一実の道

 第五之御諭し

 
汝、余が只今より申す事、心を静めてよく考えてみるべし。

 庭に一本の柿の木あり。
 幼き友達、其の下の木陰に遊ぶ「ままごと遊び」とや致し居るべし。
 其処ら辺りの砂は飯(いひ)なり。草は菜なり。
 切り刻みては鍋に入れ、小枝拾ひて下にくべ、
 さあ、飯(いひ)の支度は出来得たり。
 二人は幼き夫婦ごっこ。
 差し向かひては、睦まじげに小砂利の飯(いひ)をば口に運び、
 草なる菜をば「うまし、うまし」と言ひて食うなり。
 顔見合わせてはさざめき合い、いと睦まじく遊びゐたり。

 微笑ましき此の光景、汝、想像するだに心和むであろうがや。

 此處に熟柿あり。時期の来たりてハタと落つなり。
 此の熟柿如何なる役目にかはるらん。
 無垢清浄なるべき筈の幼き二人、
 瞬前までの円き心の、忽(たちま)ちに歪みて
 悪鬼の面相とかはりて、一切を投げ捨て、此の熟柿に飛びつく有様、
 宛(さなが)ら夜修羅の如し。
 奪ひ合ひ、わめき合ひ、果ては殴り合ひ、引っかき合いて、
 握り潰せし此の熟柿、両名が口に入る頃、
 小砂利にまぶれて、食する能(あた)はざるが如くになり。

 此の有様を眺むる時、汝、如何に悟るかや。

 汝等の心、此の幼き子達に学ぶべき事無きや否や。

 余は常に、高きより望み居るなり。
 両名互いにいたわり合いて、中睦まじく暮らす折は、
 己が我欲に犯されざる時なり。
 一度利害の反する時、此の幼子が醜き姿、汝等の心に起こらざるや否や。

 己れを滅するの心、自我を空しうして、
 尚、相手の利益はからんと致すの心情、
 此の真情、余が面前にて「あり」と広言致す事、出来得るや否や。

 さる故に、余は常にいとも可笑しく思ひ居るなり。
 汝等、此の幼子と等しきなり。
 砂の飯(いひ)をば食う時は、いとも睦まじげにさざめき合うなり。
 一度、余が、心試さんとて投げ与えし功徳の餌には、
 汝等忽(たちま)ちに本心をあらはし、争い競ひて、
 釣らるる罠とも知らずして、此の鈎針(かぎばり)忽ちに飲み込む汝等、
 余は幾度試せしことかや。
 いささかに凡人としては真(まこと)あるかなと頼みし者も、
 余が眼違ひなりし事、度々なるぞや。
 況て汝等、己れ自身に真(まこと)有りなど広言致すは
 いと憚(はばか)り多きことなるぞや。

 余が眼(まなこ)より眺むれば、
 如何なる巨万の富の財宝も、此の熟柿に足らず。
 奪ひ合ひ、わめき合いて、漸々に千切り合ひし物、
 泥まみれ砂まみれとなりては、洗ひて食する事も出来ぬであろうがや。
 熟柿の悲しさ、洗へば溶けて流れ去るなり。
 如何せん如何せん、浅ましの根性に、
 此處に其の実相、何物も残らぬことと相成るであろうがや。

 始めより中睦まじく頒(わか)ち合うなら、両名共に満足致して
 食することも出来たであろうに、
 愚かなる者共、鬼となりしは斯く実相にあらはれしなり。

 汝、此の徹ふみ居る実相にあらずかや。

 妙法は一つのものなり。
 半身如何に肥え太るとも、半身痩せさらばえて餓鬼の如き姿の醜さ、
 此れ釣り合ひのとれぬ身体なるかや。
 己が実相よくよく眺めて、日々の行動よくよく反省致すべきぞや。

 余が眼より眺むる時は、汝等如何に深刻に悩み合うとも、
 此の幼子が「ままごと遊び」に等しく見ゆるぞや。
 片腹痛き程おかしく見ゆるなり。

 物質は此れ幻にして、己が心にて形造りて現するものなり。
 欲しくば親に縋りてもらうべし。
 只、親にのみ縋るべきなり。
 凡人たる相手に求めて此の熟柿の徹をふむでないぞや。

 幼き二人、静かなる木陰にて、余が見守りし現前に
 円き心にて頒(わか)ち合うの楽しみ、十分に満喫致して、
 「ままごと遊び」の人生、十分に得つくすべし。

 合掌

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