一実の道

 第三十六之御諭し

 心憂し心憂しなど心憂きからん、
 端座し黙視して己が心の奥底よくよく探り、
 熟し致してみるべきぞや。

 親無く師無く、誰が我が身を愛ほしみて、
 耳には痛き諌言、聞かせてくれようかや。

 己が身を捨て、育て上げたる愛しの子なればこそ、
 己れ、恨まるるをも顧みもせで、
 この子を良き子になれとては、
 或時は打ち打擲(ちょうちゃく)致しても諭すものなり。

 又、師なればこそ 
 心の愛し子、真直ぐなる心に矯め直さんとて
 憤怒叱責も致すものなり。
 良薬は口に苦しとは、よも悟られざる汝には非るであろう。

 心憂く心憂きは、何故なる己が我見に己れを庇ひ、
 諌言耳に逆らうが故には非るかや。

 不動明王、大慈大悲の御心より、
 汝を真の行者たらしめんとて涙のみ、慈悲の鉄拳振はせ給ふは、
 汝に受くる資格あればこそなるを悟らぬは愚かなり。
 反省致さで相済むべきかや。
 膠(にかわ)の葦(あし)にこびりつきたる根性をば、
 さらりと捨ててこそ、尊き指導も価値あるなり。

 諭しを受けなば、我が身を思ひ給はじこそと感謝致さば、
 さらりと悪心打ち捨て、
 諭しの御言葉に従順たらんと致してこそ、
 勿体無き神仏の慈悲、無に致さずとは申すものなり。

 汝に仰せ給ふ慈悲の御手配、励みて拝するだに
 いと勿体無く、御有難き御事なりと感涙致しおるなるを
 さて肝心の本人汝に、如何ばかりの感謝やあらん。

 慚愧に堪えぬ御事なりと、
 懺悔(さんげ)致してよかろうぞや。
 余が申せし事 理不尽なると思ふかや。

 汝、疲労に肉体耐へられぬかや。
 されば如何なる悪魔の襲はんも
 断乎として致して撃ち破り、菩薩道 只一筋にまっしぐら
 盲進致してよからうぞや。

 如何なる悪魔も汝に向かふる心の無くば、
 常に門戸を固く閉ざして、一歩も侵入致さざるべく、
 余は番兵となり居るぞや。
 安心致して脇目も振らずに只、本願成就に邁進致すべし。

 苦しき修行、過去となりせば、
 此れ省みる日はいと心楽しく、懐かしきものなるぞや。

 苦しみ多くば多き程、其の楽しみも亦大なり。
 余が心情、相わかりしかや。

 合掌

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