『かなくら山報』への寄稿1994
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 金蔵寺住職として、記名または無記名で
「かなくら山報」に掲載したものです。
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檀家初参りについて
『かなくら山報』第41号 1994/12/15

 木枯らしが身にしむころとなりましたが、檀信徒の皆様にはいかが
お過ごしでしょうか。
 今年もあと余すところ、二週間。12月というと、一年の整理と新年を
迎える準備などで、何かと慌ただしく感じられるこのごろです。
 さて、今年も大晦日の除夜の鐘つきが終わって新年を迎えるわけで
すが、檀家初参りのことについて今までと変わったことがありますので、
お知らせします。
 例年1月2日は、檀信徒の方々にお参りいただいて新年のご挨拶を
いただく日となっております。
 ところで、前々から思っていたのですが、この日はせっかくお参りい
ただいたのにご挨拶がすむとすぐに帰られる方が多く、持仏でご先祖
様に手を合わせていただく方が少なかったように思います。
 持仏の前が一間で狭いうえに、口の間には住職と総代さんがずらり
と並んでいましたので、雰囲気としても、果たして持仏まで進んでよい
ものかどうか迷っておられた方も中にはあったのではないかとも思い
ます。
 そこで総代さんと相談した結果、今年から時間を決めて持仏で皆様
と一緒にお勤めをすることにしました。また、奥の間と次の間も開放し
ますので、ゆっくりと「年忌正当表」も見ていただけると思います。
 
午前8時・9時・10時の三回、『金蔵寺勤行次第』を使ってお勤
めをしますので、なるべくこの時刻に合わせてお参りいただきますよう
ご案内申しあげます。 合掌

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秋季彼岸御礼
『かなくら山報』第40号 1994/10/01

 心配された台風26号も当地方にはたいした影響もなく通過し、ほっとして
いる今日このごろです。金蔵寺では毎度のことながら、杉葉と銀杏の実が
いっぱい落ちて、掃き掃除に大わらわでした。
 さて、去る9月23日(金)、秋の彼岸会には、たくさんの方々にお参りをい
ただき、また、ご丁寧に御供をいただきまして誠にありがとうございました。
 午前9時に籠もり堂にて先達様の集会(しゅえ)、諸堂参拝の後、9時半
すぎから本堂で彼岸法要を行いました。
 法要は御詠歌から始まりました。続いて経木供養。戒名を読みあげ、
また、○○家先祖代々各霊の菩提のために一所懸命拝ませていただき
ました。金蔵寺勤行式による読経、最後にまた御詠歌。
 秋の彼岸法要には例年御詠歌をお唱えしていますが、今年は曲目を
増やしました。お唱えしました御詠歌は、「光明」(弘法大師第二番)・
「梵音」(弘法大師第三番)・「追弔和讃」・「平和観音讃仰和讃」・「めぐみ
の光かがやきて」の5曲。これからもできるだけ御詠歌を取り入れた法要
を行いたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 彼岸法要の後、お不動さんの前で柴燈壇護摩供。この護摩の導師は、
慣例により、来年春彼岸の護摩当番の上比延行者講が勤められました。
 その後、護摩場にて柴燈大護摩供厳修。今回の護摩当番は圓隆会。
問答・法弓・法剣・法斧・願文・点火・読経と護摩供の次第は進んでいき
ました。
 皆さんからお申し込みいただいた添護摩。願い事は「家内安全」「交通
安全」「商売繁盛」「身体健康」「息災延命」「縁談成立」など様々でしたが、
皆さんお一人お一人の真剣な願いがかなえられるように一所懸命祈らせ
ていただきました。
 最後に古札等の発遣(古くなった御札・位牌・御守りなど焚きあげること)
をし、30数名という大変多くの先達様にご助法いただいて護摩供を無事
終了することができました。
 籠もり堂前では、早朝より八日会の皆さんによる綿菓子・甘酒・ポップ
コーン・ヨーヨーつりなどの楽しい催し。
 御詠歌講・先達様・八日会、そしてお参りいただいたすべての皆さん、
彼岸前の道作りに奉仕いただいた方々、料理物を御供えいただいた皆
さんに心より御礼申しあげます。

