『かなくら山報』への寄稿 2003-2
最終更新 

 金蔵寺住職として、記名または無記名で
「かなくら山報」に掲載したものです。

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        高野山町石道登山記
         『かなくら山報』第108号 2003/10/13
                     金蔵寺住職 東野正明

 八月三十日、暑さがぶり返した今年最も暑い時期、高野山町石道登山に挑戦しました。
参加者は、辻田弘・小幡春男・小林和義の各氏と私の四名です。
 事の起こりは、辻田氏のお母さんの忌明け法事の席上でのこと。高野山の麓にある
慈尊院にお大師さまが高野山からお母さんを月々九度訪ねて孝養を尽くされたこと、
その道が現在町石道として残っているので、私も何時か登ってみたいと思っている、
というような話をしていたら、「それよろしいな。法印さん、檀家に呼びかけて一緒に登
りませんか。」ということになった次第です。
 町石道については話には聞いていましたが、実際には登ったことがありませんでした。
そこで、今までにひそかに買い集めていた案内書・研究書を読み返し、また、慈尊院の
ある九度山町の観光協会から新しく取り寄せたパンフレットを見て、まず下見の計画を
立てました。
 高野山根本大塔から慈尊院まで百八十の町石(五輪塔)、また、根本大塔から奥の
院まで三十六の町石が立てられており、全行程二百十六町(六里)、すなわち約二十
四キロメートルを町石道と呼んでいること。
 お大師さま以来、幾多の人々が高野山参詣のために登山した歴史街道であり、昔は
町石ごとに般若心経などを読誦して参詣したこと。
 来年、高野山や大峯山、熊野古道と共にユネスコの世界遺産に登録される予定であ
ること、等々。
 そして、案内書では、夏の暑い時期の町石道登山は極力避けること、ということでし
たが、下見は仕方がないということで、決行は、八月三十日〜三十一日、宿坊は光明
院と決定しました。

