一実の道

 第二十八之御諭し

 慈愛の人も残忍の者も虚心坦懐の心も野心満々の中も、
 此れ皆、外に如何に隠すさんと致すれども、
 覆うべくも無きは、其の眼(まなこ)なり。
 眼の形変はらぬに其の光、七色十色と変化致すなり。
 心の様、有りのままに映す故なり。

 如何に麗しの美女とても其の眼、一度「法眼浄」にうつるならば、
 淫婦毒婦も直ちに見破らるるなり。
 眼は心の窓にして、神の許せし只一箇所の覗き穴なり。
 相手の心、此処より覗きて、己が心の悟りとなるべし。
 されど、覗くべき己が眼、盲(めしい)たるなれば、
 此れ覗かるるべくも非るなり。

 さればこそ、眼磨けよ。 
 「法眼浄」をばひらきゆけよと、神々の申さるるなり。
 己の心も亦斯くして人に見透かさるるなり。

 如何に偽装上手に装へども、
 心底隅々にまでも「法眼浄」の佛智の光にてらされて
 否応無しに曝け出さるるなり。

 凡夫(ぼんぶ)の凡人社会に有りて、「法華経」のホの字も知らず、
 神佛の尊さも有難さをも瞬時も思ふこと無き者共等に、
 如何で佛智のあるべきかや。

 己れ痴人なる故、人も亦痴人と思ひ、
 足らざる心にて人を量りて欺瞞致し、
 さも真実の相装ひて、表面穏やかに付き合いつつ、
 心中相手を如何に利用致さんかと、
 其れのみにあくせく致すが凡夫の付き合いと申すなり。

 相手の心中よくよく見定め、
 因縁に応じて波風立てず、スルリスルリと危険を避けて、
 只、正に正にと己が心を真実(まこと)に持ちてこそ、
 此れ法華経行者の世に処すべき在り方なり。

 凡人に騙されて、陥さるるが如き愚かなる者共、
 之如何に行ずるとも真の法華経行者にあらず。

 其れ、真の修行致すなれば、
 「法眼浄」は必ずひらけ、佛智満々と豊かに恵まれ、
 人の心の表裏など、いと安々と見破らるるものなり。

 されば、現世に邪魔さるる者無し。

 合掌

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