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友の死に思う
『かなくら山報』第40号 1994/10/01

 同級生のA君が亡くなりました。
 お通夜の晩、弔問客の長い長い行列が続きました。友の急逝を知らさ
れて駆けつけた私たち同級生は20〜30人はいたでしょうか。同窓会をし
ても一度も顔を見せたこともなかった者もたくさんいました。A君がいかに
みんなから好かれていたかを物語るものでした。と同時に人間の死という
厳粛な事実が持つ意味の大きさをあらためて感じていました。
 その時、一緒に弔問の列に並んでいたB君が、「東野君、真言密教では、
人間の死をどう説くんや。」と言うではありませんか。余りに突然の質問で
あったのと、日頃はひょうきんなことを言って人を笑わせている彼の真剣な
表情に、私は一瞬戸惑いながら、次のような話をしました。
 「人間は必ず死ぬのです。それが遅いか早いかは輪下欄が必ず死ぬの
です。『今日、私と会った人は必ず死にます。』と言ったら、冗談のように聞
こえるかも知れませんが、本当のことです。人間だけではなく、動物も植物
も鉱物も、およそ、この世の中の形あるもので永遠なるものはありません。
これを諸行無常と言います。
 『阿字の子が 阿字の古里立ち出でて また立ち還る阿字の古里』という
ことばがあります。お大師さんの第三番の御詠歌です。阿字というのはす
べての物事の始まりであり、この大宇宙の諸々の現象ををつかさどってい
る根本原理を表します。真言宗では、これを大日如来という仏様で表しま
す。
 人間は、大宇宙の中からこの世の中に生まれ出でて、成長し、勉強して、
職業を持ち、結婚して人生を送る。そして死んでゆく。『土に還る』というこ
とばがありますが、大宇宙の中に還っていくのです。肉体は死によって滅び
ますが、その魂は大宇宙に還って永遠に生きていくと考えるのです。それを
暗黙のうちにみんな感じているから、お通夜やお葬式にこのようにたくさん
の人々が集まるのではないでしょうか。
 では、死ぬとわかっている人生をどう生きるか。
 先程言ったように、人間は必ず死にます。であるがゆえに、この世に生き
ているときに、精一杯生きようとというのがお大師さんの教えです。高野山
真言宗では、これを『生かせ いのち』といっております。
 『生かせ いのち』ということは自分のいのちだけを生かすことではありま
せん。他人のいのちをも生かすのです。大宇宙の中のものは、人間同士
は言うまでもなく、すべてのものがみなつながって存在しています。そして
この世の中のものは、みんなそれぞれに意味を持って存在しているのです。
役に立たないものはありません。これが曼荼羅の世界観です。人間だけが
生きていくことを考えすぎたから、今日の環境破壊や公害、ひいては異常
気象があるのではないでしょうか。
 大宇宙のすべてのものがみなそれぞれの意味を生かしながら調和を保っ
て存在していく世界、これが真言密教の目指す世界であり、その建設に向
かって邁進することがお大師さんの教えにおこたえする道であると考えて
います。」
 弔問の列はまだ続いていました。B君は、私の一言一言にうなづきなが
ら聞き入っていました。

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京都方面札所参り
『かなくら山報』第39号 1994/09/01

