K・Kさんの四国順拝記
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K・Kさんは、大正10年(1921)生まれのおばあさん、四国八十八ヶ所霊場順拝記を書いていただきました

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K・Kさんの四国順拝記 その1の1
            「かなくら山報第63号」(1996/12/1)より
 
第1巡目第1回 参加者17名
   平成8年11月5日(火)〜8日(金) 第1番〜第31番

 待ちに待った霜月五日、 四国八十八ヶ所巡りができるとは夢にも思って
いなかった私。このまま元気で最後まで巡れたらどんなに嬉しいか、亡母
の遺言も守られるし、天国で出会えたら、約束を果たしたことも伝えられる
等、終着に近き人生を薄笑いを浮かべながら…、元気で八十八ヶ所を巡り
たいと思う。
 この度は1番から31番まで何の苦もなく四日間、足の不自由も感じること
なくタクシー・ロープウエイと歩くことの少なかったこともあって疲労を感じる
こともなく、宿坊といえどホテルの如きもてなしに料理も美味で残すことなく
満足の至り、酒・ビール、何と理解のあるお大師さま、頭が下がる。
 一泊目は女性全部一部屋、眠り薬に朝までぐっすり、よかった。明晩の分
もしまっておくこと。
 二泊目は丹波の方と同じ部屋に休ませていただく。ご主人が大変な怪我
をなされ生死さえ心配された物語に、老僧の偉大な助けを得られたその時
のお話に、時のたつのも忘れ神仏のありがたさ身にしむ。「信あれば徳あ
り」の一言であった。標高570メートルの鶴林寺の宿坊の一夜であった。
秋の夕暮れは釣瓶落とし、道路の見えにくい坂道を運転手さんのベテラン
さに感謝する。
 三泊目は金剛頂寺。海抜200メートルの寺で外人さんの若いグループが
お泊まりで納経帖等持っておられて驚く。そして朝は私たちと同時刻に出発
なされて立派だと思う。
 室戸岬の岩肌に立った時の感激、写真に入れていただけて思い出に残る
海に向かって五円玉を投げてご縁があるように祈りつつ御蔵洞を拝む。住
職様もかってこの洞窟を訪ねられたと聞く。
 バスに帰る度に巡ったお寺の話等、マイク片手の住職様のお話を聞きな
がら、おやつ・ジュース等大変なお接待をいただきご馳走になりありがとう
ございました。寺を巡る毎にスコップ持参で砂を袋に納められること31回、
本当に大変だったと思う。
 行く先々の本堂では般若心経、大師堂では「金剛」を唱えられ、美声が
境内に響き渡って乗務員様が「明日も聞かせてください」のことば。
 四日間、腹痛も頭痛も足痛も出さずにありがたいことでありました。四国
とは不思議な島、夜雨が降っても朝はあがって傘も出さずに終わったこと
等、よい旅日和に巡り合い、帰りはカラオケ元気の出る人もあり、百パー
セント愉快な人もあって旅は楽しいうきうきと。
 乗務員さんの漫談のような自己紹介に、繁田さんこと、繁ちゃんの愛称
で、この人はようできた人、今度も一緒になりたいが駄目かもと一人で思
うこと。
 次は二月、早く来い二月。
   うっすら寒いきさらぎの空にはまだとけもせぬ
   雪のかたまりがあっちもこっちも残っている
 小学唱歌を思い出し口ずさむ。大変お世話になりました。お連れにして
いただいた皆様に感謝いたします。また元気で巡らせていただきましょう。
  ○念願の四国遍路の旅路来て 室戸岬の岩肌に立つ
  ○貧乏が借金質に金つくり 四国八十八ケ寺巡る
  ○岩上の大師の姿拝みつつ ロープウエイの雄大な谷間

