に与えられているものだと思えるようになってきたのです。
 この震災で、無事でいられたのは、『偶然、運がよかったからではない、
 本当に観音様の目に見えないお力が働いて、護って頂けた』と思えました。

 その後、娘夫婦の家から借家に移りました。道場から遠くなりましたが、
 それでも電車に乗り継ぎ、1時間半かけて、毎週日曜日に妻と二人で道場に通いました。
 そうして通っているうちに、やはり、もっと近くに住まわせて頂きたいと思うようになり、
 東灘区の土地を売却して、道場の近くに移り住もうと決心しました。

 家、土地を探すにあたっても、そうたやすいことではありませんでした。
 何度も不動産屋さんに足を運び、観音様に祈願し、光照先生にご指導いただきながら、
 ようやく道場の近くに気に入った新築の建売物件を見つけることができた時です。
 突然、息子がその物件を買うことに大反対し出しました。
 家を買うのは私なのだからと、最初は息子の反対も聞かずに進めるつもりでいましたが、
 あまりに反対するので、光照先生にご相談してみると、しばらくじっと考えられていて、
 「一度観音様にお伺いしてみましょう。」とおっしゃいました。

 すると、そのご霊示で、今回の息子の反対には、私と息子との過去からの
 深い因縁があることが分かってきたのです。
 観音様は「今回の物件は諦めるがよろしかろう」とはっきりとおっしゃいました。
 残念な気持ちがありましたが、おっしゃる通りに、息子の反対を押し切ってまで、
 その物件を買うことは止めました。

 それから半月程経ったときに、今度は別の土地が見つかったのです。
 不思議なことにその場所は、息子も納得して賛成してくれたのでした。
 それと同時に、東灘区の土地の売却もスムーズに進みましたので、
 その土地を購入して新しく家を建てることに決めました。

 もしあの時に我を張って無理やり建売住宅を購入していたら、
 息子とのいさかいは、火に油を注ぐことになり、大ごとになっていたと思いますし、
 悪念をお互いに送り合いながら、生活していたことでしょう。
 そう考えると、観音様のお言葉は、先を見通したお智慧そのものだったのです。
 そして、その後土地の購入が支障なく進んだのも、観音様のお手配だったのです。

 光照先生には、仏様に護って頂けるようにと、地鎮祭、上棟式、護摩焚き等、
 密教の秘法で、土地、家を清めてもらい、何から何までお世話になりました。
 そうしたことから、これからは少しでも、光照先生、観音様のお役に立てればと思い、
 毎日道場に日参しようと決意しました。

 それから14年経ち80歳の時、在家僧として得度させて頂き、導師会にも参加して、
 若い人たちと一緒に修行するようになりました。
 来年は震災から25年となり、私も90歳の年を迎えます。
 この震災をきっかけとして私の人生は、信仰を中心とした生活に大きく転換しました。

 この歳まで大病もなく、元気で生かせて頂けているのは、
 観音様のご加護あればこそと日々に感謝しております。
 これからも、このご恩に報いることができますように、僧として、命ある限り、
 毎日のご先祖法要に参加し勤めさせていただきます。



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