 7月24日(日)、八日会のお世話で西国三十三所参りが行われました。
 朝6時半出発、神姫の中型バスで参加者は定員一杯の28名。革堂・
六角堂・六波羅密寺・今熊野・清水寺・善峰寺と巡拝し、参加者一同、
第15番から20番まで一日に六か寺もお参りした満足感と程よい疲れ
を抱いて午後8時過ぎに還ってきました。
 行く先々で、まず般若心経、次にその札所の御詠歌、そして光明真言
・大師宝号をお唱えしました。車の流れが極めてスムーズで、予定より
早め早めに到着し、当初の予定になかった今熊野にまでお参りすること
もできました。
 「いつもは札所参りというと、集印に忙しいて十分拝むこともなしに駆
け足でお参りしていましたのに、今日は法印さんと一緒やったので、ゆっ
くりと拝むことができました。本当に良かったです。」
 私は、お勤めの頭を出しただけなのに、ありがたいことに、ある方から
このような嬉しい感想をいただきました。
 旅行の計画や当日のお世話で、文字通り汗をかきながら走り回って
いただいた八日会の皆さん、本当にご苦労さんでした。皆さんのおかげ
で参加者の方々に喜んでいただくことができました。本当にありがとうご
ざいました。
 今度は大型バスでの参拝も…。大変でしょうが楽しみにしています。

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盂蘭盆は逆さ吊り?
『かなくら山報』第38号 1994/07/23

 今年は昨年とは打って変わってうだるような暑さです。夏になったら
暑いのが当たり前なのですが、しかし、四国の香川県をはじめとする
各地の水不足・給水制限にいたっては、まさに異常気象と言うべきで
しょうね。台風がやってくるという話ですが、過度の雨だけ降らして通り
過ぎてくれるのなら歓迎したい気にもなりますね。
 さて、8月というとお盆の月。お盆は正式には盂蘭盆(うらぼん)といっ
て、インドの古い言語である梵語(ぼんご)では、「逆さに吊り下げられる
こと」で苦悶をあらわすといわれています。「ええっ?」とびっくりされた方、
しばらくお聞きください。
 『仏説盂蘭盆経』によると、お釈迦さまの弟子のうちで神通力第一とい
われた目連(もくれん)尊者が、亡くなったお母さんのことが気になり、神
通力でその行き先をたずねたところ、餓鬼世界に堕ち苦しんでいるのを
発見しました。餓鬼世界とは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)のう
ち、食いしん坊の人が落ち着くところでやたらとお腹がすくところだそうで
す。
 目連の母親は、お腹は太鼓のようにふくれ、手足は骨と皮ばかり、喉
は針のように細く、今にも目玉が飛び出さんとしているような顔だったと
いいます。この悲惨な状態に驚いた目連は食べ物をあげようとしますが、
食べようとするとたちまち火となってしまいます。目連は水をかけてその
火を消そうとしますが、かえって火に油を注ぐように火の勢いがますます
強くなってしまいます。母親は、文字通り、「逆さに吊り下げられるような
苦しみ」=盂蘭盆を受けていたのです。
 手の施しようがなくなった目連はお釈迦さまに相談したところ、お坊さん
の修行期間(夏安居、げあんご)が終わる7月15日にお坊さんたちに
「百味の飲食五薬」を供養することによって母親が餓鬼界の苦しみから逃
れ出ることができると教えられました。目連はその通り実行したので母親
は苦しみから救われたといいます。
 以来、7月15日に精霊棚(しょうりょうだな)を作り、先祖の霊を招いて
僧侶に読経してもらい、僧にご馳走を接待して功徳を積み先祖に回向す
るというお盆の行事が行われるようになりました。
 農村部では、農作業の関係で月遅れの8月15日に行われることになっ
たようです。

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終戦50年に思う
『かなくら山報』第36号 1994/05/01