丹生官省符神社の石段、右上に百八十町石 雨引峠展望台からの眺望 二ツ鳥居 一の橋手前の十七町石

 そして、三十日。午前五時、金蔵寺別院発、辻田氏運転の自家用車で一路慈尊院へ
と向かいました。が、途中で道を間違い、予定よりずいぶん遅れて慈尊院到着八時四
十三分。かねて連絡を取っていたとおり車を置かせていただき、ご住職にご挨拶したあ
と、登山準備・勤行を済ませて九時十分出発。百八十町石、百七十九町石、・・・と、五
輪塔をたどる旅がはじまりました。途中でマムシが出るところがあると聞いていたので、
金剛鈴を鳴らし、錫杖を突き、そして法螺貝を立てながらの登山です。
 最初の目標、雨引峠分岐(百六十六町石)九時五十六分着。急な坂道を登り、紀の川
・九度山・橋本方面を一望できる展望台に登り休憩。パンフレットの所要時間通りに登れ
たのはここまでだけで、以後の予定は狂いっぱなしでした。とにかく暑かったです。
 昼食は、初めの予定では、六十町石のある矢立でとる筈でしたが、出発が大幅に遅れ
たこともあって百三十六町石の六本杉峠になってしまいました。四十分の昼食休憩の後、
天野の里の風景が見下ろせる二ツ鳥居(百二十町石)着午後一時。ゴルフ場の横を進
み、その昔横笛が恋に落ちた滝口入道に会うために待ち続けたという神田地蔵堂を通過
しましたが、予定より遅れるばかり、七十五町石で三時半になってしまいました。
 休憩して作戦の立て直し。あれこれと考えましたが、初めての知らない山道での日暮れ
だけは避けたいという思いから、十五町先の矢立からタクシー等で高野山道路を大門ま
であがろうということになりました。
 そして、矢立(六十町石)に着いたのが午後四時十五分。ここから大門までの山道を案
内書通りの所要時間二時間では到底登ることはできないとの判断は、汗だくだくにはなっ
ていましたが、そんなにも疲労感がなかった私たちには、実に勇気が要りました。
 矢立で車を呼ぶつもりでしたが、高野山まで乗せてやろうというトラックに偶然出合い御
好意に甘えることにしました。
 かくて、大門(七町石)着四時四十分。つまり六十町石から七町石までの五十三町は町
石道ではなく普通の道路を自動車を使って登ったことになります。
 あと根本大塔まで町石を確認しながら進み、金堂・大塔で勤行、五時。今度は奥の院側
の町石を一町石、二町石、・・・とたどって三嶋天狗堂にて休憩、そして光明院着五時四十
五分。
 入浴・夕食後、根本大塔のライトアップを見に行きました。皆さん、初めての光景にただ
感動の一言。ちなみに私は、いつしか高野山に登るたびに人影の殆どない大塔のライト
アップを見ながら根本大塔和讃や根本大塔讃歌を口ずさむようになりました。高野山で最
も素晴らしいところであり一時であると思っています。
 明けて三十一日。午前六時半、光明院本堂で勤行。朝食後、八時十五分出発。徒歩に
て一の橋を経て奥の院まで、町石をたどりました。
 普段は立ち寄らない密厳堂や織田信長の供養塔などにも参拝、御廟前にて勤行。法螺
貝を吹きながら、参与会慰霊塔などにもゆっくり参拝して中の橋駐車場到着十時五十分。
 中の橋で昼食後、十二時金剛峯寺、大師教会にて午後一時の授戒を受けました。金剛
峯寺新別殿や大師教会では求められるままに法螺貝を吹き鳴らしました。
 以後、霊宝館・摩尼宝塔・苅萱堂等、普段はお参りすることが少ないところにも参拝、高
野山駅発五時、九度山駅着五時四十五分、慈尊院着六時二十分。ご住職に見送られ、
六時五十分慈尊院をあとに一路加美町へ帰ってきました。
 矢立から大門まで車を使ったことがいくら時間の関係とは言え、かえすがえすも残念!
という思いは全員にありました。帰りの車中で、再挑戦しようと全員が決意しましたが、私
はひょっとしたらみんなより早く登ることができるかも知れない、つまり、駐在布教に出仕
する前日の九月三日に都合がつけば登るかも知れないと言い了解を得ました。
 そして、九月三日、家内の運転する車でかつらぎ町から入り、天野の丹生都比売神社
参拝したあと、矢立着午後二時過ぎ。花坂名物の「やきもち」で有名な矢立茶屋で登山
準備して出発二時半、単独行です。急な上りが続き、高野山道路と交わる四十町石にた
どり着き、ふと標識を見ると「クマ注意!」とありました。
 途中、地図を持ってなかったら迷ったかも知れない所が一ヶ所ありましたが、最後はあ
っけなく、急な上りのあと、大門に「あっ、着いた。」という感じでした。
 大門着五時十八分、根本大塔着五時三十分、光明院泊。この日も殊の外暑く汗だくに
なりました。
 翌日四日、加美町生涯大学修学旅行団一行を金剛峯寺前で出迎え一緒に本山内拝を
しました。一行の昼食場所の中本名玉堂まで同行し、食事前に歓迎のご挨拶をさせてい
ただいた後、すぐに大師教会に戻り、午後一時からの本部駐在布教の任務についた次
第です。  

丹生都比売神社 矢立茶屋 大門 高野山真言宗 総本山金剛峯寺 百五十九町石付近の町石道

 高野山での駐在布教には、金剛峯寺新別殿でも大師教会授戒堂でも町石道について
のお話を取り入れました。交通機関が便利になりすぎたきらいがある今日、たまには、
いにしえの参拝者の気持ちになってお参りしたいものです。
 高野山第一番の御詠歌に、
  高野山 山にはあらで
   蓮葉の花坂登る 今日の嬉しさ
とありますが、この御歌をお作りになった東京芝の増上寺の法主であり、京都知恩院の
門主でもあられた浄土宗の明治初期の傑僧福田行誡上人(一八〇九〜八八)も一歩一
歩、町石に合掌しながらお登りになったとのことです。体験した方だけが味わえるお大師
さまにお会いできるという心の底からこみ上げてくる嬉しさ・ありがたさを表現されたもの
です。
 町石道の全行程を歩いての感想ですが、空き缶は勿論、ごみ一つ落ちていないのは、
さすが信仰の道であると感心させられました。参拝者の皆さんの人となりが自ずと伝わっ
てくるような気がしました。ただ、慈尊院から大門までの行程では矢立一ヶ所を除いて、
茶店ひとつなく自動販売機もないということです。暑い最中でしたので、三十日に出会った
のは男性三人だけ、三日は一人も出会いませんでした。
 さて、町石道登山ですが、案内書の「急な上り」というのは、金蔵山の表参道の一番急
なところ、すなわち休み堂の下あたり程度です。しかし、何と言っても距離が長く、時間が
かかりすぎるので、このコースのみで檀家全体に呼びかけることは到底無理という結論に
達しました。ただ、高野山参拝旅行の中の別コースとしては設定できると思います。
 というわけで、十一月八日(土)〜九日(日)の高野山参拝は、慈尊院から大門まで、本
隊はあくまで観光バスで高野山に上がります。つまり、百八十町石から七町石の間はバ
スを使うということです。
 今回、慈尊院から歩いて登る人があってもいいと思います。第一日目は一部別行動に
はなりますが、宿舎の光明院で合流していただいたら結構かと思います。今回は、下見し
ていただいた辻田弘・小幡春男・小林和義の三氏も、町石道踏破完成のため歩いていた
だくということですのでご安心ください。私は、引率者ですので勿論観光バスで上がります。
ご安心ください。
 ただ、町石道を登られる方は、それなりの準備(弁当・水またはお茶・雨具・着替え・タ
オル等)が必要であることは言うまでもありません。
 なお、下見の模様は小幡春男氏がビデオに撮っておられます。先日、いただきました
が、実に丁寧に撮影されており、そりゃあ、時間がかかったのも無理もないと思いました。
金蔵寺にありますので視聴ご希望の方はご連絡ください。
 この三氏、いずれも行く先々で納経をしておられました。いにしえ人の高野山参拝の気
分・ありがたさを身を以て体験されているようでした。
 観光バス、町石道登山、いずれにしても、皆さん、晩秋の高野山に、思い切ってお参り
されませんか。お大師さまにお会いしましょうよ。

