一実の道

 第六十三之御諭し

 汝等両名(乾 宝海・光照夫妻)の間にて、
 余が孤をいだきて降臨致すを様々評議致せし故、
 今日 悟り取らすべし。
 妻なる者、いささかに悟り居れども、未だ大乗に到達し得ず。
 されば余が、御佛をば三草なして、降臨致すとの意は相違なけれど、
 御佛との言葉の中にこもれる真意は、大いなる相違あり。

 余は、一切衆生を佛と見るなり。
 されば、御佛に在はします身を斯く提婆となりて、 
 悪魔の役目つとめさせらるる勿体なさよと、
 余は先づ、難ぎに平伏すなり。

 而して愚かなる者、憎みても尚余りある者、
 嫉妬の心に己が身を焼き焦がす者、
 此れ皆、御佛、余を諭させ給う御姿なりと、
 余は、御有難さに平伏すものなり。

 されば、三草の恭意示すは、一(いち)御佛への尊崇のみならず。
 一切衆生、此れ皆、己れが悟りなり。
 己れを諭され給う御佛なりとの尊敬の意と、
 而して、余が役目、それ観世音となして、
 一切衆生救ひやらんとの大慈悲心の抱擁なり。
 汝、悟られしかや。

 斯く悟りなば、先づ提婆は己れが佛ならずや。 
 いづくにゆきても、四方八方敵ばかりなる世に、
 心の刀とぎすます世情にたちて、斯く悟りなば、
 己が身、佛となし給はらんが為、
 斯く、御佛周囲に立ち給うなりと思へば、
 提婆は、いと有難し。

 法華経は、提婆に仕ふる心の糧なり。
 而して、御佛が真意、大慈悲心は此処より生まる。
 此れ解脱なり、忍辱なりと知るべし。

 斯くして、人、己れに辛くとも
 己れ、自ずから許しゆけるであらうがや。

 本日は、解脱、忍辱の心の持ち方諭すべし。

 合掌

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