一実の道

 第五十二之御諭し

 汝等両名(乾光照・夫 宝海)此度こそは、
 余が真意、よくぞよくぞ体得なしくれしぞや。
 余は慈愛なり。
 一切衆生我が子と思ひ、只々救ひやり度きの一念にのみ凝り固まりて、
 不滅の存在、不変に生くるなり。
 如何に二十五番(妙法蓮華経観世音菩薩普門品)読誦致すとも、
 其の真に篭れる慈愛の心、己が心に体得致して、
 此れ大乗に生かしゆき実相と表はしゆかずば、百万遍の読経も無駄なり。

 空題目に血道をあげて、我欲の横車押さんと致す手合いの中に、
 真に法華経の只一巻なりとも、否、其の一巻に篭りし真意の
 百千万分の一なりとも、真に己が心と致すこと出来得る者、
 百万人の中に一人も在らざる現世に於いて、此度の汝等両名、
 大乗生かさん誠の下、真情捧げて隣人に尽くし得しこと、
 余は心より心より嬉しきぞや。

 此の真情培ひ得てこそ、今日まで常住坐臥(じょうじゅうざが)に
 汝等がほとりを離れず、導きしその甲斐ぞありしぞや。
 余が心とは此れなり。

 如何に肉耳より神佛の言葉を聞き、頭にて理解為し得るも
 直々に己が身を挺して事にあたりて、
 報いを求めざる誠の心にて、衆生の為尽くし得てこそ、
 真の悟りと申すなり。
 余が心には、我が子人の子区別は無し。
 己が腹、痛むるも痛めざるも、衆生は皆、己れに御佛より
 修行なせよと与へられし、尊き宝と見るものなり。

 汝等、此度此の余が心の一端、実相にて体得なし得しこと、
 此れ百万遍の読経よりも尚、尊き悟りなり。功徳なり。
 己が心にして、己が手に如何にも動かし得ざる己が心に、
 慈悲の佛情授けられしは、此れ皆御佛が大慈大悲の御手配なりと、
 汝等両名額ずきて謝し奉るがよかろうぞや。

 而して亦、功徳ある隣人の感謝の念は、
 百貨の宝も尚及ばざる無量の返礼と受け取るべし。
 此れ、汝をして佛の境地におかしむるものなればなり。

 佛とは、慈悲を施し、あまねき感謝を受くるものなり。
 人より送らるる感謝の念、如何に己が身、我が心をば
 清浄となすものなるかを此度体得致すべし。
 此れ、大いなる懺悔(さんげ)なり。
 汝等、隣人に尽くせし如く見ゆれども、実は余に尽くせし誠と
 余は受け取るぞや。
 再び言はん、よくぞよくぞ余が心、体得なしてくれしぞや。
 余は無限の喜び、此処に下りて善哉善哉と、汝等褒めてあらはしゆくぞや。

 合掌

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