     (文中の写真はすべてかつらぎ町商工会のHP中「町石道をガイドしましょう」
     http://www.katuragi.or.jp/tyouisimiti/gaidosimasyou.htm
     から借用しました。ここに出典を明記しお礼にかえさせていただきます。
     実は、当日私のデジタルカメラの調子が悪く、写真撮影はしたのですが、
     よく写っていなかったのです。五年程前の旧式のもの、もう寿命かと思い
     ながら、今でも使っています。)

   學明大和尚三回忌 金蔵山行場再興八十年記念
     高野山への誘い(既報)
   日  時 十一月八日(土)〜九日(日)
   参加費 二万三千円
   募集人員 大型バス一台程度
   申込締切 十月二十四日(金)

   ところで、十一月九日は衆議院議員選挙の投票日。不在者投票をお忘れなく!

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     余っている
      庭木や草花を
        金蔵山にいただけないでしょうか。

                    『かなくら山報』第108号 2003/10/13

掲示板の下の草花

 今、金蔵山では、夏の初めに檀家の方からいただいたベゴニアなど沢山の花がきれいに
咲いて、来山される方々の心をなごませています。
 もう実をつけていますが、昨年植えていただいたスズランが、今年はボリュームを増して
咲きました。
 紫陽花も参道の入口で人々を迎え、八十八ヶ所を巡る人々を見守り、漱水石のそばでも
何年かぶりに咲きました。
 今年いただいた春蘭、石楠花、千両、秋海棠などもしっかり根付き来年が楽しみです。
 心ある皆様のおかげで、山の中のお寺に花が庭木が添えられていきつつあります。

 もし、それぞれのお家でお寺へ提供してもよいと思われる庭木や草花がありましたら
ご連絡していただけないでしょうか。お願いします。

 これから金蔵山も紅葉の季節へと移ります。参道のカエデや境内のイチョウやカエデが
今年はどんな色合いを見せてくれるでしょう。楽しみです。毎年この時期には写真を撮ら
れる方も来山されるようです。
 句会のコースの一つになることもあります。
 今年は11月1日〜3日、あるアマチュア音楽のグループの合宿もある予定です。
 芸術の秋を金蔵山でいかがですか。

             兵庫県多可郡加美町的場853番地
              高野山真言宗 金蔵山金蔵寺
          電話 0795-35-1247 FAX 0795-35-0586
               Email:kanakura@kamitv.ne.jp
            URL:http://www.kamitv.ne.jp/~kanakura/

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         盂蘭盆の行事について
            『かなくら山報』第107号 2003/08/03              


  八月は盂蘭盆の月、金蔵寺では棚経・施餓鬼を次の日程で行わせていただきます。
八月七日 棚経
  加美町の一部・中町・西脇市・滝野町・小野市・神 戸市
八月十一日 棚経
  的場横町より上(横町を含む)
  奧荒田全部
    的場神崎光治氏宅から北行、奧荒田を西から回って東に出て、再び的場に入り
    南行、最後は神崎芳郎氏宅。
八月十二日 棚経
  的場横町より下
    足立強氏宅から南行、篠原政喜氏宅から岡安・ドンドへ回る。のち東行して
    金川平雄氏宅から県道両側を除いて北行、梨木正氏宅まで。細田守郎氏宅
    から南行、県道両側と県道より東を回り、最後は吉川正巳氏宅。
八月十三日 棚経
  寺内全部
    藤井均氏宅から寺内本村へ回り、月が花を経て、枝へ回る。最後は川原孝宅。
八月十八日 施餓鬼
   午前十時本堂にてお勤め。新精霊のあるなしにかかわらずお参りいただき、
  ご先祖様の供養をしていただきますようご案内申しあげます。
   なお、棚経のお礼については、総代会で検討していただいた結果、今年からは
  棚経にお参りした時にお預かりすることになりました。すでに村の初総会や寺院
  運営委員会などでご案内させていただいておりますが、念のため申し添えさせて
  いただきます。