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K・Kさんの四国順拝記 その1の2
         
「かなくら山報第66号」(1997/3/5)より
 第1巡目第2回 参加者22名
   平成9年2月21日(金)〜24日(月) 第32番〜第53番

 待ちに待った四国霊場順拝に参加させていただきましてありがとうござい
ました。昨年11月に続き第2回目、32番から53番まで皆様に支えられて
3泊4日の遍路旅が終わったことをお礼申しあげます。最初から終わりまで
元気に順拝することができ、本当にありがとうございました。
 バス旅行ならば、車の中を見回して、「よい服着とってや、高いで、ええ
な」 そんなことばのいらぬ旅。白衣着てズック履き、この服装が大好きで
す。様々の目が光らぬ旅「女とは」
 21日の日本サンゴセンター。凄いサンゴ、ただ目の正月にして高くて手
が出ない有様、買いたくても初日から金を使ってしまってはあとの3日がさ
みしいから買わぬ。
 夜は国民宿舎土佐泊まり。心安く枕ならべ、心安い「いびき」「ねごと」聞
いたものの損にしておきまして。
 2日目、足摺岬みさき荘にて昼食。龍馬様・万次郎様の銅像をまぶたに
消しがたくして美味といただく。
 泊まりは宿坊、大きなお寺観自在寺。先祖供養の申し込み用紙が回って
きても誰も見向きもせずに、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の例で平
気な顔は意気投合です。このお寺の先代の住職様と金蔵寺の寛明老僧様
とはお知り合いであったとのこと、あとで聞いて、誠に失礼いたしました。
 3日目、みみどドライブインにて昼食、長い間バスで走って堪能。それでも
泊まりは嬉しい道後温泉ホテル八千代。きれいな姉さんに迎えられ部屋ま
で案内。大広間大きな膳を前にしてご馳走山程。酒にビールにカラオケで、
何が何して何とやら、飲めよ歌えよ、飲めぬ歌えぬ通り相場にしておいて
「坊ちゃん湯」にと走る人。カルト買いに走る人。金を道後にまき散らし、宿
のゆかたが目印か、「赤い帯きっとしめてよ」 ホテルの姉さんしっかり者。
ホテルの夜は部屋の内だけ外にはもれぬ。旅は道づれ、楽しい夜が終わ
ります。
 4日目の昼食は足立の庄。初めての場所、最近できたようで美しい庭園
で買い物も家族づれで来てみたいと思った所。ここでも土産物買うこと
盛ん。まだ与島に寄って買い物することが決まっているのに皆様のふところ
の温かさ、だいぶんへそくりなくなりよるわ、こちらのふところさみしいけれ
ど。
 何と言うてもやっぱり家が一番良いわ、漬け物の茶漬けがさがさ食べた
いな。住めば都、金蔵寺の麓の山猿山が好き。
 ありがとうございました。合掌。
  ○ふる里の雪の知らせを聞きながら 南国土佐の霊場巡る
  ○桂浜浪おだやかにうち寄せる 住職囲みシャッター切る人
  ○順拝の黒い僧衣を目標に 地の果てまでも足摺岬
  ○再会の龍馬の像を仰ぎ見る 似通う人の夢追う枕
  ○遍路旅同じお釜の飯を食べ 枕ならべし三泊四日
  ○土産物孫に嫁にと買いあさり バスは満載店は品切れ
  ○三櫛半髪の乱れも布かぶり 四国なりゃこそ遍路様々        

