一実の道

 第十七之御諭し

 仏ありてこそ三界あるなり。
 三界は仏の作りしものにして、凡て此れ仏の意のままに
 支配致されおるなり。

 仏が眼より見る時は、三界は掌の上なり。
 如何に隅々にまで眼集めて、仏が定めし法則の中に配置致しおるかは、
 汝等、未だ体得致しおらぬであろう。

 真に体得致すとは、身をもって七子の底に遜り、
 地獄の底を嘗め尽くし、死も亦易しと感ずるまでに心定めて行じてこそ、
 真に体得致さるるなり。

 如何なる事にても、己が心を蝕みむしばみ、
 身八つ裂きにさるる思ひしてこそ、始めて仏に縋らるるなり。
 此処により、誠は神に通ずるなり。
 通ぜし誠、功徳となして、必ず神仏は返すものなり。

 汝等には其処までの体験無き故、真に有難き大いなる功徳、
 未だ授かりおらぬなり。

 功徳を求むる心は、此れ唾棄すべき浅ましき心なり。
 されども、功徳願はずして縋る心、此れ真実の誠なり。
 真実の誠、神仏の鏡に映りてこそ、真に有難き功徳は返さるるなり。
 求めずして返る此の功徳、此の功徳こそ真に尊き宝なり。

 汝等、真の一字あるならば、此の宝をこそ得らるるまで
 真剣に行ずるの価値は解るであろうがや。

 日々に時々刻々に大慈大悲の法雨をそそがれ、
 生き生きとして生かさるる身の幸せ、心より感謝いたして、
 真に美しき仏果開かせねば相ならぬぞや。
 其れ妙法の蓮華なり。

 汚辱の泥沼に生まれるとても、しっかと妙法抱き合いて
 真に麗しの仏果蓮華を開かすべし。
 妙法にて開かるる蓮華、如何に麗しく尊く気高く、
 汚辱の世をば清めゆくことかや。

 此の華、開くも開かぬも
 汝等が心魂に「信」の一字の有るや無しやにて定まるなり。
 如何に貴重なる、又絶対に欠くべからざるものなるかや。
 「信」の一字の重要性、此れにて相わかりしであろうがや。

 信解(しんげ)せよ、信解せよ
 又しても信解せよせよ。
 信解信解と信解致して、行じゆくべし。

 合掌

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