一実の道

 第五十六之御諭し

 我無く人無き無界の無に住し、法ありて法無きところ、
 我無く人無し。
 相解るかや、この真理。
 (返答)
 然り。されど汝、凡てより解脱致すとは、如何なることなりや。
 (返答)
 然り、煩悩厭離(おんり)の境地なり。

 汝が只今申せし一言、佛以外とは、
 はやそこに佛と申する執あり。
 其れ意識せずして、法に執する心なり。
 法も法の中に住せず。
 この境地より、遥かに遠きものなり。

 即ち己れ、佛となるなれば、
 佛ほとけと佛を己れ以外のものとは意識なさざる筈なり。
 既に己れが佛なればなり。
 此の境地、只行じて如何にふみとるべきかや。

 其れ一切を只、良ととり、
 如何なる喜怒哀楽にも只一切が感謝なりと頭を垂れて、
 額ずき得る己れを見出せし時は、既に己れは佛なり。

 此れ、法に照らして何処のどこに当てはまるなど、
 四角定規の法理もいらず。
 只、其れ法に適うや否やの懸念無くして、
 沸きいずる感謝のままに、只額ずくところ、此れ御法なり。

 法華経とは、斯く形ありて形無き御法なり。
 法華経法華経と、四角四面の形をつくりていずるべからずと、
 己れを縛り、人を閉じ込むる狭き境界あるべきにあらず。
 其の境界作りて、一々を一々に尺度に計る心の狭き計慮は、
 既に法ならざるものなり。
 わかりしかや?

 只、法、法とて尺度を尽くして計らるるべき、
 左様な小さき法華経にあらず。
 法の中に住する己れは、既に御法に副わざるものなり。
 佛の偉大は無限のものなり。
 尺度定規に計らるるべきものにはあらず。

 只、如何なることにも善ととりて、
 感謝を忘れぬ己が姿をふと振り返へりて気付きし時、
 善哉とほくそ笑むこそ、此れ行なり。
 行とは此処なり。

 形に偏して、無限の御法を形に当て嵌め、
 尺度に計るが如き小さき己れを見出せし時、
 今尚、己れ娑婆にあり。
 人間なりと反省致すべし。

 佛とならんが為、教へし道なり。
 佛となりてこそ、余が喜びと知るべし。
 御法とは、斯くなるものなり。
 行者とは、斯く行ずるものなり。

 到達いたすは、只佛座なり。
 いと狭き己が心に、尺度を作りて、
 己れを人を計りて、行者の心に背く己れとなすなよ。

 合掌

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