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K・Kさんの四国順拝記 その1の3
         
「かなくら山報第71号」(1997/11/1)より
 第1巡目第3回 参加者19名
   平成9年10月18日(土)〜20日(月) 第54番〜第78番

 出発の朝、寝過ごさぬようにと心に言い聞かせ、1時、3時と目が覚め、
忘れ物せぬようにと深く思う。出発の荷物は前日から玄関に出して用意
万端整えたつもりでも、何か忘れ物はかならずあると思う。
 好い日和で何よりも心うれしく思う。集合場所にメンバーの顔が揃う。誰
かが「えらいこっちゃ。掛け軸忘れた。」 取りに帰る人、納経帖取りに帰
る人、バスに乗り込むまでに気がつき、お大師さまのおかげと思う。突然
に女人菩薩が現れて忘れ物に車を走らせ給うことのありがたさ、ありがと
うございました。
 高坂回りの道順の速いこと、龍野までは標識を見ていたつもりが、気が
つけば「やっぱり違うな」の声にもう四国。大橋渡ったのも夢うつつ、睡眠
不足を助けられたと感謝する。
 前回は53番までだったと思ったが、道順もあって61番から打ちはじめ、
何番であろうと運転手さんにまかせ、その運転手さんも初回・2回目の時
と同じ方で、助手の方は加美町で、運転手さんの妹婿さんとか、なごやか
な雰囲気につつまれての順拝でした。
 日曜日にはお祭りの所があって赤いような白いような変わった太鼓に出
合い、その土地の風習をのぞいたような感じがしたひとときでした。順拝者
に記憶に残っているまでは思い出して話の種にすることでしょう。
 五重の塔をバックに写真をと走り回り若いことです。
 善通寺に参拝。戒壇巡りに心の持ち方のよい人ばかりで暗闇の中から
無事に出られてよかったこと。大きな御影堂(大師堂)、大勢の参拝者に
驚くこと。住職様のあとについて大きな声で御詠歌を唱えた気分は最高で
した。
 何番に参っても本堂で般若心経、大師堂で御詠歌を唱えられ、「金剛」は
美しい声だと聞いた人からもれてくる有様でした。
 魚屋が魚の料理をしているので、「寺の中で何ちゅうことやろう」と言え
ば、「何言うとってん。これ道路やで」「ええっ、ほんまか」 東西南北寺は
真ん中、道路が続いてどこからでも寺には入れるようになっている有様。
 善通寺はお大師さま誕生の地であり、父君の名前が善通(よしみち)さま
でその名前で善通寺だとか、善光寺に似たような感じが遠い記憶からたぐ
り寄せてみる。
 640段の弥谷寺を難なく順拝できる皆様のしぶとい足に感心する。
 大好きなロープウエイの雲辺寺、スリル満点パラグライダーとか、現代っ
子の好きそうな見物しながら上を眺め下を眺め、参拝者のみ味わえる風景
にひたりつつ。
 4回目は満願です。高野山参拝で一回りできるありがたさ、2月がはやく
おとづれることを待ちに待っております。
 大変お世話になりました。飲み物も不自由なくいただき、おやつまでみん
なに配られ楽しい旅でした。雨も降らず、本当に部屋の語らいも同村の者
ばかりで「かっこう」もいらず身内のように嬉しい2泊でした。またの出会い
を楽しみに。
  ○年金を貯めて媼が遍路旅
  ○幸いの器に土産盛りつける
  ○温泉にひたり遍路が夢むすぶ
  ○加美からの紙幣で讃岐繁盛する
  ○まだ足らん店全部(みな)買えば品残る
  ○母案じ母は園児を待つ如く
  ○保険証を携え来たり伊予讃岐うどん削り節もなかりて
  ○白衣脱ぎ温泉(いでゆ)浸れば観光と心変わる宿のゆかたに
  ○石きざの六百四十弥谷寺を同行二人の杖に守られ

