一実の道

 第九之御諭し

 
方便品第二とは、方便によりて諸人を正道に導くの方法を、
 釈迦牟尼世尊が説き明かせ給いし教へなり。

 汝等、一度読み上げてみるべし。
 一字一句に真実(まこと)込めて読み上げれば、自ら解かるべし。
 真実(まこと)無くば解し難し。

 例へて一例あぐるなら、
 汝、過去にて悪業致さば、未来は必ず悪因果なり。
 此れにより、己が身悪因果受くるは、如何なる過去の罪障なりやと
 懺悔(さんげ)致して、其の誠心の仏に通じ

 「如是相」即ち実相に此の通ぜし心、功徳となりて表るるなり。
 「如是性」即ち此の心、実相となりて表れ、
 「如是体」とは、其の表れし姿、
 「如是力」即ち汝が一心に行ずる力、此の力表れて、
 汝が行い行じて行ずること、即ち「如是作」なり。

 此の行ずる原因より、即ち「如是因」此の因縁、縁(えにし)により、
 もと行いし業障も、斯く善因果となり結果実相に表るるなり。
 一々の字の解釈読んで字の如し。
 されども、此の文句、体得成すはいと難し。

 過去に行いし業障の罪、又、善なる因縁、
 此等を未来に於いて其々に因果となして現はすには、
 其々の役目やくめの仏あり。

 仏と仏と会し給いて、過去なる因縁研究致し、
 未来の因果与ふるにつき、
 日々に行ずる其の者の心ごころによりて、
 現はす日々の業、其の業現はすにつき、
 行ふ其の者の力じからによりて、
 作用なす日々の業、此れ等の因縁、過去の因縁と照らし合わせて
 悪因縁有る者も、斯く懺悔(さんげ)致して行ぜしにより、
 斯様な因果と致そうや、
 又、過去なる善因縁も斯様な悪業積み来たりしにより、
 其の功徳削り取りて、斯様な因果を与へよふかと、
 協議致して、各々に因果はめぐり与へらるるなり。

 善因有りても悪業積むならば、善因は次第しだいに消ゆるなり。

 如何なる悪業有りとても、心より懺悔(さんげ)致して、
 其の懺悔(さんげ)日々に行じ、実相に現はしゆきて、
 仏の大慈大悲に縋り来るならば、次第しだいに罪許されて、
 其の身懺悔清浄となり、善因果とは廻り来るなり。

 因果は廻るを、己が蒔きし種、此れ実らすも刈り取るも、
 己が心一つになす業なり。

 心の有り方しっかと見定め、善因果の立派な実り、
 仏は只一筋に此の因果をば待つものなり。

 此れにて相解かりしかや?
 如何なる悪業有りとても、必ず悲観致すなよ。

 己が罪障一つひとつに、消しゆく懺悔(さんげ)の修行怠らずんば、
 役目やくめの仏々は一々に眺めやりて、
 一つひとつに消しゆき居るぞや。

 此の懺悔(さんげ)尽き果てし時無く、清浄の仏となりて、
 寂光の仏国土には向かへ入らるるぞや。

 励めよ、励めよ。
 怠るも己が心よりなり。
 心の在り方しっかと見定め、瞬時も怠慢おこすでないぞや。

 合掌

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