 ずいぶん暖かくなりました。昨年の井今頃はいつまでも寒くてこたつや
ストーブをしていたのを思い出します。檀信徒の皆様にはいかがお過ごし
でしょうか。
 私にとっては、加美町仏教会の理事を清水の雲門寺様に引き継ぐことから
始まった4月も気がついてみれば瞬く間に過ぎてしまったようです。
 5月は8日の花祭り、9日の檀信徒慰霊祭の年中行事に加えて、14日には
晋山式を執行していただきます。皆様には何かとお世話になりますが何とぞ
よろしくお願い申しあげます。
 さて、今年は、太平洋戦争が終わった昭和20年から数えて満49年、終戦
の年になくなった人は50回忌を迎えられます。
 過去帳の昭和20年の欄を見ますと、50数名の方が1年間に亡くなり、その
中の約半数の方が戦地で亡くなっておられます。また、幼児の死亡も約10名
もあり、これらの数字はどの年度よりも格段に多く、戦地のみならず銃後の
生活の悲惨さをも物語っています。
 今年は終戦50回忌ということで各地で様々な催しがなされると思います
が、私たちが今日あるのは、様々な意味でご先祖様のおかげでありますの
で、懇ろに供養していただきたいものです。
 高野山金剛講でも近畿連盟奉詠舞大会を今年は人類最初の被爆地であ
る広島で「原爆投下50年・世界平和を祈るつどい」として開催することになり
ました。
 それにつけて思い出されるのは御詠歌「
平和観音讃仰和讃」(西條八十
作詞・立葉隆賢作曲)ですね。
 一 嵐はすぎてうるわしく 平和の空は輝けど
   呼びかえすすべもなし 嗚呼戦いにいたましく
   ゆけるみたまよ さまようみたまよ
 二 吾等は頼む観音の やさしの救い大慈悲を
   祈りつつなぐさめん 嗚呼国の為はかなくも
   ゆけるみたまを 罪なきみたまを
 三 心の平和あらずして 地上に平和あるべきや
   いざ頼れ一筋に この観音の御容姿(みすがた)ゆ
   あるる平和を 久遠の平和を
 どうでしたか。ご一緒にお唱えしたいものですね。

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彼岸御礼・晋山式
『かなくら山報』第35号 1994/04/05

 4月になりました。先日、ある方がこんなことを言っておられました。
 「私たちは、桜のつぼみがふくらむのを見て春になったなと思いますが、
桜は不思議なものですね。春になると何も言わずに必ず花を咲かせます。
私たち人間は、桜を見て、やっと春になったことを教えられるんですね。」
 陽光うららかな季節、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
 去る3月21日(月)、恒例の彼岸法会を催しましたところ、たくさんの方々に
お参りをいただき、また、ご丁寧に御供をいただきまして誠にありがとうござ
いました。
 彼岸行事の前には、いつも道路整備(道つくり)の奉仕に来ていただき、
また料理物をお供えいただきありがとうございました。この場を借りて厚く
御礼申しあげます。
 今年は料理物の中に例年になくお米のお供えがあり、時あたかも「現代
版米騒動」の真っ最中、本当にありがとうございました。
 今年は、経木供養と添護摩が例年よりも多く申し込みがありました。そし
て、皆様の様々な願いを込めて、一所懸命拝ませていただきました。これ
からもよろしくお願いを申しあげます。
 さて、昨年4月、学校勤務を退職し法務専念の慣れない生活に入りまし
た。以来一年、花祭りに始まって御開帳法会で頂点に達し春彼岸法会に
終わった寺の年間行事と・布教・葬儀・法事等の檀務をこなすのに追わ
れ、この一年間は、瞬く間に過ぎてしまったような気がします。
 住職就任二年目に入りました。すでにご案内のとおり、5月14日(土)に
は晋山式を挙行いたします。
 住職辞令交付が平成4年12月2日付であり、実際の執務開始は平成5年
4月1日ですが、晋山式は住職就任の御披露目ということになります。ご
来賓の皆様方の前で千三百余年の法灯(ほうとう)を継承することを本尊
様に報告し、檀家内外にご披露する儀式です。
 皆様方には、今後とも何かとお世話になることと思いますが、何とぞよろ
しくご指導ご鞭撻のほどお願い申しあげます。

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雪・写経・御詠歌
『かなくら山報』第34号 1994/03/12