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   金蔵山行場再興八十年記念花供入峯報告
          『かなくら山報』第107号 2003/08/03
                     
 七月十三日(日)梅雨の最中、花供入峯厳修。当日参加者、先達三十八名を
含む檀家内外から約六十名。出仕いただいた講は次の通りです。
 神戸不動会 多可西脇先達講  二實塾(大阪) 播州醍醐講(加西) 
元両部講(西脇)
 当日の模様は、十五日の神戸新聞に報道され、また、ビデオ(金蔵山八日会
撮影)が加美テレビで放映されました。
 次に、当日奥の院前での柴燈大護摩供の願文を掲載し、報告にかえさせて
いただきます。
 
  
柴燈護摩供祈願の文
 謹み敬って真言教主大日如来、両部界会諸尊聖衆、外金剛部護王天等を始め
奉て、当山本尊薬師瑠璃光如来、日光月光十二神将、大日大聖不動明王並びに
高祖弘法大師、殊に別いては、奥の院役行者神変大菩薩、行基菩薩、慈覚大師、
総じては尽空法界一切三宝の境界に申して言さく。
 抑も当山は、役行者神変大菩薩の開山にして、行基菩薩開基の霊山なり。爾来
一千三百年、度重なる盛衰ありと雖も中興宥尊上人を始め歴代諸大徳の努力に
より法灯を護持し給いて、薬師信仰と修験道の中心霊場として近郷に聞こえたり。
 当山の修験行場創設は何時の頃よりならん。大正七年三月先々代寛明和尚
晋山の頃は昔日の面影なし。大正十二年頃より行場復興の機運起こり、大正十三
年四月十四日、加西郡豊田亮眞師等八名を発起人として、地元奧荒田・的場・
寺内青年団全員の協力を得て再興工事着手、同年五月一日行場落慶法会を
厳修し給いき。以来八十年、毎年春秋の彼岸会には奥の院戸開け戸閉めの
柴燈護摩供を厳修して今日に至る。
 本日茲に、金蔵山行場再興八十年を記念し花供入峯修行に当たり、山麓
蓮華寺より表参道野仏に草花を供養し、当奥の院前にて柴燈大護摩供一座、
護摩場にて行場再興当時に思いを馳せ天台系本山派採燈大護摩供一座、
本堂にて柴燈壇護摩供一座をそれぞれ厳修せんとす。
 夫れ以れば、柴燈護摩の密法たるや事理一体の妙法、転禍為福の捷径なり。
故に之を信ずる者は無始以来の重罪を滅し、之に帰する者は離苦得楽の利益
を蒙る。無病息災にして千載万秋の齢を保ち、福寿円満にして春花秋月の楽を
極む。誠に是れ除災受楽の深法、諸願成就の大法なり。豈之を信ぜざらんや。
 今近郷の先達相集まり当道場に於いて柴燈の密壇を構え、護摩の秘法を
厳修し、出仕者並びに参拝者全員の所願成就を祈願し、併せて密教紹隆・世界
平和・人類福祉並びに金蔵寺檀信徒の諸願の成就を祈る。
 仰ぎ願わくは、本尊聖者を始め奉り、両部界会の諸尊聖衆、末資が無二の
丹誠を照覧して焚焼の法味を納受し、益々威光を増長して摂化衆生の勝益を
施し給え。
 伏して乞う 
  一天四海 風雨順時 五穀豊饒 万民快楽
 殊には本日参詣の面々
  家内安全 息災延命 子孫長久 福寿円満
 別しては添護摩の面々並びに祈願の輩、各々其の諸願を成就せしめ給わん
事を。
  乃至法界 平等利益
  平成十五年七月十三日
              金蔵山修験宗務所管理、金蔵寺現住正明敬白


(雨の中、表参道の野仏に花を供養しながら
登山する修験者たち、金蔵山八日会撮影)

(柴燈壇護摩供厳修後、本堂階段にて。金蔵山八日会撮影)
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