一実の道

 第二十一之御諭し

 ハラハラと桜花散る心や、如何に悟るべき。
 散りて悔い無き満開の花に、人の耳目を奪い、世に貢献致して後は
 徒に醜き散り様見せぬ淡白、此れ武夫(ぶふ)の心と言はん。
 人は斯くあるべきものなり。

 己が人生、桜の花の寿命に似たり。
 夜半の嵐に何時散らんとも、死して悔いなく
 未練残さず、潔く従容(しょうよう)として死に挑まんが其の為には、
 一度己が生命の炎、燃え尽くして世に貢献致し、
 国家人類の為、名を千載に輝かせ残し置きなば、
 何時の日屍(かばね)の散り果てなんとも 
 未練さらさら残りは致さず。

 未練残るは己が使命を全う致さず、 
 生命悔い無く使い果たさざる故なり。

 燃え残りの燈心の如く、いと暗うつに明滅致して、
 消えんとも致さざる未練残すは、いと見苦しき業にして、
 此れ亡者とは申すなり。

 己が残せし娑婆三界に未練残して何とする。
 見苦しき亡者の姿、再び娑婆にあらはせば、 
 此れ色褪せし残り花なり。
 如何に人の目、楽しまするかや、
 只、嘲笑の的となるのみ。

 さまよひ、さまよひ浮世の風に、今日は西風明日は東風、
 南へ北へと風のままに流されながされ、 
 さまよひはてては寄辺を知らず、うたた寂しき人生送るも
 此れ、己が心の在り方故なり。

 短きと申すも永きと申すも、娑婆の齢は一瞬にして、
 過去無数劫の昔より、未来永劫に続く一筋の連なる寿命の中より、
 此の人生の期間考へるならば永きも短きも無きものにして、 
 同じく己が生命の火、残り無く燃え尽くすか否かによりて、
 生まれし甲斐、其の名、永遠不滅に残すか否かによりて
 定まれるなり。

 桜の花のもし一週間や十日間、散り惜しみ致して
 見苦しき散り様見せて、梢々に残骸残せばとて、
 散りしまひて後には一片の後も残さず、
 一瞬の間に散りし後と同じきなり。

 されど、人の心に残るは何れや?
 一瞬の間に未練残さず、潔く散りてこそ 
 人の鑑(かがみ)と称へらるるなり。

 されば、散りてこそ尚、後々に残すに非ずや
 人の心の教へともなるなり。

 物言わぬ花に斯く教へられつつ、万物の霊長と己に誇りて、
 何処に誇るべき姿あるべき。

 余が眼より眺め見るとき、斯く麗しき満開の姿を
 惜しげも無く一瞬の間に散らせし桜の霊こそ、
 己が使命も弁へず、只我欲に迷ひ煩悩に惑わされつつ、
 幻とも知らずして、空しき物質の残骸抱きしめだきしめ、
 老い果てて後、尚汚れし財宝数うるが如き醜き人間よりは、
 遥かに勝れる麗しき者なり。

 如何に斯様なる醜き心の人間をば、万物の霊長などとは
 おこがましくて申さるるべきかや。

 万物の霊長と自負致さば、せめて此の桜の心に劣るべからずと
 余は申し度きなり。

 汝、今一度考へてみるべし。
 物質は霊界にては用はなさず。
 されど、肉体持ちて生くる上には、欠くべからざるものなり。
 されば、肉体に伴ひて具はる物質、此れ有難しと使用致して
 己が肉体の寿命、己に支配出来ざるが如く。

 此れもまた、己のもの非ずとの真理、よくよく悟りて
 豊かに与へらるる身の果報を謝しつつ、
 恵まれぬ者に温かき心注ぎて、
 付かず離れずの五欲煩悩、此処に生かせてこそ
 法華経は生くるなり。

 己が心に照らし合わせて、此の理をよくよく噛み締め、
 熟考致してみるがよかろう。

 合掌

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