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K・Kさんの四国順拝記 その1の4
         
「かなくら山報第75号」(1998/3/5)より
 第1巡目第4回 参加者21名
   平成10年3月1日(日)〜3日(火) 第79番〜第88番 高野山
  

 住職様、ありがとうございました。念願の四国八十八ヶ所順拝も満願結願
成就と相成り、本当にありがとうございました。
 平成8年11月から10年3月へと大変だったと思います。皆様の都合も思
い多忙な住職業も様々にその間をくぐり抜けるようになされて家族の方も大
変だったとお察しいたします。
 学児より頼りない老女を従えて、思い出しても笑いがこみあげてくるような
思いしばしば、それでも怪我もなく病人も出さず、順拝できた今日を仏前の
父母に話しております。
 お砂を八十八袋持ち帰られるそのゆるみない信念と若さに頭が下がりま
す。本堂と大師堂で御経と御詠歌を唱えられ腰をおろす間もなく、先達とは
大変な役でありますネ。本当に私たち順拝者は心からありがたく楽しい旅で
もありました。終わった瞬間、何だか淋しい心がふっと過ぎるように思いま
す。
 「それじゃ、またネ、次にね。」
 2回、3回、友と会う度にお四国巡りの話に花が咲いておりました。満願ま
では元気でいたいと希望を持ち続けておりました。終わったと思いへこたれ
てはお大師さまに申し訳がありませんから、これ以上元気を出さなくてはと
心に誓いながら暮らしたいと願っております。
 巡る所々で土産物を買う女心、そこへ老いをつけて老女心・親心、住職様
はおかしかったことと思います。それも最高の幸福だと思います。お四国巡
りにとお金を用意して、かっちり貯めて本当に温かさいっぱいです。何時の
日もお四国巡りから頭が退かない月日でした。生きがいを感じるひとつなの
でしょう。本当にありがとうございました。やがて召されて天国で母に逢え
ば、「遺言は守りました。お礼を申してきましたけれど、次に家族のことを頼
んできました。」と話ができると思っております。本当にありがとうございまし
た。
 今日(3月4日)の神戸新聞にも、「”お遍路の活力”生かせ」という記事が
ありました。高齢化社会のシンポジウムで講師の先生が、「徳川吉宗の時
代以降、人はもはや進歩発展を期待せず、白装束に身を包んで自ら極楽
浄土を求めてお遍路に出た」「高度成長やバブルに踊った時代、人は働い
て物を買うことに喜びを感じたが、今人々は『物』では満足できなくなっ
た。」 そんな現代を、江戸時代になぞらえて、現代は「高齢者の持つ経験
と知恵が再評価される時代」「お年寄りに活力の場を!」ということで、やっ
ぱり老いの人から学ぶことが良いようで、私たちも学んで老いを深めてい
きたいものです。
  ○運転の方からあふれる温和さを 肌に感じし旅の朝
    寺を捨て次男にゆずりし長男様にありしとか
    人生の最後に聞きたし 歩まれし道程を
  ○屋島の宿のおもしろさ 漫談聞いている如く 
    熱弁ふるう吾が友に 町会目指せとおだてれば
    国会目指すとかえる言の葉
  ○帰路の車はカラオケに 遍路が歌手に早変わり 
    マイクむけられ友に告ぐ
    税に攻められ歌手をやめし言い訳も 
    ここなら通るユーモア仲間

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K・Kさんの四国順拝記 その2の1
         
「かなくら山報第80号」(1998/12/3)より
  第2巡目第1回 参加者15名
   平成10年11月8日(日)〜11日(水) 第1番〜第31番

  ○墨染めの衣をまとい笠着けず 先達給う菩提寺の僧
  ○照りつける秋の日差しを全身に 吹き出す汗は僧の頭に
  ○金賭けて明石吊り橋渡りしに 友は遍路で初めて渡る
  ○再度来し室戸岬の岩肌は 波おだやかに遍路むかえり

