1月17日
竹灯篭
 
 
平成7年1月17日午前5時46分、阪神淡路地区を大震災が襲いました。
 その時の激震地区の一つである神戸市兵庫区に私たちは住んでおり、
 当時から夫婦共々、神戸市西区の道場まで通いながら、
 観音様の御教えを基に信仰しておりました。

 道場では悪世末法のこの世を憂い、全ての人々が真我に目覚め、
 お互いを思いやることの出来る世の中になりますようにと、
 千日護摩祈願を毎朝5時からおこなっており、主人はそれに毎日欠かさず
 参加していました。

 25年前のその日の朝も、私はいつもと同じように、台所のガスストーブをつけて、
 少し話をした後、道場に出向く主人を見送りました。

 その後、再び寝室に戻り眠りについたのですが、ドスン!という大きな縦揺れで
 目が覚めました。
 何が起こったかわからず、次の大きな横揺れで「地震だ!」と
 はじめて気付き、傍で寝ていた当時3歳の娘と6歳の長男を抱き寄せて、
 私のベッドの上で只々観音様を必死に念じていました。

 それは今までに体験した地震とは比べ様の無いほど大きく、激しい揺れでした。
 主人のベッドが大きく揺れる度に壁にぶつかり、しまいには家の外壁まで
 突き破りました。
 そして隣の木造住宅が、何度も何度も我が家にぶつかってくる大きな音がしたので
 生きた心地がせず、「ああ、子供たちとここで死んでしまうんだわ!」
 と絶望しました。

 わずか数十秒の大きな揺れが何時間にも感じられました。
 ようやく揺れが収まった時、「ああ、止まった! 子供たちは?私は?生きてる?」
 「ああ、助けていただいた!」と観音様への感謝の気持ちが込み上げてきて、
 涙があふれて止まりませんでした。

 それからはっと気を取り戻して立ち上がろうとしたとき、
 周りには割れたガラスの破片が散乱していて、とても歩ける状況では
 ありませんでした。
 その時、「あ!台所のストーブつけっ放しだ!」と頭をよぎり、
 スリッパを履いて何とか台所にたどり着くと、冷蔵庫や食器棚、
 テレビボードが倒れ、食器も割れて散乱し見るも無残な有様でした。

 ストーブは、絨毯の上に倒れていました。
 その当時は今の様に自動で火が消える安全装置など付いていない型だったので、
 「大変!火事になる」と慌ててスイッチを切ろうとしました。
 ところが不思議なことにすでにスイッチは切れていたのです。
 「こんなことがあるのかしら?」と思わず観音様に手を合わせました。

 台所の隣の子供部屋では、本棚とタンス家具が部屋の中央に倒れていて、
 心臓が止まりそうになりました。なぜなら、ついこの間まで、二人の子供を
 この部屋で寝かせていたからです。
 下の娘が、夜中にさみしがって私のベッドにしょっちゅう来ていたので、
 しばらくの間、夫婦の寝室で寝かせようと子供たち二人のベッドを移した、
 その矢先でした。
 もしベッドを移動してなかったら、、、
 二人の子供は倒れた本棚と重いタンス家具の下敷きになって圧死していたに
 違いありません。

 暗闇の中、手探りで服を取り出し着替え、外へ出てみると、
 その光景を見て愕然としました。我が家の目の前にあった銭湯が跡形もなく崩れ、
 高さ20m直径2mもあるコンクリートの煙突も根元から倒れていたのです。
 我が家の隣にずれて倒れたので難を逃れましたが、もし我が家の上に
 倒れてきていたら、家も私たちの体も粉々に砕け散っていたことでしょう。

 命を落としても何ら不思議でない中で、私たち親子は助けて頂きました。
 私たちは自分の力で生きているのでは無く、
 仏様に生かせて頂いているのだと心底思わせて頂きました。
 今年も1月17日を迎えました。25年前お救い頂いた感謝を胸に刻み、
 自らを問う日にさせて頂きます。



TOP