一実の道

 第十之御諭し

 経文の言葉に
 「汝、観音の行を聴け。善く諸の方所に応ずる弘誓(ぐせい)の
 深きこと海の如し、劫を歴(ふ)とも思議(しぎ)せじ」
 と、あるであろうがや。

 観音の行を聴けとは、身に体得致せとのことなり。
 其の一端にても体得致さば、此れいと易くわかるべし。
 わからぬは、汝が体得致しおらぬ故なり。

 弘誓の深きこととは、大慈の心、救はんとするの大慈大悲の心、
 各々其の場其の人により分別致して、説き、体得成さしめて
 救はんとする心、此れ大清浄の心となし、微塵も私利私欲を抱かず、
 即ち大清浄の心となりて、万人を救はんの心、
 其の深きこと海の如し。はかり難し。

 此の心、幾億万劫を経ればとて、失うものにはあらず。
 即ち、劫を歴とも思議せざるぞや。

 汝等、幾世々にかけても縋り来たらば、未来永劫余は救い護るぞや。
 汝等が、心に余を思うの念湧き出でしは、余に縋る心あればこそと、
 余は今朝降臨致せしなるぞや。

 たとへ汝等には見えずとも、余は常に汝等が陰に付き添い居るぞや。

 邪念のおこりし時、即ちなべての苦しみ、悲しみ、怒り、一切の苦
 皆、余を念ぜば取り去りやるぞよ。

 心に微塵も邪念許さず、汝も清浄の身となるべし。
 さらば、仏道成就致すべし。

 一切の邪念取り去りて、観音の行、身に体得致さんには、
 導き此れ第一なり。
 邪念多き業障なる者を導きて、此れ仏道に帰依致さしむるは、
 我が身の心清浄第一なり。

 此れ「十功徳品」身に体得致して、大清浄の身となり、
 一切の邪念取り払いて、只ひたすらに仏を念じ、菩提心もて、
 相手の邪念取り去りやりてこそ、導くことは出来るなり。

 如何に汝に出来得ることかや。
 出来ざらば、之出来ざれば無に等し。
 修行何の甲斐やあらん。

 汝が周囲に集まる者、此れ皆汝が業障の報なるぞと思ひしならば、
 一人一人に真実(まこと)持ち、一心に導きて、成仏致させてこそ
 汝の懺悔(さんげ)はとどくなり。

 懺悔とどきて、成仏、成仏と浮び上がりゆけるなり。
 之又、実相となりては功徳となりて現はれゆくなり。

 導きの徳とは、如何なるものなるか相わかったであろうがや。

 合掌

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