 11月は行事が多いように思いましたが、8日から11日まで霊場順拝に
参加させていただきました。今回で2回目ですが、また八十八ヶ寺結願で
きることを心ひそかに祈っております。
  ○お名残やこれが札所の打ち納め またのご縁を結び給えよ
 誰が詠まれたか、お大師さまが詠まれたのか、第八十八番大窪寺まで
無事打てますように、またのご縁にすがることにいたします。
 前回は竹馬の友と縄電車の如くお大師さまも顔負けだったかも、この度
は菩提寺の地元から6名、西脇市から男性女性多く参加9名の順拝、お
大師さまも、これはようこそ、と満面に笑みを浮かべて迎えていただいたこ
とと想像いたしております。
 住職様は、前回はお砂をスコップですくわれてなかなかである事を眺め
させていただきました。この度は札所毎に本堂でその札所の御詠歌を唱
えられて、大師堂では前回と変わらず「金剛」を唱えられ辛抱強さに頭が
下がります。
 八十八ヶ所の御詠歌、
  ○おもかげを映してみれば井戸の水
     むすべば胸の垢やおちなむ
 先達様が唱えておられる間、キョロキョロうろうろ行儀の悪い遍路に注意
もなさらず、先達様は本当に大変です。本当にありがとうございました。
 一番の霊山寺から打ち始めましたが、前回の記憶がみじんもなく初めて
のような気がいたしました。日曜日ともあって大勢の参拝者で大変でした。
余りにも忘れがたくメモする気になりました。水の寺と申しましても似合いそ
うな美しい水が滝の如く池にそそぎ、鯉の遊泳にながめているだけで極楽
浄土を感じました。そんな記憶がなかったのは半呆けと思います。
 2番・3番、石段の両側に玉垣があり、刻まれし金額に大阪方面の方は
金回りがよい事を知りました。4番はタクシーで巡り、5番には800年も立
ち続けた大銀杏の巨木が目を引きました。
 1泊目は十楽寺、前回とは違っていました。朝の出発は相互供養和讃を
お唱えしました。美しい朝日を拝み、まあきれいの一言でした。
 2泊目は鶴林寺泊まりでした。前回の方なればおわかりと思います。秋の
夕暮れのつるべ落としに参道の暗闇にライトの光で登りつめた思い出に、
運転手の永井様が今日はどうしても早く着きましょうのことばに、陽のある
間に参拝できました。鶴林寺とあるように鶴の銅像が本堂の左右になら
び、右がメスか左がオスか、羽を広げている鶴とすぼめた鶴をオス・メスを
にぎやかに想像し、口々にユーモアが飛んだ夕暮れでした。結局、どちら
がオスか判明できず。
 21番は太龍寺ロープウエイの札打ちです。本当にスリルがある光景で
す。前回と同じ御蔵洞に入り、室戸岬の岩肌に立った写真を思い出してみ
ました。何よりも好天気にめぐまれ言うことなし。
 3泊目は金剛頂寺、大勢の遍路さんで部屋は満員、食堂もホテル式の
構えです。宿坊とも思えぬいっぱいのご馳走、ちょっと温泉旅行と間違い
そうでした。前回の方がもっとご馳走だったと先達様のおことば。それも記
憶なし。前回は外人様が玄関で大勢札所巡りをなさっているのに出会いま
したが、今回はバスが2・3台、遍路さんを待っているのに出会いました。
 与島に寄るからの声に、黒潮市場では土産物はほどほどに、帰途は飲
めよ歌えよ、4日間の緊張をほぐすようにそれでも静かな車内でした。
 美しい一輪の花が咲いたように西脇市の小林様が先達様に続いて生オ
ケで、前川清が裸足で逃げてゆくほどの喉には申し分なし、声楽の心得あ
りだと想像いたしました。
  ○もう一度聞きたや君のあの喉を
 次回の西脇市の皆様とご一緒させていただきたいと願っております。そ
して、また竹馬の友も縄電車で順拝いたしたい気分です。

