一実の道

 第八之御諭し

 
身体弱くして疲労覚え易き身は、其れだけ過去よりの業障深し
 と懺悔(さんげ)致さねば相成らぬぞや。
 身体はもとより、あらゆる物事、人に後れをとるのは、
 其れだけ己が身業障なるが故なり。
 其れ、悪因ある故に悪果生まれ出でしなるぞや。

 あらゆる物事、己が日々の生業照らし見て、
 如何に己れは斯様な事に相成るやと反省致せば、
 憂うべき物事、此れ皆悪因果なり。

 喜ぶべき物事、善因果なるぞやと、又しても己が身を省みて、
 感謝なし、懺悔なし、此の悪因縁再び積み重ねぬ様にと心に諭し、
 此の善因縁、あらゆる事に広めゆかんと心に誓いなして、
 日々の生業に一々にあてはめて、己が身を処してゆく所、
 此れ「法華経」の教へなるぞや。

 汝等は余りにも難しく考へんと致す故に、却って己が身
 迷路に迷い居るなるぞや。

 「法華経」とは、何も特別の高きもの、尊きものには非らずや。
 己れを滅して衆生の為に祈るは、此れ「法華経」の真髄なり。
 此れ大乗とは申すなり。
 君の為に己れが身を殺し、忠君愛国に生きるの念、
 此れ「法華経」の諭しなり。

 己が身を忘れて、父母孝養の為に尽くすは、
 此れ「法華経」の諭しなり。
 己が身を厭(いと)はず、家族の為に働くも
 此れ「法華経」の教へなり。
 己が身を忘れて、友人の為に祈るも、
 此れ「法華経」の教へなり。

 此の教へ、小より大へ己が周囲の者共より、
 次第しだいに広めゆく所に、仏の意思は生かさるるぞや。
 多少ともわかりしかや?

 但し、己れの為になるとの念、心の底に潜み居りし行動は、
 此れ「法華経」とは申さぬぞや。
 其れ、邪道なり。

 己れ滅する所に、「法華経」は生くるなるぞや。
 「法華経」生かす所に、大いなる己れ生くるぞや。

 大いなる己れとは、小我を滅して大我に生くることなり。
 大我とは、己れの肉体、己れの家、己れの家族、己が身の回り
 だけに己れ生くるにあらずして、己が身の回り、己を殺して
 其れを踏み台として、国家人類の為に尽くし果してこそ
 己が身大きく生くるなり。

 即ち、国家人類救済者とは相なるなり。
 此れ大我とは申すなるぞや。

 汝等、法華経行者たらんと志すならば、
 大我に生くべく心掛けねば相ならぬぞや。
 神仏に小我思う者一人も無し。
 皆、己れを滅し、大我に生き居るなるぞや。
 此れ、法華経行者なればこそなり。

 神仏といえども、神になりたとて、大いなる立派な宮居建てさせて、
 其の中に鎮座致して、安閑となして居るには非ざるぞや。

 己が悟りし「法華経」の真髄、此れ国家人類の為に
 日々刻々働かせ居るなるぞや。

 神仏には瞬時の倦怠も許されぬなり。
 心を引き締めて、真の「法華経」行じゆくべし。
 妙法の価値は、表にてお互いに励まし合い、
 戒め合えるところにあるぞや。

 真の価値、生かさずば、真の妙法とは申せぬぞや。

 合掌

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