一実の道

 第四十九之御諭し

 本年を顧みて、明年締めくくりの年の戒めと致さん。
 此処に日々夜々に分からぬ乍らも大慈大悲の御諭し受けつつ、
 本年もはやまぢかに迫る晦日を前に致して、
 悔いなく行ぜしか。

 悔いは悟りの始めぞや。悔いは尊し。  
 されど、改むること有りてこそ尊し。
 其れ故、悔い改めをなさねばならぬぞや。

 御神佛は、ああもしてやりたし、こうもさせてやりたし、
 此れも与へてやりたい、あれも恵んでやりたいと、
 只可愛いばっかりに、慈悲の心で一杯なのぢゃ。
 親が子に、かまどの下の灰の一滴まで残してやりたき心は、
 神佛の慈悲の心の百千万分の一を身に体得致しおるものなのぢゃ。

 けれども如何にしてやりたくとも、本人が受ける気になってくれねば、
 此は皆、無となるのぢゃ。

 本人が受け奉る気になって、与へ給へと一心に縋れば、
 与へぬ神が何処にあろうぞや。

 何事も只、受くる者の心構へ、此れ一つのみなり。
 其の心構えを段々と順々に教えられしものが、
 「法華経」なのぢゃ。
 其処に法華経の一巻一巻、
 心して身に体得致して、実行に移していくところには、
 功徳の山が実相と現われてくる。

 斯くせよ。
 さすれば此れ程のもの授くるぞやと、 
 約束致せしものが「法華経」なのぢゃ。

 本年は其の最後の年、後僅か余すところ、
 数うる許りもなき日数を経しなれば、
 展けゆく年、約束の実相の年となるのです。

 二十八番(法華経)今まで順々に、どれだけ行じてきたかや。
 行じた丈は与得るぞやと、神々、賞罰の御尽力を
 夫々の徳、不徳に応じて与へ給はらんとて、
 用意致されて、御待ち居らるるぞや。

 其の方、恐るるものは無きかや。
 到らざるは、悔いて改むる心にて、許さるるぞや。
 至らざるところは、此の様にして懺悔(さんげ)を尽し、
 せめて残る日に、僅かづつでも徳を積むべし。

 合掌

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