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K・Kさんの四国順拝記 その2の2
         
「かなくら山報第82号」(1999/3/12)より
  第2巡目第2回 参加者17名
   平成11年2月19日(金)〜22日(月) 第32番〜第53

 春とは名のみの如月の四国順拝出発の朝。大きな荷物引っ越しの如くに
て、玄関の鍵も掛けたか否か全く上の空、老いたせいかも。別院に電話で
鍵のなりゆきをお願いをする。その有様申し訳なさ、鍵はかかっていました
との事まず安心。何事もその通り、年は取りとみないものである。
 西脇からのバスを待つ。一等席があけてあり西脇の方に感謝感激する。
高坂越しに一路四国に。「もう龍野だっせ」と横の人。「ほんま」「もう瀬戸大
橋だっせ」「まあ、ほんまほんま」 こんな会話のうちに高知に。
 32番禅師峰寺から打ち始め、美しい桂浜を散策する。昼食におつくりの
美味な事、食事所に土産物がならぶ、先達様から遍路の心が見えたのか、
一寸一言、何も買う人もなし。
 33番を打ち、34番種間寺、安産の御祈願所とあり、祈ったような祈らぬ
ような。35番はタクシーで札打ち、石段の多い事、みかん畑の道のりを運
転手の話を聞きながら、この人運転止めて寄席の番組にでた方が似合い
そう、よくもとる口、心の中で大笑い。
 今晩は37番の岩本寺であった。本堂のおつとめは一寸寒いような気が
したように思う。宿坊とあったけれどなかなかのもてなしで、全く旅館の如く
観光旅行に来ている如く、毎晩のおつくりのご馳走に出合い舌つづみを打
つ。暖房も入れてあり大変に結構な事この上もなし。
 朝の時間に岩本寺の店頭で土産物を買う。店員さんのお話に掛け軸が
盗難にあいましたとの事、遍路さん以外の方もお泊まりになりますとの事、
その時は気がつかず何日もしてから判を生けに入られて気がついたとい
う話、悪い人もいるものです。今頃は交通事故にでもあっているかもと話し
合う。玄関にて相互供養和讃を唱えて出発する。
 20日、3ヶ寺打ったのみでバスにゆられて乗り堪能。車に酔う人もなく、
「足摺岬、やってきました万次郎様」と挨拶するのも何回目。桂浜の坂本
龍馬様は修理中とあって顔だけちらり。
 波おだやかに陽の光にきらきらと波が光り、
  ○ひろびろと心持ちたや今日の海
  ○釣り人の岩の上なり 大海の波よさらうな 家族が待てり
 岩の上で釣りをする人を見ながら、どうして岩まで行かれた等心配の多
い事でした。燈台等、先達様の話を聞きながら歩む。
  ○縫う如く椿の木立白衣人
 足摺岬を忘れる事はきっとないと思う。昼食の変わったどんぶりをいた
だく。家に帰ったらしてみようと思った矢先、その場去れば忘ればかり。
 20日の宿は宇和島の城南荘。民宿とは思えぬ住居、旧家を物語ってい
る植木に一寸似た家は見かけぬ大豪邸であった。朝の出発は相互供養
を唱える。
 21日、難所の岩屋寺は雪が多く降って先達様もすべりなされた様子。
4・5センチは積もっていたと思う。それでも御詠歌は止めず、雪に降られ
ながら金剛唱え、詠歌唱えありがたいねと日和に一層の思いを込めて念
じられたように思う45番であった。長い木のはしごを登られる先達様に
下からみんなどんな思いで眺めていたでしょう。金蔵寺の大杉の話をなさ
りながらその様を想像する。
  ○石きざに雪ぞつもりし 岩屋寺の難なく打てり四十五番
 道後の方に向かえば雪もなく、前回と同じホテル八千代にての泊まり。
前回の坊ちゃん湯の事など思い出話に花が咲き着替えも忘れる寺内組と
的場組。加美町組は何と気楽な者ばかり。宴会場に馳せ参じ飲んで歌っ
て踊りも踊る。ホテルの女中さんが金蔵寺組をほめてくださって手踊りを
二曲なさってくださったもてなし、楽しい最後の夜でした。
 西脇の方も竹馬の友の如く気が合い馬が合い、次回の順拝を待ってお
ります。次回は、さてとすずめのお宿はどこでしょう。
 51番は石手寺、観光で皆様よくおいでになる札所。ここは知っていると
寺内組が申された。寺の境内に店がならび、他では見かけぬ有様です。
道後のホテルに泊まり一番に観光に寄られる場所、私も来ました。
 22日午前中に打ち終わり、最後は逆打ちと言って、51、52、53,50,
49,48番、そんな順に打ち終わり、前回と同じ足立の庄で昼食、次は
与島が待っている。
 気分が悪くなる人もなく、日常の話等に花が咲き何時間乗っても飽きず、
待つ人がいなくても一寸我が家が恋しくなった様子、八十八ヶ所順拝の
挨拶を仏間の父母に告げ、無事帰宅を娘に告げ、風邪も何とか落ち着い
た模様である。

