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誕生の時

〜KANAのお部屋〜

【1999年11月30日】
37w
予定日よりも3週間ほど早い11月30日の夕方、おなかがキューッと痛くなってきました。
その日は午前中健診があって「そろそろかな」とは言われていたのですが、「まだ3週間あるし…」と私も母もそう思っていました。
だから病院帰りに、ベビー用品店に買い物にも行ったりしていました。
夕方になって、「おなかが痛いなぁ…」と思い母にもそう言ったんですが、「まだでしょう、陣痛の痛みはそんなものじゃないから…」と軽く言われてしまいました。
私もはじめての出産で、母にそういわれたら、「そうなのかな」と思うしかなく…我慢していました。
ですが、おなかの痛みは治まらず、だんだんひどくなってきたので夜になって病院に電話を入れたのですが、まだ予定日まで3週間あったためか、「前駆陣痛かもしれない」からと、もう少し様子をみるようにと言われてしまいました。

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【1999年12月1日】
おなかが痛い、おなかが痛い、と思いながら我慢していた夜中。出血(おしるし)がありました。
病院に再び連絡して、とりあえず受診することになりました。もしかしたら、「まだまだ」だと帰されるかもしれないと思いながら。
日付は変わって、12月1日深夜零時ごろでした。父の車に乗った時にカーラジオが「時報」を告げたのでよく覚えています。
病院に着いてすぐ助産師さんに診察してもらったのですが、そのあとの助産師さんはかなり慌てていました。
「すぐ先生を呼びますから!」と。
私は胎児異常が見つかっていたこともあって、出産の初めから産婦人科のN先生と小児科のA先生が出産に立ち会ってくれることになっていました。
普通の出産であれば、産婦人科の先生は、最後に少し顔を出すくらいなんですが、私の場合は状況が特殊でした。
ですから、余計に助産師さんも慌てたんだと思います。
先生は2人とも、帰宅しておられたようなんですが、近くに住んでいたのかすぐに来てくれました。
KANAの誕生は、入院からわずか1時間半後、12月1日、午前1時32分でした。
2660グラム、小さめの赤ちゃんだったこともあって、非常に安産だったといってよいと思います。

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【誕生直後】
KANAの誕生。
産声のすぐあとの、産婦人科N先生の言葉、「みたところ普通の赤ちゃんだけどなぁ…」
共に立ち会ってくれた小児科の先生に向けた言葉だと思われますが、今でも私の耳にはっきりと残っています。
私は生まれたばかりのKANAの頬に少し手を触れただけでした。
KANAは生まれてすぐに保育器に入れられ、小児科に検査入院という形になりました。
すみからすみまで、検査をしていただいたはずです。
翌朝、私の病室にきた小児科のA先生の言葉、
「手の指も足の指もきちんと5本ずつありました。おしっこもウンチもきちんと出ました。ミルクも飲んでいます。今のところは大きな異常は見当たりません」
この言葉も決して忘れることはないでしょう。はっきりと覚えています。
正直ほっとしました。KANAもすぐに保育器から出ることが出来ました。
入院中、ほとんど泣かず、ずっと寝ているような子でしたが、それに関しては先生には何も言われず、「こんなものかなぁ」と思っていました。
また『新生児黄疸』が出て光線治療を受けたりもしましたが、それはよくあることなので気にしていませんでした。
ただ、『心雑音』が認められるということで、小児循環器の診察のある日に詳しい検査をする事になりました。
妊娠中に見つかった『脈絡叢嚢胞』については、出産の頃には超音波でもほとんどわからないくらいになっていましたが、KANAが生まれてすぐに受けた、頭部CT検査では、その名残のようのものがあるといわれました。
これについては、経過を観察することになりました。
他には特に気になる点はなく、私と一緒に退院できたのは幸いでした

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【命名】
KANAの命名。
妊娠中からいろいろと名前の候補は考えていました。
障害を持って生まれてくる可能性の高いわが子。
無事に生まれてきてほしい。
希望を持って生きていってほしい。
どのような障害を持って生まれてくるかわからない。でも、精一杯生きてほしい。
親としてのいろいろな思いを名前に込めたい。
そんな思いから、名づけの本を参考にしながらいくつか候補をあげました。
その結果、決めた名前。
「穏やかで和やかな、あたたかい心を持ってほしい。音楽を愛するような感受性の豊かな子に育ってほしい」
そう思って名付けました。「和奏(わかな)」と。
不安いっぱいの中、生まれてきた小さな命。他と比べることなくKANAなりの成長を見守って行こう。のびのびと育てていこう。そう思ったKANAの誕生の時でした。

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