一実の道

 第二十三之御諭し

 汝、心禅定に持ちて何をつかみ得たるかや。
 禅定にありては、ただ「無」のみなり。
 されど、此の「無」 暗黒の「無」には非ず。
 寂光の光輝ける中の「無」なり。
 此れ即、仏なり。
 仏とは斯様なるものなり。

 其処には、一切の喜怒哀楽老病死、 
 此れ皆、陽炎の如く消え果つるなり。
 仏情持ちて事を計れとは、此の心境の下に立脚致して
 只、我無く人無き境地にて計るべき事なり

 我無く人無き境地とは、自我滅却の下、大乗立つるの意味なり。
 小乗超越致すところに大乗有り、
 自我忘却致すところに、国家あるなり。

 国民と致して、国家構成の一員となるは
 只此れ、国家構成の均衡、保たしめんが為の故なり。
 されば各々、国民たるの本心を忘れ、自我に計著なして
 各々国家の均衡破る故に、天災地変阿鼻叫喚の
 戦争地獄は実現致すなり。

 されば、敗戦の憂き目見るとて、人を恨むべからず。

 己れに招きし実相なるを其れ「第3の懺悔(さんげ)」
 人民を邪枉せざるとは、高位高官の者にのみ
 諭ししことには非ず。

 国家を治むるの道は、国民一人ひとりの
 決定(けつじょう)によりて、定まれる故なり。

 されば、人各々は己れ直接政治に関与致さざるとて
 国を忘れ、勝手なる振る舞い致すは此れ、大なる誤りにして
 各々一人ひとりが、此れ当政者たるの決定(けつじょう)持ちて
 他をはかり、国家中心に生くるところに
 国は治まり、人民は邪枉致されざるの実相顕現致すなり。

 此れ、会社に於ても家庭に於ても、
 己が心の諸々を処するに於ても、皆等しくして
 正しき仏情を持たんには
 只、心禅定に相保たしめんのみなり。

 禅定なる心、如何に重、且つ大なるものか
 此れにて相解りしであろう。

 此処に仏智授けられ、受くるの器、偉大なる器出来得る所以なり。

 汝、真の修行致さんには
 致せし修行、国家人類の為に役立たしめざるべからず。

 されば、如何にして役立たせんか、
 此れ、禅定なる心より生まるるところなり。
 其れ即ち、「無」にして無限大なる「有」を生むなり。

 されば、仏の智慧は「無」より生まるる無限の智慧なる故、
 如何なるものをも理解致さしめずにはおかぬなり。

 汝、禅定となるの修行、先ず日々に心掛け
 真の修行に到達致すべし。

 合掌

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