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K・Kさんの四国順拝記 その2の4
         
「かなくら山報第89号」(2000/5/5)より
  第2巡目第4回 参加者19名
 平成12年4月4日(火)〜6日(木) 第79番〜第88番 第1番 高野山


  
つぼみと共に発ちしかど 桜満開讃岐の里は
 春爛漫の四国路に、的場を5時半すぎに出発いたしまして、西脇市にて
四所・五所待ち合わせて、讃岐に着けば八時すぎ、香川県は一番本州に
近く便利のよさにありがたい事です。好季節・好天気にめぐまれて結願の
順拝でした。
   ありがたや これが札所の打ち納め
    またのご縁を 結びたまえよ
 誰か詠むこの歌を思い出して、今回は79番からの打ち始めで88番ま
で、2回目でありながら初めての如く眼に新しくありがたい順拝でした。
 今回は88番大窪寺のあと第1番霊山寺へお礼参り、徳島港から2時間
の船旅のあと高野山参拝、いつの日も高野山は心の和む山です。
 この前に高野山に参拝したときは、台風で大木が倒れ無惨な事この上
なし、今回は大きな根株も整理され、案内人の名調子に乗せられて奥の
院まで笑いが止まらないありさま、私はこの案内を聞くのが一番の楽しみ
です。すぐに忘れて説明はできませんが、本当にたのしい。
 よくぞまあ、亡母が遺言を遺してくれたとしみじみ思うこの頃、「お大師さ
まから授かった子なれば、ご恩返しをせよ」と重ね重ね遺した言葉でした。
母は私を連れて順拝したかったと54歳の若さで旅立ちました。四国順拝
の機会のめぐまれた私をきっと草葉のかげで喜んでいる事と想像いたし
ます。
 もし、亡母が遺していなければ順拝はできただろうか、高野山にも参拝
しただろうか、個性の強い私だから、どんな生き方を・・・等、頭の中をか
けめぐる80歳。
 前回54番から78番まで順拝できずに、今回79番にとびました事を後
悔先に立たず、頭から離れる事がなく今も頭のすみに残っております。
 前回は、老人クラブの旅行に参加して、鬼押し出しがもう一度この眼で
見たくて参加したものの暴風雨に出合い、如何ともしがたき鬼押し出し、
命あってのものだねと瀬戸際に立ったことが忘れられず、なおさら54番
から78番が心に残り、叱られる人はなくても心に大きな穴があいたよう
な想いがしてならない、いつか折りがあったらとさえ思うばかりです。
 ところで、「キセキ」ということばは知っていても実際には遇うた事がない、
「キセキ」に遇うたことがありがたいというか、おそろしいと思います。
 高野山に結願のお礼参り、大師教会の授戒堂での事です。暗室にて血
脈をいただくならわしで、今回は私が阿闍梨様の前に登るようになりまし
た。蝋燭の火がありましたが阿闍梨様の顔は見えず、お付きの僧に、私
が足が悪いと知れたのか手を添えていただいて三段程ある階段を登らせ
ていただいたものの、阿闍梨様が座しておられる前に私は立っておられず
座しました。
 不思議なるかな、難なく正座ができた事を我ながらおどろきとよろこびに
泣けました。思わず、「ありがとうございます」と涙声、三十八の瞳はどうす
るかなと心配だったそうです。それが難なく正座ができて大変よろこんでく
ださった方々、ありがとうございました。
 あとで、もう一度自分で勝手に座しても足が折れません。この右足が折
れたら何の悲しみもないものをと思うことのみ、きっといつの日にか折れ
ますようにと念じながらの日々です。
 「キセキ」よ、現れ給え! そんな奇跡の一時でした。体力が続くかぎり
順拝を続けたいと願っております。
 年毎に若がえる奇跡がほしい、そんな欲望。ありがとうございました。ど
うかよろしくお導きくださいますようお願い申しあげます。お大師さま。
 
 ○遍路旅常にやさしい乗務員 心に残る運転の人
 ○配られしおやつの袋前にして 奥方の顔浮かび来るなり
 ○早朝を送り給える奥方に 無事なる留守を念じて発ちぬ
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