 ようやく春の気配が感じられる今日このごろ、皆様にはいかがお過ごしで
しょうか。
 今年は雪の回数が多く、しかも参道の雪がなかなか解けないので誠に難渋
しました。
 特に2月11日(金)の夕方から降りはじめた雪は大変でした。所用のための
姫路からの帰り、播但連絡道は通れたと思って安心したのがいけなかった。
高坂を上りかけてあと10分ぐらいで別院に着くと思いきや、降雪のためスリップ
し始める。ノーマルタイヤは仕方がないとしても、悪いことにチェーンを持ってい
ない。大事をとって福崎まで引き返し、山野部坂ももしものことがあったらと思っ
て、西脇回りで帰宅したら深夜をはるかにまわっていました。苦い経験でした。
 明けて12日(土)、一面の積雪に改めて驚き、「学校は?」と問うと、「第2土曜
日」。子どもたちには天の恵みだったかもしれませんね。
 昼からは、四輪駆動のバンにチェーンを巻いて参道に挑戦。第一カーブまで
上れたら何とかなると思っていましたが、カーブまでの四分の一も上がれない。
 仕方なしに、少しでもと思い、それから13・14・15の三日間は毎日午後から
鋤簾とスコップで雪かきをしました。
 おかげさまでと言うべきか、寺まで車でたどり着いたのが15日の夕方でした。
 というわけで、13日(日)の写経会を残念ながら取り止めなければなりません
でした。
 16日(水)、午後1時から奥荒田公民館で初心者のための御詠歌練習会をも
ちました。音符の読み方・追弔和讃・宗歌「いろは歌」などを練習しましたが、
十数人の方の参加をえて終始なごやかな雰囲気でした。
 この練習会だけでなく、ほかの練習会でもそうですが、一回や二回休まれて
も、とてもついていけないようなものには決してしませんので、気楽に参加して
いただけたらと思います。
 お経を写すことを写経、持つことを持経(じきょう)、口であげることを誦経
(ずきょう)といいます。そして、この三つはいずれもお経の功徳があるとい
われています。
 御詠歌も同じことだと思います。ゆっくりでもいいから、長続きする練習会
にしていきたいものです。

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お彼岸とは?
『かなくら山報』第34号 1994/03/12

 「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざがあります。夏の暑さの苦しみから秋の
涼しさの楽しみへ、そして、冬の寒さの苦しみから春の暖かさの楽しみへ、季
節の移り変わる時に行われる春秋のお彼岸は、まさに苦しみの生活から楽し
みの生活へ、そして、迷いの世界から悟りの世界への転換期を意味している
かのようです。

 お彼岸は、正式には彼岸会(ひがんえ)といいます。「彼岸」とは、インドの古
いことばパーラミター(波羅蜜多)を訳したもので「むこう岸に渡る、到彼岸
(とうひがん)」という意味です。
 「到彼岸」とは、「此岸」(しがん、この岸)、すなわち、人間の苦しみ・恨み・
悲しみ・喜びなどが混在している迷いの世界から、「彼岸」(ひがん、かの岸)、
すなわち、仏さまの世界・迷いのない理想の世界・へと自分を高めて、永遠の
〈楽〉の世界へ到達しようと努力することです。お彼岸は、春分の日と秋分の
日を中心として、その前後に3日ずつ加えた信仰週間です。仏教では、この
前後の3日布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という悟りの世界に至る六つの
修行(六波羅蜜)をすることになっています。
 また、現在日本では、「国民の祝日に関する法律」によって、春分を「自然を
たたえ、生物をいつくしむ」日、秋分を「祖先をうやまい、なくなった人をしのぶ」
日とし、ともに仏教精神にもとづく国民の休日となっています。
 来る3月21日(月)はお彼岸の中日、金蔵寺では、左記の通り恒例の彼岸法
会を厳修いたします。
   9時半 理趣三昧法会・経木供養
  11時   柴燈壇護摩供(本堂)
        引き続き柴燈大護摩供(護摩場)
  12時半 昼食
 なお、粗飯を準備させていただく都合上、折り込みの申込書で経木供養・添
護摩、およびお参りの人数を前もって申し込みください。

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御詠歌のすすめ
『かなくら山報』第33号 1994/02/05

