一実の道

 第四十之御諭し

 修行とは、只前進致す者にのみ許されたる尊き言葉なるぞや。
 汝、己が日々よっく深考みるべし。
 些かなりとも前進致し居るなるかや。
 僅かなりとも勿体無き御指導をば実行致すべく、
 努力致して居るなるかや。
 前進有らば、実相に反映致すべき筈なり。

 法華経は諸方実相、此のくもり無き鏡に映し出されたる
 汝の修行の現はれは如何。
 されば其れにて日々夜々、修行致し居ると申さるるかや。

 神佛には微塵も邪心は無し。
 只、汝をして、阿耨多羅三藐三菩提の境地に、
 導き入れんとの大慈大悲の御心のみなり。
 己れ救はるるも一家救はるるも 
 又、国家人類の救ひとならんも
 此れ皆、此の境地より始まるものなり。

 各々が、一人ひとりに此の境地をば到達致して、
 佛道成就致すところに、 
 国家永遠不滅の基礎出来得るものなり。

 されば、日々に修行致して佛道到達致すことは、
 己れ一人の為には努々(ゆめゆめ)あらざるぞや。
 此れ、大乗を生かすなり。
 即ち、国家尽忠の士となるべきことなり。
 国家尽忠の士とは、即ち此れ神なり。
 此処に神としての高き御座は設けらるるなり。

 汝、耳に入るは知ることなり。
 知って悟らぬは知らざるに等し。
 悟りて実行致さぬは、此れ知らざるにも尚劣るなり。
 其れ、背信の徒とは申すなるぞや。

 日々に御直々に神佛に御手引き致されつつ、
 尻込み致すは愚かなるぞや。
 又、大いなる懺悔(さんげ)つくりてあるなるぞや。

 只今迄、余が申せし言葉、
 余の胸中深くより迸り出でし汝への
 只、哀憐の言葉なるぞや。

 悟りて受くべし

 合掌

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