 年末年始が慌ただしく過ぎたと思ったらもう2月。「一月は行く。二月は逃げる。
三月は去る」とはよく言ったもの。皆様にはいかがお過ごしですか。
 「除夜の鐘つき」には、大勢の方にお参りをいただきました。芳名帳にご記名い
ただいた方だけでも約80名ですから、実際は百名近い方が金蔵山で年を越して
いただいたのではないでしょうか。八日会の方々も寒い中はりきってお雑煮の
お接待をしていただきました。どうもご苦労さんでした。
 私は、第一番目の鐘をついたあと、本堂で初護摩を焚き、続いて本尊供を厳
修させていただきました。本堂の外陣では二人の方が寒さをこらえて般若心経
の初写経に取り組んでおられました。
 明けて2日、檀信徒の方々にお参りをいただきました。年始のご挨拶と御供を
いただきありがとうございました。持仏前の「年忌正当表」を見て早速法事を頼ん
で帰られる方もおられました。
 第二日曜の9日には、朝6時から初写経会を行いました。参道の凍結が心配さ
れましたが、それでも20名近い方々にお参りいただきました。2月の写経絵は
13日に行います。
 さて、御詠歌のこと、御詠歌といいますと、西国三十三番の御詠歌を思い浮
かべる方が多いと思いますが、今度、新しく初歩から始めるのは、「高野山金
剛流」です。全部で八十曲余りありまして、法事などでよく耳にされる「人のこ
の世は長くして」で始まる「追弔和讃」のように、しめやかにお唱えする御詠歌
から、お大師さまのご誕生を祝う「誕生和讃」のように朗らかにお唱えする曲ま
で色々あります。
 初めてのの方々のための練習は2月16日(水)から始めます。時間は午後1時
から3時までで、場所は奥荒田公民館をお借りいたしますが、奥荒田の人は勿
論、的場・寺内からもご参加いただきますようお願いいたします。
 まったく初めての方、ご家族の事情などでちょっと休まれていた方、女性だけ
ではなく男性もご参加いただけたらと思います。
 当日は、『「金蔵寺勤行次第』と筆記用具をご持参ください。袈裟・念珠・鈴鉦・
教典等はお持ちの方だけで結構です。
 なお、資料準備の都合もありますので、参加をご希望の方は電話で金蔵寺
別院(35-0047)までお申し込みください。

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仏教とは何か?
『かなくら山報』第32号 1994/01/01

 最近、「仏教(仏の説いた教え、ないし、仏となる教え)とは、要するに一言
で言えばどういう教えですか?」という質問をされる方によく出会います。
 その昔、お釈迦様が(釈尊)が悟りをお開きになって仏様になられる以前
に、すでに六人の仏様がおられたと言うことです。この六人にお釈迦様を
加えて、これを「過去七仏」といいますが、この仏様たちは、共通の戒めの
詩(偈)を持っておられたといわれます。
 その詩の文句は必ずしも同じではありませんが、カーシャパ仏(迦葉仏、
かしょうぶつ)がお唱えになったという詩が最も有名で、これが、一般に
「七仏通戒偈」(しちぶつつうかいげ)として、仏教との間で大切にされてき
ました。
 その文句は、
  諸悪莫作(しょあくまくさ)  衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) 
  自浄其意(じじょうごい)  是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
  「もろもろの愚(行)をなすなかれ、もろもろの善(行)をなせ、
   みずからその心を清めよ、これがもろもろの仏の教えである」
といいます。
 皆さん、どうですか。仏教の難しい教義も、せんじつめればこの四つの句
に納められているというわけです。
 中でも最初の二句、すなわち、「諸悪莫作 衆善奉行」は特別眼につくこと
ばです。「悪いことをするな。よいことをせよ。」ということです。ごくあたり前
のことです。
 皆さんの「なあーんだ」という声が聞こえるような気がしますね。
 ところで、中国の唐の時代のこと。木の上で座禅をしていた道林禅師か
ら「仏教の極意」としてこのことばを教えられた詩人白楽天が、「そんなこ
とだったら三歳の子どもでも知っている。」とあざけったのに対して、禅師
が、「三歳の子どもが知っていても、八十の老人もそれを行うことができ
ない。」と答えたという話には考えさせるものがあります。

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